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第6話

葬儀の日は雨が降っていた。 ボトムの教会の裏手、普段は閑散とした墓地に喪服姿の人々が続々と馳せ参じ、片隅に建てられた真新しい墓を取り囲む。 「主は羊飼い わたしには何も欠けることがない。死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭 あなたの杖。それがわたしを力付ける」 聖性すら帯びて透徹した声音が天地を縫い止める雨と交わり、静謐な余韻を広げる。 額に張り付く赤毛の先で膨らむ雫をものともせず、背筋を律して聖書を読み上げるのは、漆黒のカソックを纏った神父。 最前列の女は肌に鱗が浮いた幼女を抱いていた。礼服用のシックなワンピースに身を包み、親指をしゃぶっている。 ただでさえ大きな瞳を不思議そうに瞬き、凝然と見据える先には等身大の棺が置かれていた。 「|妈妈《マーマ》にお別れしましょうね」 レースのベールを下ろした女が涙声で言い聞かせ、シーハンが吸っていた親指をそっと外す。 生前の夜鈴と親しくしていた娼婦で、一時的にシーハンの子守を引き受けていた。 その横で舎弟が洟を啜り、別の女の嗚咽が高まる。 こぢんまりした墓地に集った人々の多くは、夜鈴の早すぎる死を心から悼んでいた。 余程人望があったらしい。 マフィアの中堅幹部の愛人の葬儀には異例といえるほど参列者が詰めかけ、それぞれが手を組み、または十字を切って冥福を祈る。所作がややぎこちないのはキリスト教の慣習に慣れてない為。 葬儀も佳境にさしかかり、男たちの手によって穴底に下ろされた棺の扉に湿った土が敷き詰められていく。 母の遺体をおさめた棺が土の褥に包まれる様を、シーハンは自閉した表情で見届けた。 「可哀想に。小さすぎてわかんねえんだ」 「三歳だもんね」 「目の前で……でしょ。そりゃショックよ、一生トラウマになるんじゃないの」 「大哥も惨いことをする」 群衆の列から陰口が漏れる。穴の底に安置された棺は土に覆われ、やがて完全に見えなくなった。 「汝の魂に安息が与えられんことを」 聖書を畳んで弔いを締めくくる神父に続けと、皆が瞠目して黙祷する。 帰り支度を始めた参列者たちの話題は、この場に不在の喪主の消息に尽きた。 「呉哥哥は?」 「娼館貸し切って豪遊。ガキまでこさえた女の葬儀すっぽかして、血も涙もねェ」 「さすがに引くなそれは」 「もとからめちゃくちゃな人だったが最近は……正直付いてけねえ。箍が外れちまった」 「護衛は処分されたんだっけ?まあ仕方ねえか、煙草喫いに出た間に強盗入られるなんて間抜けすぎるぜ」 「子供は?里子にだすのかしら、言っちゃなんだけどあの人じゃ育てられないでしょ」 「死んだ女房のダチが面倒見てるらしいが……」 「老大哥が目をかけてくれんだろ。だって」 「そこの方々」 だしぬけに呼び止められ、男女が振り向く。 「静粛に」 神父が口元に人さし指を立て、目が笑ってない笑顔でたしなめる。 「墓地を出るまでがお葬式です。死者の眠りを妨げることがなきように、良心的な配慮をお願いしますね」 「ボロ教会の神父が偉そうに」 マフィアの一人が喧嘩腰で言い返し、糸目の奥から覗く剣呑な眼光に気圧される。 「異議をお申し立てになられますか」 口調と物腰こそ礼儀正しく穏やかだが、全身から放たれる威圧感は間違いなく人殺しのそれ。 きまり悪げに去ってく人々を見送り、雨に煙る墓前に立ち尽くす。 「ご挨拶が遅れてすいません、当教会を預かる神父……稼ぎ名をナイトアウルと申します。貴女の伴侶には昔から大変手を焼かされておりました。さしずめラトルスネイク被害者同盟というところでしょうか、どうせなら生きてるうちにお会いして愚痴を零し合いたかったですね」 親しげな口調で独りごち、レンズの奥の糸目に諦念と達観を帯びた微笑を含む。 「案外気が合ったかもしれませんね私たち。お互い苦労人ですし、暴れん坊のガラガラ蛇に振り回されて迷惑していた」 であったときから死に急いでいるようなあの男に、家族ができたことを喜んでいた。 漸く拠り所を手に入れられたのだと。 参列者が一人また一人と散り、うらぶれた墓地に居残る物好きは神父を除きごく僅か。 「良い葬式だった」 しわがれた声に振り向けば、ゆったりした長袍を羽織った好々爺然とした老人が待ち構えていた。 鷹揚な労いに握手で返礼し、聞く。 「貴方は」 「浩然の後見人の|王《ワン》じゃ。蟲中天の幹部……円卓の一席、大三元を務めておる」 ラトルスネイクを下の名前で呼ぶ人間は珍しい。 マフィアの席次には疎いが、元相棒の入れ知恵を信じるなら、蟲中天の大三元はトップの参謀的地位をさす。 「進行役を任せてしまってすまない。本来アレが取り仕切るはずなんじゃが、女房の葬儀をサボるとはあきれた奴め」 「気まぐれには慣れておりますので」 「長い付き合いなのか」 「腐れ縁です。賞金稼ぎだった頃は組んでいました」 「君もか。人は見かけによらないね」 「よく言われます。呉氏は」 「所在は掴めん。風の噂じゃ派手に金をばらまいて遊び歩いとるらしい。自暴自棄になっとるのか……店の備品を叩き壊す位なら可愛いものじゃが、大枚積んでも人は生き返らんというのに」 さらりと物騒なことを言い、愉快げに含み笑って。 「無事に埋葬を済ませてもらって助かった。代わりに礼を言うよ」 「恐縮です」 「夜鈴もあの世で喜んでおる。しかしまあ、浩然のヤツめ本当に天邪鬼というかひねくれものといおうか。マフィアの親族用の墓地を手回ししておったのに、どうしてもここに埋めたいと言って聞かなんだ。余程昔馴染みを信頼しておるらしい」 通常の教会はマフィアやその親族の埋葬を嫌がる。時に見せしめとして墓が暴かれ、関係者が報復をうけるからだ。 「子供はどうなるのでしょうか」 「ヤツに育てられるとは思えんが。もとより父親の自覚の足りん男じゃ」 「そうでしょうか」 『あんよが上手、あんよが上手っと』 神父を滅茶苦茶に抱いた後、帰り支度をしながら呉は言った。 『手拍子聞こえる方にとっとこ歩ってくんの、おもしれー。夜鈴と同時に叩いて、どっちがたくさん呼べっか試してんだ。賭けに負けたら寝かし付け担当だとよ』 「何、悪いようにはせん。手に余るなら良い養子先を紹介してやる、浩然の娘とくればワシの孫も同然じゃからな」 王が見た目通りの好々爺ではないことを神父は知っている。少年時代の呉をペットの大蛇と絡ませた男が、まともな人物であるはずない。 「君も力になってやってくれ」 「わかりました」 雨はまだ降り続いていた。 「……あの世で喜んでいる、ですか。死者の心情を騙る人にろくな方はいませんね」 王を乗せて走り去るリムジンから視線を切り、うそ寒く評す。 目が覚めたら全裸だった。 体のあちこちに包帯が巻かれている。銃弾は既に摘出済みらしく、肩や腿に縫合痕が見受けられた。両腕には点滴が繋がれ、輸液パックから生理食塩水が注入されていた。 意識が途切れる間際の光景を思い出す。 肩や腕、足に撃ち込まれる弾丸。横には胸から血を流し女が倒れていた。 なんで生きてるんだ? 始末されたんじゃないのか? 妹の仇討ちに行った事は覚えている。ルオシーを手にかけた蟲中天幹部の私宅を襲い、女房とガキを人質に立てこもった。 それから……それから? 固い靴音が廊下を近付いてくる。分厚い鉄扉が開き、見覚えある男が踏み込んできた。 ラトルスネイク。 「んむ゛ッ!」 呻き声がボールギグでくぐもり唾液がこぼれる。体は椅子に縛り付けられ、両腕が肘掛けに固定されていた。 正面にはパイプ椅子が一脚用意され、傍らの机に様々な器具が並んでいる。 「腕利きの闇医者がいてさ~。ふんだくられたぜ」 パイプ椅子に後ろ向きに跨り、だるそうに頬杖付く。 「人間の肩には神経が集まってる。撃たれると超痛てェけど、急所じゃねーから死なねえの」 ラトルスネイクの後ろにはガタイに恵まれた舎弟がふたり、扉を塞ぐ形で直立していた。 コンクリ打ち放しの殺風景な内観から推察するに、貸倉庫か何からしい。 「お喋りしてェ?」 無造作にボールギグを外す。直後に息を吹き返し、盛大に噎せる。 「なん、で、助けた」 女房を強姦したのに。 混乱しきった男の問いにうっそり微笑み、致命的な誤解を正す。 「死なせなかっただけ」 メス、ハサミ、ドライバー、スパナ、アイスピック、金槌、万力。長く器用そうな指がタップとスピンを加えて踊り、ステンレスのトレイに並べられた道具の上を渡り歩く。 「これにするか」 掴んだハサミを鮮やかに回し、人中に擬す。 「鼻と唇、好きな方選べ」 「ざけんな」 「両方な」 二股の刃先を鼻孔に入れ、バツンと閉ざす。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁああ゛」 管が繋がった鼻から大量出血し、たまらず前傾した男の髪を引き上げ、大の大人が床屋ごっこでもするような気軽さで唇の真ん中を断ち割る。 「お鼻とお口に切り込み入れりゃぴょんぴょんうさぎさん一丁上がり。きぐるみいらずのきぐるみフェイス、ちびっこどもにモテモテ」 血がこびり付いたハサミを投げ捨て、既に薬液で満たされた細身の注射器を掴む。 「テメェの妹……ルオシーとか言ったっけ?ぼんやり覚えてる。まあまあ美人だった、もったいねえ」 体の芯が恐怖で凍え、ベルトで拘束された手足が震えだす。 「ツキがなかったんだよ」 「……ッ」 「悲鳴なんか上げなきゃよかった。ずっと隠れてりゃよかった。お誂え向きに死体がゴロゴロしてたんだ、連中を隠れ蓑にして裏口からこっそり逃げりゃ命を拾えたかもしんねェのに」 「開き直んのか?ルオシーが何したってんだ、毎日せっせと働いてただけじゃねーか!嫌な客にもぺこぺこして、エロ親父にケツさわられても笑顔作って、それをてめぇらが」 「可愛い可愛い妹ちゃんの最期教えてやろうか。傑作だったぜ、小便たらして命乞いして」 顔面に痰を吐く。 「殺せ」 覚悟はできていた。ルオシーがいない人生に意味などない。もとよりマフィアに喧嘩を売って生き残れると思えるめでたい頭はしてない。 「哥哥!」 駆け寄りかけた舎弟を手で制し、悪辣な本性そのものの凶暴な笑みを剥きだす。 「ツっマンねえ。予想の範疇の返しっきゃしねーのな」 ゴツい指輪をはめた手で男の顔を掴み、額で額を削ぐように頭突きをくらわす。 「一番最後に殺られたって誰に聞いた」 「……」 「俺が殺ったって誰が言った」 あの場には全滅した敵と目撃者の他に蟲中天の関係者しかいなかった。抗争の詳細を知っているのはごく一部の身内。 即ち、裏切り者がいる。 「俺様ちゃんのブラボーな推理を話すぜ。テメェは強姦でしか勃たねェケチな悪党で、一人でネタを集める能もねえ。そんな無能が大それた事しでかした背景にゃ、妹のカタキが呉浩然だって吹き込んで、ねぐらを売ったヤツがいる」 「だったら?」 虚勢を張る男の眼球すれすれに注射針を突き付け、ポンプを押し込んで薬液を噴射。 「拷問は得意じゃねえんだ。力加減がわかんなくてね」 ラトルスネイクの手が胸板を這い回り、垂直に滑り、萎えた股間へ移動する。 「俺の女に何したか教えてくれよ。その通りにしてやっから」 「ッ、ぐ」 陰茎の先端に金属の針が触れ、頭が真っ白になる。 「ああ悪ィ、これじゃ使いものになんねえな」 片手で男の逸物をしごく。 「時間はたっぷりある。これから毎日通ってやる」 「ぁ、あぁ」 「食塩水は飽きたろ。袋の中身硫酸と取っ換えようか。目ん玉くりぬいて眼窩ファック?扉の前に立ってる野郎はデカマラで評判なんだ、後ろに突き抜けちまうかもな。もうちょい好みなら俺様ちゃん直々に突っ込んでやってもよかったんだけどさァ、変な病気もらうの嫌じゃん?」 三時間後、男は黒幕を吐いた。予想していた名前だった。

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