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第13話 雨の街
すっと瞼が開いた。
急に浮き上がった意識はまだぼんやりしていて、視線だけで辺りを見回す。
薄暗い部屋を、淡い金色が照らしている。茶色を基調にした落ち着いた調度品が見える。カーテンの向こうから漏れる薄明かりに、夜明けの気配を感じた。
緩く身体に巻き付いたルイの腕を抜け出し、ベッドを降りる。
早朝の冴えた空気はうっすらと湿気を孕んでいた。
胸の辺りにはなんだか物悲しい気分がずっと纏わりついている。
カーテンを少し開けて見上げれば、すぐ近くに見える、ユーシーの気分を映したような、灰色に烟る空。音もなく、霧のように舞う雨。その下には昏く沈む海と灰色に霞んだ街が見える。
どうしようもなく寂しくなって、ユーシーはベッドに戻った。静かに寝息を立てているルイの懐に潜り込む。温かい。
この温もりを失うのが怖い。
堪らず縋りついたルイの身体は温かくて、また泣きそうになる。
「シャオユー、寒い?」
ルイの眠たそうな声がした。いつもよりも柔らかく甘い声は素直に甘えたくなる響きで、ユーシーが小さく頷く。
「肩が冷えてる。おいで」
苦しくなるくらいしっかりと抱きしめられる。温もりが濃くなって、ユーシーの胸は幸福感で満ちた。
ルイの体温に包まれると、安心する。この男が与えてくれる安心とか安らぎとか、そういった穏やかなものは、ひどく濃く甘くユーシーを包んでくれる。
その温もりが染み渡る頃には、ユーシーは再び意識を手放していた。
昼前になっても、雨は止んでいなかった。
目覚めたユーシーの隣では、ルイがスマートフォンで天気予報を確認している。
「今日は一日雨みたい」
ユーシーが目覚めたのに気付いたルイはユーシーの額にキスを落とす。ルイの声は少しだけ寂しそうで、ユーシーはルイの頬に手を伸ばす。
「俺、雨の街は好きだよ」
ユーシーがルイの頬を撫でると、ルイは嬉しそうに笑う。
「じゃあ、出かけようか」
「しないの?」
昨日は結局何もせずに寝てしまった。ユーシーの身体はルイを欲しがっている。このままルイと身体を重ねる気でいたユーシーは肩透かしを食らった気分だった。
「したら出掛けられなくなっちゃうかも」
「いいよ、それでも」
ルイは眉を下げ、不服そうなユーシーの頬を撫でた。
「デートはしたいから、帰ってきたらたくさんしようか」
ユーシーの裸の肩に、ルイが唇を寄せた。
ホテルを出て、一つの傘に入って、肩を触れ合わせて並んで歩いた。濡れて少しひんやりした空気が心地好く世界を包んでいる。
観覧車の見える海辺の道を歩く。雨のせいか出歩く人は少なく、灰色の空の下、観覧車は物寂しげに佇んでいた。
「お腹すいたな。シャオユー、おすすめの店はある?」
「俺のよく行く店でいい?」
「教えてくれるの?」
「いいよ」
二人はタクシーで対岸の九龍エリアに向かう。
ユーシー行きつけの藍真粥店を教えると、ルイは子どものように喜んだ。
二人で中華粥を食べ、ルイのリクエストで小籠包を食べ、市場を歩いた。
それから、部屋に帰ってシャワーを浴びて、ベッドで戯れ合った。
雨の街で冷え切った身体を、シャワーでも温めきれない身体を、ぴったりと触れ合わせる。体温が混ざって、熱が生まれて、うっすらと汗が滲んだ。
抱き合って、胸に生まれた不安を紛らわすように身体を繋げる。
素肌に触れるルイの温もりが心地好い。このまま、濡れた肌が溶け合ってほしかった。
「ルイ、ぐちゃぐちゃにして」
泣きそうな気分だった。考えはもうずっとまとまらず、頭の中でとっ散らかっていた。
ひどくしてほしい。泣いて喚いてもやめないでほしい。そんな気分で自分をシーツに押し付ける男を見上げる。
ひどくされても、嫌いになれるわけがないのに。
ルイは少しだけ悲しそうに笑って、ユーシーの唇を塞いだ。
湿った音を立てて粘膜を擦り合わせ、二人は快感の海に潜る。
肺の奥まで快感で埋めて、このまま溺死させてほしいとユーシーは思う。
二人分の荒い息遣いが秘めやかに部屋に響く。
ルイはユーシーの舌を絡め取り、唾液と体温を混ぜて飲み込んだ。
合間に絡む視線はひどく優しい。アイスブルーの瞳は甘く蕩け、灼けつくようなような情欲を孕んでいた。心臓を直に掴まれているみたいに、心臓が締め付けられる。
ルイの舌はユーシーの粘膜を丹念に撫でていく。綺麗に並ぶ歯をなぞられ、ざらりと口蓋を撫でられると、柔い快感が神経を駆けた。
くぐもった声を上げるユーシーの唇が解放される。薄い唇は赤く色付き、唾液でてらてらと光っていた。
依然としてユーシーは眉を下げ、濡れた琥珀色がルイを見上げていた。
「シャオユー、そんな顔しないで」
「どんな顔?」
「泣きそうな顔してる」
「元からこんな顔だよ」
震える声で吐いた悪態に、ルイは微笑みを返す。
「いっぱい、よくしてあげる」
柔らかな唇が、慰めるように優しくあちこちに触れる。
ルイの手は、優しくユーシーの身体を拓いていく。もう何度も身体を重ねているのに、まるで初めてするみたいに、丁寧に、優しく、ユーシーの身体を拓いていく。
節の目立つ指が、ローションで濡らされた窄まりに潜り、熱い粘膜を撫で、しこりを探り当てる。慰めるように優しく撫でられると、それだけで腹の底からじわじわと熟れた快感が湧いてくる。
ユーシーの薄い腹筋がひくりと震えた。
指が足され、二本の指がしこりを撫でる。輪郭を確かめるように、二本の指がゆっくりと往復する。
それだけでじわりと悦楽が湧き上がり、ユーシーの心臓の裏を灼く。
唇から漏れる吐息が熱い。
中は歓喜に震え、ルイの指を締め付ける。
ルイの指先に浅瀬をじっくりと撫でられ、奥が切なく疼いた。
「るい」
「シャオユーの中、トロトロだね。気持ちいい?」
「ん、気持ちいい、おくも、して」
「そうだね、シャオユーは、奥が好きだもんね」
奥、と口にするだけで、胎の奥を意識してしまう。もう何度もこじ開けられた胎の奥は、せつなげに疼いた。
「はや、く」
急かすユーシーの蕾から指が抜かれ、熱いものが押し当てられる。
待ち望んだその質量に、ユーシーは息を飲んだ。
「ほら、息して、シャオユー」
触ってもいないのに、既に臨戦体制のそれが押し当てられる。熱く、先走りで濡れた先端が、期待に戦慄く窄まりにゆっくりと埋まっていく。
深くゆっくりと息を吐くと、ルイの手が優しく胸を撫でた。
「そう、上手だね、シャオユー」
時々喉を引き攣らせながら、ゆっくりと息をする。
鉄の芯が入ったような怒張にはいく筋も血管が浮き、その凹凸すらユーシーの粘膜は拾い上げ快感に変えた。
熱い肉杭は、肉洞をこじ開け、熟れたしこりを弾いて、中を満たしていく。
脳髄まで痺れ、蕩けるような快感が全身に満ちる。
奥に待ち構える襞も、もはや何度も拓かれルイを迎え入れることに慣れてしまった。
媚びるように吸い付き、何度もキスされて容易く陥落する。
心地好い締め上げで雁首を刺激すると、ルイが息を詰めるのがわかる。
どちらも言葉をあまり発せず、ただ荒い呼吸と、甘やかな喘ぎが部屋を埋めた。
すっかり解れた窄まりを、皺が伸びきるくらいに拡げ、ルイを根元まで咥え込む。
ユーシーの中はすっかりルイのかたちを覚えてしまった。奥の襞は簡単にルイを迎え入れ、柔い粘膜を捏ねてほしいとねだるようにしゃぶりついた。
「シャオユー」
熱のこもった声が耳殻をくすぐる。合間の吐息まで、いやらしく吹き込まれ、ユーシーは身体を震わせた。
溺れるほどの快感を与えられているのに、胸にはずっと冷たく重たい不安が居座る。
そんなもの全部吹き飛ばしたいのに、簡単には消えてくれない。
「るい、るい」
もっと欲しくて、泣きそうな声を上げてしまう。
突き放すかどうかも決められない。
縋る手を離すこともできない。
ただ甘ったれた声でルイを呼ぶしか出来なかった。ひと突きごとに、甘い声が漏れるのが止められない。身体の中に生まれる快感は濃くなるばかりで、頭の中はぐずぐずに溶かされてもう何も考えられない。
「きもちい、るい」
ただルイに与えられる快感を享受して、甘い声を上げるだけしかできなかった。
「るい、すき、すき」
もう自分が口にする言葉の意味もわからず、ただ譫言のように繰り返す。
時が経つのも忘れて、ユーシーはルイを求めた。
揺すられ、中を蹂躙され、甘く爛れた声で散々泣いて喚いた。
滲んだ視界に映るルイは、眉を下げて困ったような顔で微笑み、ユーシーが意識を手離すまで、何度もその唇で愛を囁いた。
何かを焦がしたような、覚えのあるいい匂いで目を覚ます。コーヒーの匂いだった。隣の部屋からだろうか。寝室にまで、コーヒーの香ばしい匂いが流れてくる。
微かに話し声が聞こえる。何を話しているかまでは聞き取れないが、ルイの声だ。
ルイが隣の部屋で電話をしているようだった。
ユーシーは気怠い身体を起こす。目は心なしか腫れぼったいし、喉も少し痛む。
ベッドの上で膝を抱える。一人きりのベッドは広くて、少し肌寒かった。隣を弄っても温もりはない。それが少し寂しくて、胸がちくりと痛んだ。
流れてくる話し声が途切れ、足音が近づいてくる。
「シャオユー、おはよう」
ルイがコーヒーの香りを纏ってやってきた。
「おはよ。仕事?」
「うん」
「熱心だね」
ルイは少しだけ悲しげに笑って、額に唇を寄せた。
「喉は大丈夫?」
「ん」
声にはまだざらつきが残っていた。
「飲み物用意するね」
さらりと髪を撫でられ、踵を返したルイを見送る。
そのままぼんやりとベッドの上で過ごして、夕方になった。ルイはずっと隣にいてくれた。
見上げれば笑みを返し、名前を呼べば甘やかな口づけで応えてくれた。
「なぁ、もし……」
ユーシーは言いかけて、慌てて言葉を飲み込んだ。
自分が言いかけたことを頭の中で反芻して、ユーシーは愕然とした。
『もし俺が、人殺しだったらどうする?』
そんなことを聞いて、どうするつもりだったのか。
やめろ。
やめろ。
これ以上踏み込むな。
頭の中で、自分が警鐘を鳴らす。
「シャオユー?」
黙り込んだユーシーの顔を、ルイは心配そうに覗き込む。茶色い髪が揺れ、不安げなアイスブルーがすぐそこにあった。
「ん、そろそろ帰らねーと」
ユーシーは誤魔化すように笑ってみせた。
着替えを済ませてドアの前に立つ。
「シャオユー、嵐が来るよ」
ルイの瞳は不安げに揺れていた。
「そういうもんだよ。この時期の、この街は」
夏になると、この街には定期的に嵐がやってくる。南の海でエネルギーを溜め込んで、フラストレーションを爆発させるように、街を荒らしていく。
いつまで経っても好きにはなれないが、もう慣れた。
せいぜい一晩かそこら。部屋に閉じこもってやり過ごせばいい。
でももう、ここにいてはだめだ。
「行かないで」
ルイの手が、ユーシーの手首を捕まえた。
その力の強さに、ユーシーは驚いてルイの顔を見た。
アイスブルーの瞳を悲しげに曇らせて、ルイがユーシーを見つめていた。捨て犬みたいな顔だと思った。
何でそんな顔するんだよ。
苦々しい気持ちになって、思わず声を上げそうになった。
「もう、行かねーと」
「おねがい、行かないで」
引き寄せられ、抱きしめられた。
本当に行かせたくないのだろう。身体中から、その気配を感じる。るの身体は少し震えていた。
ユーシーは宥めるように、その背中に腕を回して撫でる。自分よりも逞しい背中が、ひどく頼りないもののように思えた。
「ルイ」
「シャオユー」
甘えるような、細く震える声が聞こえた。
「駄々っ子みたいだな、ルイ」
ユーシーは穏やかな声で続けた。
「嵐が行ったら、また、来るよ」
「絶対、ね」
「ふふ、わかった」
名残惜しげに、ルイの唇が触れて離れた。
もう来ない方がいいと思うのに、帰りたくなかった。
そんな思いを振り切るように、ルイの視線から逃げるように、ユーシーは部屋を出た。
部屋を出てから買ってくれた服を置いてきたことに気づいたが、もう取りに戻る気にはならなかった。
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