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新しい家 1
考え事が多くても、お腹は空く。
小さな冷蔵庫を覗くと卵があった。そうか、ここを出る前に冷蔵庫の中も空にして、そうだ、段ボールとか、用意して服とか詰めたり……。
そういうことが頭に浮かぶと、また昨日の夜みたいに悲しい気持ちになってしまった。
いけない、今はやる事があるんだから、一つずつ消化する事に集中しよう。
ご飯を炊く事すら面倒に感じて、簡単にベーコンと目玉焼きを焼いて、パンをトーストしてサンドイッチを作って食べた。
お腹が満たされていくと、少しずつ気持ちも上向きになって来て、俺って単純だなとつくづく思う。きっとこれって長所だよな。
課題をひとつずつクリアして行こう。
夕方までウズウズとして過ごして、夕方の5時半になった頃、ようやく家を出た。服を畳んでみたり、掃除をしたり、少しはしたけれど、気もそぞろで殆ど進まなかった。
昼頃から外で音がしているとは思っていた。作業者っぽい人の声や、トラックの出入りする音。今日は工場は元から休みだし、明日からもう業務は行わないと社長が話していた。皆んなの残った有給を消化して、そのまま終わるらしい。
最後の給料が振り込まれるのは、半月後だ。
「これで、給料振込まれないとか、ないよな?」
なんて昨日吉岡さんが言っていたけれど。いくらなんでも、そんなことをする人達ではないだろう、って。信じたい。
俺は家族みたいに思われたりしていなかったけれど、せめて社員の一人としては尊重されていたと思いたい。
ドアを開けて階段を降りていくと、工場から荷物が運び出されている所だった。作業服を着た知らない人たちが、工場を出入りしている。
なんとなく気になって、工場の方へ歩いて行った。
「澤部君」
「あ、社長……」
会ってしまって、なんだか気まずい空気が流れる。社長も、俺に会いたくなかったんじゃないかと思う。
「荷物、運んでるんですね」
「うん……買い手のついたものは、少しでも現金に変えないとね」
俺が考えていたよりも、ずっと切羽詰まった状況なのかもしれない。社長の娘さんはまだ高校生だ。学校とか、俺よりもお金もかかるだろうし、不安でいっぱいだろう。
そんな状況で、家族でもなんでもない俺の事を気に掛ける余裕なんてある訳ないよなって、納得した。
「澤部君」
「はい?」
「もっと、早く言えれば良かったんだけどね。長く勤めて貰ったのに、こんな終わり方になって、ほんとに申し訳なくて……悪かった」
「や、そんな、気にしてないんで」
それは、口から出まかせだった。本当はすごく気にしていた。だけど、白髪混じりの髪を掻きながら肩を落としている社長に、追い打ちをかけたくはない。
「知り合いの工場に、紹介出来るから」
「え?」
「澤部君なら、太鼓判を押して紹介出来るから。扱う機械も作業も似てるし、同じでは無いけど、澤部君ならすぐに出来るからね」
「え、俺で大丈夫なんすか?」
「澤部君だから、言ってるんだよ」
そう言って社長は目尻を下げた。
「ありがとうございます」
その言葉は、すごく魅力的だし、素直に嬉しかった。俺の働きぶりを評価していてくれた。
「何か他に、探してる仕事とか、したい事とか、そういうのがもし無かったら、言ってくれればいつでも」
「……はい、ありがとうございます」
「住むところも、手伝わせてくれれば」
そこまで聞いて、なんだか、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。社長がいつもよりも小さく見える。
こんなに良い人なのに、ほんの少しでも、疑いそうになった自分が恥ずかしい。
「いや、大丈夫です。俺まだ若いんですよ? なんとでもなりますって、ひとりだし。だから社長も、元気出して下さい、ね」
俺は、何処から湧いてきたのかよくわからない空元気で、そう言っていた。ムーンライズの事を頼りにしていいのか今はまだ分からない。
だけどだめでも自分でなんとかしないとと、思った。
「そう言ってもらえると、少しは気が楽になるよ」
「いや、社長が元気出さないと! 俺出かけるんで、いってきます! あっ、そうだ、ダンボールだけ少し貰いたいっす」
「そんなの、いくらでも使っていいよ」
「ありがとうございますっ」
よく分からないけれど、鼻がつんとして泣きそうだった。
社長に右手をあげて答えると、くるっと背中を向ける。そのまま早足で離れて、街の中を歩き続けた。泣いたりしない。鼻がつんとするのは、この冷たい北風のせいだ。
そうだ、ひとりでなんとか出来る。するんだ。
社長の肩にいくつも乗っている重たい荷物の一つにはなりたくない。
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