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(2022/6/2)『焦がれる』『指先に触れて』

 例えば、どんなに焦げ付くことがないという売り言葉の鍋でさえ、調理方法を間違えればいとも簡単に焦げ付いてしまう。要は調理の仕方次第なのだ。始めから調理をしなければ鍋だって焦げ付くことはない。それが一番安心で安全な方法だ。  さて僕の心という鍋は焦げ付かない。元々調理をするものが無いからね。少し調理に使うことがあっても焦げ付かない程度の火力でサッと調理して水で洗えばほらこんなに綺麗だ。 「類!」  特に用も無いはずなのに、姿を見かけただけで大声で声を掛けてくる。  ――ああ司くん君だけだ。君の前だけで僕は火力の調整を誤る。 「――司くん、今から委員会かい?」 「ああ、校内美化週間についての会議があってな!」  欠席の連絡が無い限り、全員が揃うまで開始が遅れる定例の学級委員会。僕に声を掛けている時間なんて勿体無いから真っ直ぐ委員会に迎えば良いのに。それでも、何も用が無いのに声を掛けてくれることが少しだけ嬉しくもあった。  この学校で忌避せず僕に話し掛けて来るのは寧々や瑞希、そして司くん位なものだ。 「何か用事だった?」  正直、司くんは目立つ。声が大きいから。司くんが喋り出すと他の生徒の視線も自然と集まってしまう。特に学校の中では司くんに話し掛けられると自動的に僕へも視線が集まる。好きではないのは、その時微かに聞こえる周囲の声。 「いや、特に用事は無いのだが……類の姿が見えたから声を掛けたくなってな。迷惑だったか?」  そう言って近付いた司くんがするりと絡ませてくる指先。他の誰にも見えない角度で、指先から伝わる司くんの熱。 「……迷惑だなんて、言ってないだろう」  他の誰にもバレたくないのに、態となのか司くんは時折平気でこういう事をする。司くんの声量で誰が注目しているかも分からないのに。  遠くから司くんを呼ぶ声が聞こえる。司くんの声量に慣れてしまっているから他の人の声が随分と小さく聞こえる。名残惜しいけれど仕方が無い。絡ませた指先を解く為に手を引くと司くんは指を引っ掛けて僕の手を引く。 「キスしたい」 「……はっ!?」  聞き間違いかと思った。もしくは願望が生み出した幻聴ではないかと、普段の司くんからは考えられない程の小さな声。 「すぐに終わらせるから教室で待っていてくれ!」  するりと解けてしまう司くんの手。司くんは振り返りもせずに自分を呼んだら同級生の方へと走って行く。司くんに触れられた指先が、灼けるように熱い。  司くんの委員会が終わるまで大人しく教室で待ってしまう僕はなんて素直なんだろう。言うことに従う義理なんて無いのに、それでも待ってしまうのは僕が司くんの事を好きだから。  司くんも僕を好いてくれている事は知っている。司くんはいつだって真っ直ぐだ。悪い事は何もしていないと彼が言うから、僕も司くんを信じて好きでいられる。  だけど司くんは知らない。君が思うよりずっと僕は君の事が大好きなんだ。僕に無い物を持っている君が好き。僕が自信を無くした時君はいつだって僕の考えを肯定してくれる。  だからいつだって不安なんだ。君を好きになればなる程いつか来るであろう不安を想像してしまう。君に話せばきっとその不安すら払拭してくれるんだろう。だけどね司くん、君は君で僕は僕だ。君と僕は同じ人間では無いから。君のように考えられない事が時折酷く息苦しい。  窓枠に腰掛けたまま、不意に自分の右手の指を見る。さっき司くんが触れた箇所だ。指先にまだ司くんの温もりが残っている気がして、その指に口付けた。  一説によると目を瞑って唇に指の背を当てればそれは唇の感触と間違えるのだと言う。  ――キスしたい。  司くんのあの言葉がいつまでも耳から離れなくて、目を閉じて唇の感触に意識を集中させた。  何て事は無い、指の感触がした。たださっき司くんが触れた箇所であるというだけ。そう、これはきっと司くんの指にキスをしているようなもの―― 「待たせたなる、い――?」  目を開けると教室に入ってきた司くんと目が合った。ただ自分の指の背に唇を触れさせていただけの状態で胸が高鳴った。恥ずかしい事など何ひとつしていない筈なのに、司くんに見られているというだけで酷く恥ずかしかった。 「類」  怒っているのか、早足で司くんが窓際に近付いて来る。顔横のガラスに司くんは手を付いて、『壁ドン』ならぬ『窓ドン』の状態で僕を見上げる。僕はガラスが割れないかひやひやしていた。司くんの力程度でガラスが割れるとは到底思えないけれど。 「類」 「あ、うん、何? 司くん」 「指にキスするなら、せめて俺の指にしろ」 「………………はい?」  司くんの複雑な表情の意味が分かったような、分からなかったような気がする。やっぱりさっきのは聞き間違いだったのかと首を僅かに傾けたら意外なほどするりと口から出てしまった言葉。 「……指で、良いのかい?」 「嫌に決まっている!! キスといったら唇! 当然唇同士だろうが!!」  何故か怒られた。全く腑に落ちない。  その日から、僕と司くんの間に小さな合図が出来た。  司くんは僕に話し掛ける前、考え込むようにさり気無く指先で唇に触れる。そしてその指をまた誰にも見えないようにそっと絡ませて来る。  司くんが去った後、誰にも気付かれない様にさり気無く、僕はその指で自分の唇に触れた。

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