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第4章 9

「……あっ、もうダメ。ふふ、限界かも……」  壱星はか細くそう言うと床にへたり込んだ。  そこまで強く押したつもりないんだけど……。手を差し伸べる気になれなくてただその様子を見ていると、物音がして振り返る。  ベランダにいた重森が部屋に入ってきて、なぜか少し悲しそうな表情で俺達のことを見つめていた。 「……何だよ」 「智暁君、もういいかな?俺の砂原返してもらっても」  重森が壱星の隣に立つと、壱星がその足元に擦り寄った。 「な、何してんだよ、お前ら……」  壱星は顔を上気させ上目遣いに重森を見つめると、床に座ったままその手を取り、頬擦りをしてキスを落とす。 「言ったでしょ?砂原にお仕置きしてたんだ。ねぇ、少しは懲りた?智暁君はちゃんとわかってくれたの?」 「はい、真宙さん。もう二度と真宙さんを裏切るようなことはしません。智暁君は、俺のことなんかもう……」  壱星は俺の方を見ると涙を一雫こぼした。開いた口は、僅かな吐息を吐きながら「ごめんね」と動く。  それから、重森を見上げて悲しそうに喘ぐような声を出した。 「真宙さん、お願いします。どうか……」 「いいよ、砂原。今回だけは許してあげる」 「あぁっ、真宙さんっ……」  重森の手が壱星の髪を掴む。壱星の視線は重森の股間に向けられていて、そして、そのままそこに顔を寄せて……。   「おっ、お前ら頭イカれてんな!一生そうしてろよ!気色悪い!!」  腹の底から虫が這い上がってくるような寒気がして、俺は壱星の言葉を掻き消すくらい声を張り上げるとその場から逃げ出した。  気持ち悪い。こんなに気持ち悪い光景、今まで一度も見たことない。  壱星の部屋のドアを叩きつけるように閉めて、俺はエレベーターホールへ駆け出した。壱星の声が廊下まで聞こえているような気がした。  下へ行くボタンを押そうとするが、指が震えて力が入らない。  ……何だったんだ、今のは。何だったんだよ、壱星との今までの時間は――。  足にも力が入らなくなって、俺はその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。  目を閉じれば先程の壱星の様子が浮かんでくる。紅潮した顔、濡れたような声、乱れた呼吸、滲んだ汗――最初は体調が悪いのかと思ったけど、違う。具体的に何をしていたかわからないけど、俺が見せつけられたのは一種のプレイなんだろう。  そして、壱星が最後に流した涙と謝罪の言葉、あれは偽物だ。その証拠に、俺と話している最中は悲しむ素振りなんて一切見せなかった。重森の前で俺との別れを演出するために……。  あいつは……最後まで俺を利用して……。  気持ち悪い。吐きそうだ。  とにかく1人になりたくて、エレベーターの隣にある扉を開けて階段を降り始める。  壱星は俺にずっと嘘をついていた。嘘をついていただけじゃない。俺を貶めて、利用して、ずっと嘲笑っていたんだろう。  馬鹿みたいだ。というか大馬鹿だろ、俺は。あんな奴のこと好きになろうとしてたのか。あんな奴のことを信用しようとして……。  でも……。  最後に壱星に言われた言葉が頭から離れない。  ――智暁君はきっとまた同じことをするから。……きっと笹山さんを傷つける。  初めて重森真宙に対する壱星の気持ちを知った日、俺はあいつに何をした?蒼空の姿を見て、醜い失恋と失態を思い出した俺は、泣きながら嫌がる壱星に……。  ぐるぐると螺旋階段を降りていた足を止め、壁にもたれるようにしてその場に座り込んだ。眩暈がするのは目が回ったせいではないと思う。  ……でも、だって、あの時は仕方なかったんだ。大体、壱星も悪いだろ。あの選挙公約、わざと俺に見つかるようにしてたんじゃないのか?わざと俺を焚きつけて弄んで……。俺はあんな奴らとは違う。俺が蒼空を傷つけることなんて。いや、でも、俺は……。  俺は、もう既に蒼空を傷つけてしまっている。合格発表のあの日、嫉妬心を抑えきれなかった俺は……。

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