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第9話 Bin ich schmutzig?

 拠点を変えて数週間が経ち、雪が地面を覆い始めた。  普通ならば凍死しかねない寒さだが、この肉体は頑丈なだけでなく、気候への耐性も強くなっているようだ。  ヴィルにも平気かと尋ねたが、慣れているとのことだった。さすがは、幼少期から過酷な環境を生き抜いてきただけのことはある。たくましい。  ヴィルが探し出してきた新たな拠点は、破壊された屋敷の地下室だった。  20年ほど前の戦乱のせいか、地上にある部分はほとんど失われ、野ざらしになっていた。……が、井戸と地下室は綺麗に残っており、拠点として使うには問題なかった。地下で過ごすとなれば、身を隠すにも太陽を避けるにもちょうどいい。 「祈りに行ってくる」 「へーい。気を付けてくださいね」  何やら作業中のヴィルに見送られ、近くの修道院へと向かう。  既に廃墟となっている施設ではあるが、通える距離にあるのはありがたいことだ。  地下室の入口に手をかけ、扉を開こう……と、したが、開かない。  以前より少々建付けが悪い節はあったが、取っ手を引っ張ろうが揺さぶろうがびくともしない。ほぼ間違いなく、凍り付いていると見て良いだろう。  私達は確かに身を隠している最中だが、閉じ込められたとなるとまた別の問題が発生する。  どうにかこじ開けられないか……と力を込めてみると、あまりにも呆気(あっけ)なく扉が。 「……しまった」  地下室の入口に大穴が空き、冷たい風が吹き込む。  体内の傷も既に癒え、私の「吸血鬼の力」はいよいよ本領を発揮しつつある。大した力を込めたつもりでなくて「これ」なのだ。……気を付けねば。 「どうしたんすか?」 「凍りついて開かなくなっていてだな……こじ開けようとしたのだが……」  ヴィルが尋ねてきたので、正直に答える。  ヴィルは納得したように頷いていたが……そういえば、彼も常軌(じょうき)(いっ)した力を持つのだったか。  ……とはいえ、それでは説明がつかないところもある。確かにヴィルの身体能力は人並み以上だろうが、私は彼が普段から怪力であると感じたことはない。  何か、別のところに原因があるようにも思えるが…… 「いっそ完全に閉ざしちゃって、冬ごもりします? この時期だと動物も捕まんねぇし」  考え事をしていると、ヴィルの方からそう提案される。 「……確かに、見つかる可能性も減らせるか」  大穴から冷気が吹き込み、思わず身震いしかけたが、どうにか耐えた。  肉体が頑強になりはしたものの、体感としての寒さはむしろ増したように思わなくもない。五感が鋭くなったことに起因しているのだろうか。 「隠れ家としていい感じなんすけど、今は雪除けが目立ってんですよねぇ」 「だが、出られなくなるのは困るだろう」 「もういっそのこと、出る度にドアぶっ壊して入る時に完全に塞ぐってのはどうです?」 「な、何とも大胆な方策だな……」  ヴィルには長年の経験があるようで、野生で食せるものの見分け方や手に入れ方など、危険な状況における自活の知識がしっかりと身に付いている。  どれも以前の私には学ぶ機会のなかった物事で、不謹慎かもしれないが、本音を言うと大変に興味深い。  代わりに地理などは詳しくないようだが、その点は私に知識があるので補うことができるうえ、ヴィルの方も退屈そうな顔をせず聞いてくれる。 「食糧は干し肉とか菜園で作ったのとかまだあるし……神父様はオレの血でちょっとは(しの)げますかね」 「おい、干からびるつもりか」  ……とはいえ、すぐに自分の身を差し出そうとするのは困りものだ。  怪我をさせたくはないし、彼の身に危機が及んで欲しくはない。……まあ、それを素直に伝えると、少々面倒なことになりそうなのだが……。 「つっても最近は、なんやかんや足りてるっぽいし……。冬だから?」 「……傷が癒えたから、という可能性もある」 「傷? もうだいぶ前に良くなってたんじゃ?」  ……そう言えば、傷の深さについても伝えていないのだったな。  もう癒えた傷だ。わざわざ何か言うこともあるまい。 「深く気にするな」  私がそう言うと、ヴィルは怪訝(けげん)そうに顔を(しか)めたが、深入りはしてこなかった。 「このまま見つからなきゃ良いんすけどね」 「……。そうだな……」  今後のことを思えば、どうしても気が滅入る。  何はともあれ、今は入口の修繕をするのが先決だろう。 「……!」  ……と、入口に向かう途中、物音を聞いた。  雪を踏み分け、一定の感覚で響くそれは、間違いなく…… 「足音がする」  私がそう言うや否や、ヴィルの表情が険しいものへと変わる。ぎらりと眼を光らせ、彼は武器を手に取った。  *** 「……ッ、とぉ!」 「ヴィル!!」  我先にと階段を駆け上がったヴィルの腕に、銃弾が掠める。  真っ白な景色の上に、ぽたぽたと赤い液体が滴り落ちた。 「私が前に立つ」 「えっ!? でも……!」 「貴様より、私の方が頑丈だ」  前に出ようとするヴィルを無理やりに制し、刺客の前に立ちはだかる。  私と違い、ヴィルは人間だ。些細な負傷でも致命傷になりかねない。  ……それに、私はまだ、刺客を殺すとは決めていない。 「僕の名は……いや、名乗る必要もないか。悪魔祓い(エクソシスト)と言えば、何をしに来たか理解できるはずだ」 「……何度も言いますが、私は悪魔と契約などしておりません。偶然、このような体質に至っただけなのです」  私達は、何も最初から追っ手を殺すことにしている訳ではない。  こちらの言い分はしっかりと伝えることにしているし、向こうが納得するならそれに越したことはないのだ。  だが、ヴィルはかつて、その方針に難色を示した。   ──ヤツらの持ってる武器は、頑丈な神父様でも殺せるような武器かもしれないんです。そんなので怪我をさせられたら……どれだけ痛くて苦しいか、分かったもんじゃないっすよ  ──それに、神父様に酷いこと言った時点で、ぶっ殺す理由にはなると思います  ……などと、言っていたか。  後者の意見はともかくとして、前者の意見は私にも理解できるし、共感もできる。  殺しに来たのは向こうだ。……私は彼らに屈辱を与えられ、逃げ隠れせねばならない事態に追いやられた。  殺意がないと言えば、嘘になる。 「そうか……噂は本当だったらしいな。『(けが)れた血』のコンラート・ダールマン」 「…………私の血は、穢れてなどいません」  ……だが、私は、ヴィルになるべく罪を犯させたくない。  やむを得ない状況に至るまで、手を汚させたくはないのだ。  もっと言えば……本来はヴィルに任せるのでなく、私自身が、この手で「殺し」の罪責を背負うべきだとも考えている。 「は……っ、今更何を言う! 人の皮を被った化け物が!」  嘲笑が響く。  ロザリオに手を伸ばし、怒りを噛み殺した。  憎い。憎い。憎い。  蓋をしたはずの憎悪が、胸の内で渦巻き始める。 「神の名の元に、お前を断罪する」 「……な……」  その言葉に、思わず呼吸が乱れた。  ……私が。  私がどれほど、神を信じていたか。  少なくとも、私を「穢れた血」と侮辱し、時に嘲笑い、時に嫌がらせをしてきた者達より、よほど信心深く生きてきたはずだ。  隣人を愛せよと、敵を愛せよと主は言われた。  その教えの通り、私は自らの憎しみや怒りを律し、自らの疑心暗鬼と闘い、慈悲深い心を保つように努力を重ねてきた。  だが、言葉が出ない。  ヴィルが、横で大きく舌打ちをしたのが聞こえる。  待て、ダメだ。まだ殺すな。……そう、声をかけることすらできなかった。  悪魔祓い(エクソシスト)と名乗った男が、下卑た笑みを浮かべ、銃を構えたのが視界に映る。……嗚呼……どうやらこいつも、他の刺客と同じらしい。  奴は、私を殺しに来た以上に、蔑みに来たのだ。  そうして、対話を求める姿を「命乞い」だと勘違いし、(わら)う。  ……命を救われるはずだったのは、奴らの方だと言うのに。  ヴィルが、牽制(けんせい)のために武器を投げつけたのが見える。  もう、止める気は起こらなかった。 「なんだ!?」  刺客が(ひる)んだ隙に、ヴィルが腹に拳を叩き込む。  拳銃が雪原に落ち、滑ってくるくると回る。  確かに、武器が発達したことで個人の殺傷能力は上がった。頑丈な吸血鬼でも、不死身でないことは祖父の死で理解している。  太陽の光に当てられ、くらりと立ちくらみが起こる。……この状態で弾を何発も撃ち込まれれば、死の危険性も見えてくるだろう。銃弾に細工があるのならば、尚更だ。  だが、奴の場合は油断しすぎた。  手に入れた武器を過信しすぎたのだろう。  ヴィルは相手が丸腰になったところを、懐に飛び込んで喉を掴んだ。  地面に引きずり倒し、勢いに任せて首をへし折る。  人体の急所も、力の入れ方も完璧に理解した動きは、おそらく「経験」ゆえの鋭さだ。  そのまま手近な石を拾い上げ、ヴィルは刺客の頭を叩き潰そうとする。 「……おい」  石が振り下ろされる前に、声をかけた。  見る限り、相手はもう致命傷を負っているが……とどめは、私が刺すべきだろう。 「私がやる」 「えっ」  ヴィルの殺気は途端に霧散し、張り詰めた呼吸や筋肉も穏やかに弛緩(しかん)していく。  困ったような表情を浮かべ、ヴィルは私の顔を見上げた。 「早く退け」 「……おう」  自称悪魔祓いは口から泡を吹き、白目を向いている。  罪は、他人に背負わせるべきではない。生きるために必要だと言うなら……そのために、奪うというのなら……  私自らが、手を汚すべきだ。 「……ッ」  思い切って、足を悪魔祓いの顔面に振り落とした。  べキッと、顔面の骨が折れる音がし……胸の内に、|。  憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。  憎い……ッ!!!  何度も、何度も。怒りに任せて足を振り下ろす。  そうだ。私はずっと……。  なぜ、奪われ続けなければならない?  なぜ、こちらから奪ってはならない?  なぜ、苦しんでまで、人を許さなくてはならない?  気付けば、足裏に響く手応えはなくなっていた。 「はぁ……は、ぁ……」  視界に、真っ赤に染まった地面が映る。  ヒトの頭らしきものは、もう、どこにもなかった。 「は……ァ、あ……」  膝が震え、地面に崩れ落ちる。  荒れ狂う感情が、何一つ言葉にならない。  これ以上理性を失わないよう、踏み固められた雪に爪を立てた。……地面を引っ掻いたところで、一度溢れ出した情動は鎮まらない。  たくましい腕に、背後から抱き締められる。一瞬、振り払おうとしたが……力強く、それでいて優しい温もりは、凍えた魂をも包み込んだように思えた。 「……片付けておくんで」  ヴィルの言葉に何と返したか、よく、覚えていない。  ぽたぽたと、地面に透明な雫が落ちる。  気付けば、私の頬には涙が伝っていた。

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