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第4章 12

 静かな夜の公園に明るい笑い声が響くが、すぐに蒼空は自分の口を押さえた。 「やべ、近所迷惑になる……あ、でも、んふふっ」  そして、顔を隠すように俯きながらいつまでもグフグフと鼻を鳴らし続けている。 「な、なんだよ……。笑いすぎだろ?俺どんな顔してんの?」 「ごめん、ごめん」  こんなに笑われるとさすがに恥ずかしくなる。スマホのインカメラで顔を確認してみるが、目元が赤いだけでいつもの自分と何が違うのかわからない。 「別にそんな変じゃないだろ……?」  蒼空の方を見ると、まだ口元は緩んでいるが笑いは収まったようだった。 「……はは、そうだな、今は普通。もう二度と変な顔すんなよ」  そう言いながら、俺の頬に手を添える。顔を包み込めそうなほど大きな手のひらに緊張してしまい、俺は視線を落とした。 「なんだよ、知らねぇよ。……お前はすぐ人の顔とか触るのやめろよな」 「何で?」 「だって……」  好きだから、嬉しくなってしまうから、蒼空のこと傷つけてしまうから――なんて言えるはずもなくて、結局黙り込んでしまう。  蒼空が大笑いしたせいで、さっきまでの意気込みを見失ってしまった。 「なぁ、智暁」  蒼空の親指が、涙の跡を辿るように俺の目元をなぞる。 「何……?」  じっと俺を見つめる垂れた目は、さっきと同じ優しくて寂しそうな光を放っている。何を言われるのかと身構えていたが、蒼空は勢いよく立ち上がった。 「よし!気晴らしに映画でも観に行くか!」 「……え?」 「レイトショーなら空いてるし平気だろ」  蒼空はそう言いながら楽しそうにパタパタと尻を叩く。  そうだ、これがいつもの蒼空だ。俺がこれ以上壱星の話をしたがっていないと察して明るく振る舞ってくれているんだ。でも……このままずるずると楽な方に引きずられたら、俺はいつかこの関係を壊してしまう。 「蒼空、聞いて。俺は――」 「ストップ」  蒼空の手が俺の口を塞ぐ。水かきのついた大きな手のひら。 「だからその顔やめろって。ってか、もう何も言うなよ。……智暁は、何も悪くないんだから」  蒼空は座っている俺の前に膝をつき、口を押さえていない方の手を俺の背中に回した。 「んんっ……」  名前を呼びたくても言葉が出ない。間近に迫った蒼空の目は、先程までの優しさを失い、今はただ悲しそうに、そして悔しそうに揺れている。そんな風に見えた。 「智暁のそんな顔、見たくなかったんだよ……。ごめんな。俺、何もしてやれなくて」  ようやく口が開放されたと同時に、息が漏れるほど強く抱き締められた。 「そっ、蒼空。苦し……」 「あ、ごめん。……ごめん、でも……」  少しだけ力が緩められるが、相変わらず蒼空は俺を抱え込むようにしたまま腕を離さない。 「智暁。俺のせいだよな。俺が信じてやれなんて言ったから。俺が一緒にいてやれなかったから……。ごめんな、智暁」  何で蒼空が謝ってるんだろう。 「そ、蒼空、あのさ」 「だからもう何も言うなって。忘れろって言っても無理だと思うけど、智暁は……。あぁ、もう、マジで許せない。あいつらのことも、俺自身も」  初めて見た。蒼空がこんな風に悔しそうにしてるの。  いつもなら、俺に負けても口先だけで負け惜しみを言って、顔は笑ってるのに。  そうだ。あの時もそうだった。大学に落ちたあの時も、こいつは……。「見てろよ。来年は絶対受かるから。そしたら焼肉奢れよ」って、半泣きなのに笑ってた。  今、ようやくその顔を思い出した。  自分の失言ばかりに気を取られて忘れていたけど、あの時も蒼空は笑ってたんだ。自分が辛い時にだって笑っていられるような蒼空が、こんな風に感情を露にするなんて。 「蒼空」 「何?!もう自分を責めるようなこと――」 「違う。焼肉行かなきゃって思って」 「……え?は?何それ」  蒼空は体を少し離して俺の顔を覗き込んだ。その時、一瞬だけ見えた険しい表情はすぐに消えて、いつもの優しい笑顔に変わった。 「何だよ。食欲ないんだと思ってた」 「今じゃなくて……今度、俺が奢るから」 「……えぇ?智暁が自分からそんなこと言うの珍しいな」 「蒼空が大学受かったら奢る約束だったの思い出した」 「あー……でも、何で今?」  首を傾げながら少し嬉しそうに笑う。その顔に手を添えると、蒼空は驚いたような表情になり、恥ずかしそうに視線を逸らせた。 「なるほど。確かに顔触られんのは――」 「なぁ、蒼空。言わなきゃいけないことがあるんだよ。壱星のことじゃなくて」  緩やかにカーブを描いた蒼空の睫毛が揺れる。大きな口の端がきゅっと上がって、「何?」と穏やかに言葉を紡ぐ。 「蒼空。俺……俺は、ほんとはずっと蒼空のことが……」  この先どうなるのかなんて、誰にもわからない。俺にも、壱星にも。  ただ、蒼空との関係に嘘なんて似合わないから、俺は自分にも蒼空にも誠実になりたいと心からそう思った。

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