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第12話 Emotionen resonanz mit
顔を近づけたところで、足音が微かに聞こえた。
ヴィルの方にも聞こえていたのか、彼も即座に周りの様子を伺い始める。
脱がされた上着を手に取り、着込む。空気は一転し、緊張感が当たりを満たした。
「……まだ気付かれてはいない、のか……?」
耳を澄ませて、外の音を聞く。
地下室の入口は閉ざされており、雪も降っている。そう簡単には見つからない……と、思いたいのだが……
ヴィルは武器を手に取り、息を整えている。
地下室には逃げ場がない。もし戦闘になるのであれば、立ち向かうしかあるまい。
「……? この音は……?」
ふと、妙な物音が耳に入る。
何かがひび割れるような……砕かれるような……
突然、ヴィルが私の腕を掴む。「何か」を察知したのだと判断し、同じ方向へ動いた。
刹那。天井が砕け、大量の雪と冷気とが室内になだれ込む。月と雪とで明るく照らされた夜闇の中、長身の男が姿を現した。
燃えるように赤い長髪を三つ編みにした、隻眼の修道士。前髪に隠されていない左目は、金色に光り輝いていた。
「……また、悪魔祓い ですか」
私が呟くと、男ははっきりとした声で、
「ええ」
……それだけ告げた。
男は両手で拳銃を構え、躊躇 なく左手の引き金を引く。
とっさに顔を逸らせば、銃弾が壁にめり込む。一瞬、頬に焼けるような痛みが走ったが、傷は即座に癒えた。
悪魔祓いの佇 まいには、隙が全く見当たらない。どうやら、話をするつもりは一切ないらしい。
「私も……祖父も、悪魔と契約などしていません。このような体質に至ったのは、まったくの偶然です」
それでも、避けられる戦闘は避けたい。相手を真っ直ぐ見据え、対話を試みる。
……が、男は表情ひとつ変えずに答えた。
「ああ、そう」
……と。
その態度は、明らかに今までの刺客とは違った。
金色の瞳には、嘲笑も、侮蔑も宿っていない。
「これ、仕事だから」
淡泊な言葉には、一切の私情が排除されていた。
赤毛の悪魔祓いは、右手側の銃口をヴィルに向ける。
ヴィルがはっと目を見開き、背後に飛び退く。次の瞬間には、足を狙った弾丸が床に突き刺さっていた。
「……動くな、と警告しているらしい」
「大丈夫っすよ、神父様。オレが命に代えても護 るんで」
命に、代えても……か。
嗚呼……何と、惨 いことを言わせているのだ。私は。
「愚か者が……! 貴様はヒトだ! たった一発でも、当たりどころが悪ければ死ぬのだぞ!」
「……!」
怒鳴る私に、ヴィルは驚いたように目を見開く。
ヴィルの腕の「かすり傷」は、未だに癒えずに残っている。
ヒトと、そうでないもの。
……明確な「差」が、そこにはある。
「目的は私だ。……貴様は、下手に介入するな」
「だけど……!」
もう一発、銃弾がヴィルの足元に突き刺さり、硝煙の香りが漂う。
顔をヴィルの方に向けていなくとも、この射撃の精度だ。喧嘩慣れしているヴィルであっても、今回は相手が悪すぎる。
……ならば。私が戦う他ない。
ヴィルに、命を捨てさせるわけにはいかないのだから。
「どうやら……対話をする気はないようですね……!」
そう言い捨て、悪魔祓いに突っ込んだ。
銃弾が肉を破り、焼け付くような痛みが走るが……|その程度、構いはしない。
「……うそ」
相手はさすがに怯 んだのか、床に組み伏せることは容易にできた。片方の拳銃が床に転がったのを見て、もう片方を腕ごと押さえつける。
どくどくと血が流れだし、痛みで視界が明滅する。思わず呻き声が漏れるが、休んでいる暇はない。
ヴィルは、その場で固まっているようだ。
彼に罪を犯させ続けるわけにはいかない。これは、私が生きるための咎 だ。……私が、私自身が、手を汚さなければ。
悪魔祓いの首に手をかける。指が皮に食い込み、爪が肉を破る。細い血管が断たれ、赤い血が滲む。
「しま……っ、ぁ、が……ッ」
悪魔祓いは苦しげにもがくが、抜け出させはしない。このまま喉を裂くか首を折れば、相手は死ぬ。
辺りに満ちた血の香りが心地良い。傷付いた身体が血を欲する。
早く、終わらせなければ。目の前の男の首を裂き、溢れ出した血を──
「……ッ……」
ゴクリと喉が鳴る。
殺さなければならない。
生きるために、生かすために、殺さなければ。
ヴィルの手を汚させてはならない。
この手でやらねばならない。この手を、汚す覚悟を持たなければ。
私が、自らの手で、やらなければ……!!
嗚呼……だが、そんなことは……
そんなことは、赦されていいはずがない。
いつの間にやら、押さえつけた腕は振り払われていた。銃口がこちらに向く。
……「しまった」と、思った時には遅かった。
ダンッ、ダンッ、ダンッ
銃声が耳元で響く。
至近距離で放たれた弾丸が、私の胴体を貫いた。
「なッ!?」
悲鳴が聞こえる。
視線を向けると、足を影のような「何か」に絡め取られたヴィルの姿が目に入った。
……なるほど。固まっていたのではなく、拘束されていたのか。
「……ッ、動く、な……ヴィル……」
無茶をさせるわけにはいかない。
無理やり拘束を振り払えば、彼の足が引き裂かれてしまう可能性もある。
人間の足は、一度ちぎれれば簡単には繋がらないのだ。
「それが……正しい……ッ、まずは、自分を……守れ……!」
呼吸をするのも苦しいが、どうにかそれだけ伝えた。
血が顎を伝って滴り落ちる。
私の身体は痛みに耐えきれず、床へと崩れ落ちた。
私の頭に銃を突き付け、赤毛の悪魔祓いは語る。
「わたしは、マルティン・フォン・ローバストラント」
首から血を流したまま、男は名乗る。
「……フォン・ローバストラント……。どうやら……教会も、『本気』に……なった……よう、ですね……」
フォン・ローバストラント。名前だけならば聞き覚えがある。聖職者には珍しい、世襲制の「悪魔祓い一族」だ。
とある貴族の系譜で、その血を宿したものは特別な能力を持つのだという。その力を駆使し、「異形」を狩る……それが、フォン・ローバストラントという一族の生業 だ。
……「異形」の血を引く者にとっては、天敵とも呼べる。
「ちょっと喧嘩に強いだけの鉄砲玉、金に困ったスイス傭兵、ザコ悪魔祓い……そして、『悪魔 祓い一族 』のわたし。始末すればするほど、敵は強くなる……当然のこと」
「……。……ヴィル、は……」
傷口を押さえた手の隙間から、どくどくと血が溢れ、床を汚す。
ヴィルだけは……
ヴィルだけは、逃がしてやらなくてはならない。
「……さぁ。仕事の範囲外」
「……解き放って……やらねば……」
「…………そう」
意識が朦朧 とする。
「……てめぇ……ッ! ぶっ殺す!!!!」
ヴィルの声が、遠い。
「外に」
身体が宙に浮く。……いや、担ぎ上げられたのか。
視界が歪んでよく見えないが、音は聞こえる。雪の上を踏み歩く音、銃声、銃弾が弾かれた音……
「あの時、わたしを殺せたはず」
その問いに、答える力はなかった。
「神父様が優しかったから、てめぇは命拾いしたんだ」
「…………そう」
ヴィルの言葉に、マルティンと名乗った男はそれだけ返した。
振動が止んだかと思えば、冷たい感触の上に横たえられた。
柔らかい新雪が身体を包む。
月明かりに照らされた廃墟が、ぼやけた視界に映る。
「せめて、ここで眠りなさい」
崩れた聖母子像の足元が見える、
悪魔祓いの、なけなしの慈悲だろうか。
「う……」
動かせない身体の上に、温かい「何か」が覆い被さった。……ヴィルが、私を庇ったのだろうか。
死を、恐れていないと言えば嘘になる。
私は生き延びたい。……本当は、家族の元に帰りたい。
私は、いいや、私たちは、 争いたかったわけではない。誰かを憎みたかったわけでもない。
ただ、穏やかな日々を過ごしたかっただけなのだ。
そして……。……もし、赦されるのであれば……
ヴィルと、……愛する人と、共に──
「ああ、もう……やりにくいったらありゃしないわ」
その言葉が誰から放たれたものか、気付くのに時間がかかった。
「……そうよね。好きで、そんな身体に産まれたわけじゃないものね」
葛藤の滲む声音は、どうやら赤毛の悪魔祓いによって放たれているらしい。
たくましい腕に抱き起こされたのがわかる。差し出された手にどうにか噛みつき、血を啜った。
「吸血鬼にはね、捕食のための能力があるの。人間に与える印象を左右する……そんな力。フランスの方では匂い って呼ばれてるらしいわね」
寡黙 だった悪魔祓いは一転して饒舌 になり、本来ならば秘匿 事項であろう情報まで伝えてくる。
「逆に言えば……それを辿れば、居場所がわかるわ。どんなに隠れたって、多少経験のある悪魔祓いなら見つけ出すでしょうね」
……なるほど。
どれだけ逃げ隠れしても居場所を暴かれてしまったのには、理由があったということか。
「わたしが教えられるのはここまで。……今回は逃げ帰るけど……次は、会わないことを祈っておくわ」
返事をするのも待たず、マルティンと名乗った悪魔祓いはさっさと立ち去っていく。
まだぐらぐらと揺らいでいる視界に、夜闇に消えていく赤い髪が映る。長い髪を一つにまとめ、三つ編みにした髪型……そういえば、妹も三つ編みが好きだったか。
「……っ、あ……ぐ……っ、うぅ……」
追想にふける暇もなく、激しい苦痛が私を襲う。
とりあえずは危機が去ったからか、それとも、痛みを感じ取れるほど肉体が回復したのか……。
苦悶する私に、ヴィルは緊迫した声音で語りかけた。
「神父様、肩に弾、入ってますよね」
入って……いるの、だろうか。
特に、気にしていなかった。
痛みは酷いが、このぐらいの傷はどうにでもなる。
……もし、これがヴィルに当たっていた場合、取り返しのつかないことになってしまっていただろうが。
「ちょっと……いや、結構痛いかも……? でも、我慢して欲しいっす」
骨を加工した刃が私の肉を突き刺し、抉 る。
「いッ、ぁ、ぎ……っ、ぐぁあ……ッ」
肩に更なる激痛が走るが、地面に爪を立てて耐えた。ヴィルの手にした刃が肉を切り開き、弾が取り出される。ヒトならざる回復力は、深い傷をものともせずに癒していく。
ヴィルはそのまま、腿 にも貫通していない銃創を見つけ出し、同じようにして抉 り出した。
「乱暴にしてすみません、神父様」
額に、優しい口付けが落ちてくる。
「は……、ぁ……。……っ」
冷えきった手が、無骨な手のひらに包まれる。
温もりに安堵しながら、私は意識を手放した。
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