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第14話 レイ
ユーシーは灰色に濁った低い空を睨んだ。
重い鈍色の雲が、並び立つビルの少し上を流れていく。風はいつも以上に湿気を帯びて肌にまとわりつき、雨の匂いを運んできた。
嵐が来る。
空の色と風の匂いで嫌でもわかる。
ユーシーは自分の部屋には帰らずジンの家に向かった。
こんな日に、家に独りでいたくなかった。
嵐の夜は苦手だった。唸る風の音も、窓に打ち付ける雨の音も、昔の記憶を呼び起こすので嫌いだった。トタン屋根に打ち付けるうるさい雨音、何もかも吹き飛ばそうとする暴風の音に怯えた夜は、いまだにユーシーの記憶に焼きついて消えない。
そうなれば、行く場所はもう多くなかった。胸にうっすらとまとわりつく寂しさは、一人ではどうにもならない。
ユーシーはタクシーを降りて街を歩いた。嵐の前の妙な慌ただしさが街を包んでいた。看板をしまいシャッターを閉めて早々に店じまいしているところもいくつも見える。
雨粒が頬で弾けた。ビルの間を抜ける風も心なしか強くなっている。
嵐を迎える支度をする人々を尻目に、こんな気持ちまで何もかも根こそぎ吹き飛ばしてくれないかとぼんやりと考えた。
ジンの部屋に着いたユーシーが呼び鈴を押すと、間も無くジンが出てきた。
「お前、どうした?」
ユーシーの姿を見るなり、ジンは目を少しだけ見開いて驚いたようだった。
「……暇、だったから」
嘘だった。本当は、少しでも甘やかしてくれる誰かのところにいたかった。ジンの部屋はユーシーの部屋よりも新しく、嵐の日の避難先にはうってつけだった。
「ほら、上がれ」
そんな意図もわかっているのか、ジンは何も言わずにユーシーを招き入れた。靴を脱いで上がる。
足元に革靴が目に入る。ジンの靴だろうか。違うような気もする。そうやって革靴に気を取られたユーシーより先に、ジンが口を開いた。
「お前を買い上げたルイって奴のことだが、何者だ?」
ユーシーが視線を持ち上げると、淡々とジンが続ける。
「まるで情報がない。偽名か、じゃなきゃ幽霊だな」
ユーシーを先に通し、ジンがそれに続く。
自分が散々頭を悩ませている相手を幽霊だと言われると何だか少し頭にきて、ユーシーは口を尖らせた。
「幽霊、って、幽霊がホテルのスイートに泊まるのかよ」
「ホテルのスイート?」
ジンが聞き返した。
「なんだっけ、セントラルの、フルーツみたいな名前のホテル」
ユーシーはジンを振り返るとうろ覚えながらルイの泊まっているホテルの名前を口にした。普段興味を持っていないせいで、フルーツみたいな名前ということだけ記憶に残っていた。
「早く言え」
ユーシーの曖昧な記憶だけでジンはわかったらしい。欲しかった情報だったらしく、ジンの指先がユーシーの額を弾いた。
「ってぇ」
別に隠していたつもりもない。訊かれていればフルーツみたいな名前と答えただろう。
弾かれた額をさすりながらリビングへ着くと、張りのある低音が聞こえた。
「ユーシー」
名前を呼ばれたユーシーは声の方に視線を向けた。
いつもジンが座るソファには、すらりと長い手足を組んで、ユーシーを見つめる美しい男の姿があった。
頬のラインで切り揃えられた絹のような黒髪。長いまつ毛に縁取られた、意志の強さを感じさせる丸みのあるアーモンドアイがユーシーを捉えている。鳶色の双眸は鋭く冷たい。長めの前髪を耳にかけた、精悍さのある整った顔立ち。年齢はジンと同じくらい。上品な雰囲気の、細身のスーツを纏った男。
「レイさん」
ユーシーは咄嗟に男の名を口にする。
香港にひしめく数多の組織の一角、黒蝎会。ジンが所属し、ユーシーに仕事を依頼している組織の名だ。レイはその幹部で、ボスの後継者とも噂される切れ物だった。ジンをはじめ、部下からの信頼も厚い。
その辣腕ぶりから黒蛇とも呼ばれるレイは、この辺り一帯を仕切っていた。
部屋にはレイとジン、ユーシーの、三人が揃う。
ジンは空いたソファに座り、ユーシーはレイのそばに歩み寄る。
「ユーシー、久しぶりだな。ジンから聞いた」
レイは目を細め、手を差し伸べる。ユーシーは吸い寄せられるようにその手に手を重ね、レイの傍らに立った。
そのまま腰を抱き寄せられ、レイの足に乗り上げ、跨って座るような体勢になる。
「問題無いとは思うが、念のためボスに確認中だ。待たせてすまないな」
レイの美しい指先が、ユーシーの髪を撫でる。
レイも、ジンと同じく拾われたユーシーに対して色々と手を尽くしてくれた。警察や役所にパイプを持つレイは書類周りを全て揃えてくれたし、部屋の契約も、レイがしてくれた。
「わかりました。ありがとうございます。レイさん」
「お前がいなくなるのは寂しいな。俺は家族みたいに思っているよ」
レイの手が髪を撫で、頬に滑り降りる。その指先に別の意図を感じ、ユーシーの肌の温度が上がった。
「俺、も……」
レイの手のひらがユーシーの頬を撫でた。温かく滑らかな指が、くすぐるように頬をなぞる。
ユーシーが喉を鳴らすと、レイがアーモンドアイを細めた。それだけでユーシーの心臓は鼓動を早め、腹の奥が条件反射のように疼く。
ユーシーの身体は、いつか見たレイの獰猛な本性を憶えていた。
「このところ、立て続けに頼んでしまって悪かったな」
「ん、大丈夫、です」
はしたなく上擦りそうになる声をなんとか抑えて、ユーシーは小さく首を振った。
「近いうちに、もう一件、頼んでもいいか? 準備をしてる仕事がある。それを頼みたい」
「わかりました」
断る理由がない。ユーシーにとっては、なくてはならない依頼元だ。
「いい子だ。ご褒美をやらないとな」
ご褒美。その言葉だけで、ユーシーの身体は甘く疼く。レイはそれも見通しているのか、頬の感触を確かめるように、手のひらでしっかりとユーシーの頬を包む。
ユーシーはレイの手のひらにキスをする。張りのある皮膚にやんわりと歯を立て、舌を這わせた。
「今日は甘えん坊だな、シャオユー」
そうやって呼ぶときは、レイのスイッチが入った時だ。低くよく通る声は甘い響きを含んでユーシーの鼓膜を震わせた。
「ん、む」
唇をなぞる指をしゃぶると、レイは指先で舌を撫でた。爪先で舌のピアスを弾いてやるとユーシーの瞳は甘く揺らぐ。
「欲しいか?」
ユーシーが滲ませた劣情に応えるように、レイの声が低く甘く熱を帯びる。
蜂蜜色の双眸を蕩かせ、ユーシーはこくりと頷いた。
ユーシーがレイに抱かれることを覚えたのは、セックスを覚えて間もない頃だった。
いつものように仕事の後、ジンに相手をさせていたところにレイがやってきた。当時は何度か顔を合わせたことはあったが、あまり話したことはなかった。ジンの上司という認識はあったが、それだけだった。
ジンに抱かれるユーシーを見ても、レイは眉ひとつ動かさなかった。それどころか楽しそうに目を細めたのだった。
「ジンのは奥まで届いて気持ちいいだろう?」
セックスを見られるのは初めてで死ぬほど恥ずかしかった。
「もっと、気持ちよくしてやろうか」
吹き込まれた甘い声に、脳髄まで痺れたのを覚えている。
体位を変え、背面座位でジンに後ろを攻められながら、震える肉茎をレイが咥えた。
初めての体験だった。
前からも後ろからも責められ、逃げ場のないまま、快感ばかり過剰に与えられてユーシーはすぐにいった。それでもレイは離してはくれず、立て続けに二度絶頂を迎えた。
その後は、座ったジンに凭れ掛かり、正面からレイの相手をした。
頬にかかる黒い絹のような髪。レイの上品な雰囲気を纏った細身の体には絡み付く蛇が描かれていた。
引き締まった腹の下には、薄い下生えとうねる血管の絡んだ赤黒い幹が見えた。丸く張りのある先端に、大きく張り出した雁首。中性的な雰囲気のあるレイには不釣り合いなグロテスクな雄の象徴は、しゃくりあげ、透明な先走りを垂らしていた。
「レイ、さん」
「どうした?」
「それ、入るの?」
「ああ」
ユーシーの素朴な疑問に短く答え、手早くコンドームを被せたレイは、ローションを垂らし、ユーシーの蕾に自身をあてがった。
先程までジンを受け入れていた蕾は、レイの先端が押し付けられるとしゃぶりつくようにキスをした。
「シャオユー、ゆっくり息をして」
ゆっくりと、レイが中に埋まっていく。未熟な肉洞を押し拡げ、時折不規則にひくつく中をゆったりと掻き分け進んでいく。
「はっ、あ」
レイの刀身はユーシーの中を隙間なく埋め、奥の襞に先端が当たる。
「よくできたな、シャオユー。動くぞ?」
レイがゆったりと腰を動かす。余すところなく雁首の段差が蹂躙する。浅瀬から奥まで、まだ無垢な肉洞を掘削し、快感で染め上げる。
奥を捏ねられ、襞は甘えるようにしゃぶりついた。
未熟な前立腺をすり潰され、奥の襞を捲られ、絶頂に押し上げられたユーシーは潮を吹いた。
その後も手加減なしで限界量の快感を与えられ、ユーシーは、呆気なく意識を飛ばした。
上品な雰囲気に反してレイの獰猛で濃密なセックスは、ユーシーには初めての体験だった。
レイとのセックスには、時々ジンが加わる。レイの命令で渋々といった風だが、ジンはいつもより優しくしてくれるので好きだった。
今夜も例に漏れず、レイはジンに声をかけた。先程からレイの向かいのソファで静かにしているジンにちらりと視線を向けた。
「ジン、お前も混ざれ」
レイの声を聞いたジンはため息とともに項垂れた。
「はあ、やっぱりうちでやるんすか」
「不満か?」
「……ベッド汚さないでくださいよ」
「は、ベッドごと買い替えてやるよ」
そんなやりとりをしながら、レイはユーシーを膝から下ろして立ち上がり、ユーシーをバスルームへとエスコートする。
「準備しような、シャオユー」
レイに手を引かれながらジンを見遣ると、ジンは行ってこいと手振りで示した。
脱衣所に入ると、レイはユーシーの前に膝をついた。
「っあ、おれ、自分で……」
レイを制しようとしたユーシーの手は、レイの薄い笑みでやり場を失う。
「たまにはいいだろう?」
レイは涼しげな双眸を細め、澱みない動きでユーシーの服を床に落としていく。下着と靴下まで脱がせたところで、レイは立ち上がり、ネクタイを解き、ジャケットとシャツを脱いでいく。上半身を覆うものがなくなり、しなやかな肉体に巻きつくように描かれた大蛇が姿を現した。
色の白いレイの身体に、ユーシーと同じく黒一色で描かれた大蛇は、レイの右胸の辺りで牙を剥いていた。
もう何度も見たことはあったが、ユーシーは思わず見惚れた。
ベルトを外す小さな金属音の後、スラックスが床に落ちる音がした。下着も落ち、靴下も放られた。レイのしなやかな肢体が晒される。全身に纏うしなやかな筋肉から繰り出される鋭い蹴りを、一度だけ見たことがあった。
「どうした?」
レイに顔を覗き込まれて、ユーシーは頬を染めた。
ユーシーにとって、レイは畏怖と憧憬の対象だった。だから、セックス以外でこんなに触れ合う日が来るなんて思わなかった。
兄のように慕うジンよりもずっと遠い存在だった。時々抱かれるのも正直怖かった。何か粗相をしないか、怒られないか、いつもドキドキしていた。
思えば、レイはいつも優しかった。無理矢理することはなく、ユーシーの様子を見ながら抱いてくれた。
「お前の刺青は、いつ見ても綺麗だな、シャオユー」
一糸纏わぬ姿でレイに引き寄せられる。肌に直接触れるレイの体温が心地好くて、ユーシーはおもわずため息を漏らした。緊張が、少しだけ解けた気がした。
「後ろの支度、しないとな」
優しい声に促され、ひやりとするバスルームに踏み込む。
向き合って抱き寄せられたままシャワーを浴びせられ、丁寧に全身を洗われた。レイの手は優しく、余すところなくユーシーの肌を撫でていった。
レイとシャワーを浴びるのは初めてだった。レイは淡々と、それでいて穏やかな表情でユーシーの世話を焼いてくれた。
そのあとは、丁寧に拭き上げられ腹の中を洗われ、後孔にローションが仕込まれた。
ずっと向き合ったまま、レイとはどこかしら身体が触れ合っていた。絶えずレイの温もりが側にあって、ユーシーは甘えるようにレイに体を預けた。
準備のできたユーシーの窄まりにレイの指が触れ、小さな水音が立った。
「あ、ぅ」
「随分と柔らかいじゃないか。例の、ルイとしたのか?」
後孔にレイの綺麗な指が潜り込む。連日の行為もあってユーシーの蕾は柔らかく解けていて、抵抗なくレイの指を受け入れた。
レイはジン以上に鋭く、下手な嘘などレイには通用しない。
「ん、ルイと、した」
「ふふ、正直だな」
レイが笑ったのが気配と声でわかった。話をしながら中をゆるく掻き回され、ユーシーは腰を震わせた。中を意識して指を締め付けてしまう。
「ルイのところに行きたいか? シャオユー」
「あ……」
まさかこんなタイミングで訊かれるとは思っていなかったユーシーは返答に詰まる。指を咥え込まされて緩い快感を与えられながら、そんな真面目な話をすることになるなんて夢にも思わなかった。
叶うならルイのところに行きたい。しかしながら、自分がそれを望んでもいいのか、レイを前にするとわからなくなった。
レイにはそうそう返しきれないくらいの恩がある。ジンに対してもだ。それを放り出してルイのもとに行くなんて、許されないだろうとユーシーは思った。
「どうしたい? 怒らないから、教えてくれるか?」
レイの声色はどこまでも優しい。心地好い低音が甘やかに鼓膜を震わせて、ユーシーはため息をついた。
後孔に含まされた指は浅いところを緩く掻き回して、緩やかな快感が腹の底に生まれる。
「っあ、いき、たい、レイさ、ごめんなさ……」
「どうして謝るんだ?」
窄まりの中に埋められていた指がそっと引き抜かれる。抜けていく快感に、ユーシーは息を詰めた。
「っ、おれ、なにも、返せない、から」
レイにはたくさんお世話になった。何もかもやってもらったのに、何も返せないでいるのが悔しかったし申し訳なかった。
「そんなこと、気にしなくていい」
レイの形の良い唇が額に触れる。
レイがそう言ってくれるなら心強い。ジンの上司でもあるレイがそう言うなら、きっとジンもそう言うだろう。
しかしながら、ユーシーが躊躇う理由はもうひとつあった。
「それに、俺、多分、ルイには合わない」
ユーシーは少し俯いて、額をレイの肩口に押し付けた。
「ルイに言われたのか?」
ユーシーは首を横に振る。
「ルイには、殺し屋だって言ってなくて。ルイは俺とは違う。きっと、許してくれない」
思い出して、胸に砂でも詰められたような重苦しさを感じた。
一般人から見た殺し屋がどういう存在なのか、ユーシーはわからない。それでも、あの昼の街と人々を見れば、自分が彼らとは異質なものだということはわかる。
だからきっと、自分はルイに拒絶されると思ってしまう。そう思うとまた胸が痛んだ。
「言ってみたらどうだ?」
レイからの言葉は思わぬものだった。そんなこと、そう簡単に漏らすなと言われるのではないかと思っていた。
「え……」
「それでダメなら、俺に言えばいい。いいと言うまでたっぷりと締め上げてやる」
レイは悪戯ぽく笑った。レイがそんな顔をするのは意外だった。初めて見るレイの表情に呆気に取られたユーシーは、なんだかおかしくなって笑った。
「ありがとう、レイさん」
額をレイに擦りつける。レイの温もりをより濃く感じる。腰を抱くレイの手がユーシーを引き寄せた。
「だが、あまり誰彼構わず抱かれるなよ、シャオユー」
耳元に吹き込まれる囁くような低く甘い声に、ユーシーはこくりと頷く。募る期待に、身体がまた少し熱くなった。
「いい子だ」
レイがユーシーの身体を抱き竦めた。触れ合う肌が熱い。二人分の呼吸が、バスルームに密やかに響く。
「ベッドに行こうか」
レイの甘やかな声に、ユーシーは黙って頷いた。
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