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ムーンライズ 1

 地図を頼りにしばらく歩いていると、どんどん見慣れない景色に出くわした。角を右に曲がって曲がって、曲がったら。さっきと同じ通りに出てきた。車も通らない路地。  いくら酔っていても、迷子になったことくらいは分かる。その上、突然の猛烈な尿意に襲われだして、焦ってそわそわと辺りを見回す。大きな通りに出れば何とかなるはずだ。  こんな住宅街でずっとぐるぐる迷い続けるなんてごめんだ。  地図アプリの道案内を作動させて、一番近いコンビニを検索する。いつもなら地図くらい簡単に読めるのに。  だめだ、頭がクラクラして、まともに考えられない。あんなに飲まなきゃよかった。寒くて鼻先が凍りそうだし、手もかじかんで。遭難しそうだ。  重い足を引きずって、勘を頼りに歩く。なんていっても、勘なんて作動している筈もなく。一向に大通りには辿り着けない。なんでだよ。  いろんな感情がごちゃ混ぜになって、昼に聞いたびっくりニュースや、さっきの飲みの席での数々のふたりの失言。ずっとスルースキルでやり過ごしてたのに、一気にそれがドスンと落ちてきて。  なんだか、とにかく、とてつもなく悲しくて。感情の渦に飲み込まれてしまいそうになる。  このままこの住宅街の路地で大の字に寝転がりたいような気持ちになってくる。  もうどうにでもなれって。  だから、突然開けた曲がり角にたたずむ温かなオレンジ色の灯りを見た時、心底救われたって、思った。  倉庫みたいな建物の前で、カフェの立て看板が暖かい色のライトに照らされているのを見て、俺はとにかくすがりたいような気持ちになって、重い鉄の扉を開けた。  中は薄暗くて、想像よりも随分と広かった。倉庫を改造して作られたみたいだ。  ぐるりと見回しても、お客さんはひとりもいない。 「いらっしゃいませ」  奥にあるカウンターの中から小さく男の人の声が聞こえた。 「お好きな席にどうぞ」  そう言われて、ぱっと目に入ったのは、灯油のストーブのすぐ近くにある、革張りの大きなソファだった。 「あの、水ください。それと、お手洗い借りていいですか?」  入って来て早々でもなんでも、とにかく目的はそれだったし。とにかくこの生理現象から一秒でも早く逃れたい。 「どうぞ、奥の通路を右です」  カウンターの奥からちらりと顔を覗かせた男性は、柔らかな声でそう言った。疎ましく思われてそうな感じはしなくて、ちょっとホッとした。  トイレに行ってスッキリして、やっと少し平常心を取り戻した。とはいっても、まだまだ足元はおぼつかない。  だけどなんとなくお店の人に、酔っ払いが来た、とは思われたくなくて、慎重に歩みを進めて、ソファ席まで辿り着いた。  ふかふかのソファに座って、アウターを脱ごうとして気がついた。  寒っ。めっちゃ寒い。  店の中は外と変わらないくらい、しんと冷えていて、それに客は俺一人だけだ。よく見たらそばにある灯油ストーブは点いていなかった。  今さらながら。  オープンしてるよな? なんてことすら、不安になってきた。店名すらろくに見ずに、カフェって目に入ったし明かりがついていたから入ってきたけど。店内もなんだかおしゃれだし、外から中が見えなかったし、普段なら気後れして絶対に入らなかっただろうって思う。  アウターを脱がずに、ジッパーを首まで上げた。さむ。

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