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ステンドグラス 2
工場の倉庫を改装して作られた店の中は外の気温よりもひんやりと冷えていた。
ゆっくりと足を進めて行くと、一番奥の薄暗いソファに人影が見えて、思わず息を呑んだ。
与一さんはソファに横たわって目を閉じていた。午前十一時。いつもなら家に帰って休んでいる時間だ。
パーティーの後片付けをして疲れたのか、それとも……俺を待っていたのか。
そんなことが頭に浮かぶ。もしそうだとしたら、昨日のことが原因だ。本当に与一さんがドラマや映画で見たような存在なら、耳も鋭くて、俺の存在に気がついたはずだ。もしかしたら、あの場にいた全員が分かったのかもしれない。
俺が約束を破ったせいだ。
与一さんは、狭いソファで丸くなって眠っていた。ここで働き出してから、昼に与一さんが店にいるのは初めてのことだ。
そばに、そっと膝をつく。
与一さんの寝顔を見るのも、もちろん初めてだ。与一さんに年齢を聞いたことはない。俺より年上だとは思うけど、嘘みたいに毛穴一つない完璧な色白の肌に、黒い艶のある髪。目を閉じていても、与一さんが綺麗なのがわかる。
綺麗、だなんて年上の男性に失礼かもしれないけど、初めて会った時から、ずっとそう思っていた。
与一さんの顔を見ていても、怖いとは思わない。昨日見たのはきっとなにかの見間違いだ。瞼の裏に焼きついた光景を追い払いたい。
いつもの優しい笑顔。俺の名前を呼ぶ声。どれを思い出したって、与一さんが人間じゃないなんて思えない。
滑らかな与一さんの頬に、掛かっている髪の細い束。呼吸に合わせて揺れている。普通に息だってしてる。
吸い寄せられるように、指先で与一さんの髪に触れた。鼻の方に掛かっている髪の束を払う。その時触れた頬が、まるで氷みたいに冷たくて、思わず手を引っ込めた。
自分の頬を触ってみる。手よりは冷たいけれど、ガラスや金属みたいに冷たいわけじゃない。
瞬間、何も考えられなくて、とにかく近くのソファに畳んで置いてあるブランケットを与一さんに急いで掛けた。お客さんが自由に使えるように置いてあるものを、ばさっと乱暴に掛けていく。その間に、薄い白シャツ一枚で寝ているせいでこんなにも冷たいんだって、頭を整理する。五枚目を掛けている時だった。
「乙都、くん?」
見上げる与一さんと、バチっと目が合った。
「こんな所で寝たら、風邪ひきますよ」
自分の上擦った声がどこか遠くから聞こえた。
「あ、うん、大丈夫」
与一さんはまだ眠そうに目元を擦る。俺をみつめる瞳はいつもと変わらないし、その口元だって……。
昨日見たことを全部正直に話してしまいたい。その気持ちと、何もなかったことにしてこのまま今まで通りでいたい。そのふたつの気持ちが渦巻いて、口ごもってしまう。
「い、今戻ってきて、まだ眠いんで少し上で寝ます」
「あ、うん」
与一さんは、ただじっと俺を見て頷くだけだ。まるで喧嘩でもしたみたいにギクシャクとした空気を感じる。そう思っているのは、俺だけなんだろうか。
俺が忘れてなかったことにすれば、昨日までのままでいられる。さっきまでそんなふうに考えていたのに、そうじゃないのかもしれない。
また心臓が早鐘を打ち始めて、とにかく部屋に戻ろうと俺は背中を向けた。
「乙都くんっ」
カウンターの近くまで歩いた時、靴音が聞こえて、与一さんが俺の名前を呼んだ。いつもよりも強い口調で。
思わず勢いよく振り返った。
「あの、ね」
振り返ると、与一さんは思ったよりも近くにいた。奥のソファからいつのまに走ってやって来たのかと驚く。
「はい、」
「あの、」
ステンドグラスの窓から差し込む太陽の光が、与一さんを照らしている。人間の肌はこうも光を反射するのかと、驚くくらいに。与一さんの頬や首に色とりどりの花模様が散っている。なんて綺麗……そう思ったのと同時に、映画で見たシーンが頭をよぎる。
太陽の光で燃えて、それから砂みたいに風に消えていく光景だ。
勝手に体が動いた。なんにも迷わなかった。
「乙都くん?」
そう呟いて目を丸くしている与一さんに答えずに、俺は身を固くしたまま、与一さんを抱きしめていた。
俺とほとんど変わらない体格の与一さんの頭を抱えて、なんとか自分の胸に納めた。そうすれば太陽の光から隠せると思って。
どうしたのかって聞かれたって、答えられない。ただ、消えて欲しくなかったからだ。
無防備に光に体をさらして俺の名前を呼ぶ与一さんが、なんだか悲しそうで、胸が締め付けられた。何してんだよって腹が立った。そうしたら、体が勝手に動いてしまった。
「なにしてんの」
責めるように、口からこぼれた。強い言葉が勝手に出ていく。頭で考えるよりも先に。
「え?」
無理な体勢で俺に閉じ込められているのに、与一さんは抵抗するでもなく、じっと俺の胸におさまっている。
「怪我したら……どうすんの」
腕の中の与一さんに投げかける。なぜか腹が立って乱暴な言い方になってしまう。自分の感情が、コントロール出来ない。
与一さんは目を瞬いて、俺を見上げている。こんなに近くで顔を見るのも初めてだ。
こんなことを言ったら、昨日のことを説明する羽目になる、それでも、抑えられなかった。抱きしめた与一さんの体温を腕に感じる。ひんやりと、冷たい。
「乙都くん……やっぱり」
やっぱり。その言葉を聞いて、もう昨日までの日々には戻れないんだと確信した。
「消えるかと、思って」
俺は正直にそう言った。
これだけは、はっきりしている。たとえ与一さんがどんな存在でも、消えたり傷ついたりして欲しくない。それだけが今分かることだ。
「乙都くん、あったかいね」
なんだか気まずそうに、与一さんはなぜか笑う。
「そう……ですか」
俺はぽかんとしたまま、そう返した。
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