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7.別れもあれば……(完)
聡生は人目を気にしながら、寛明とホテルを出る。道に人はまばらで、出た直後には誰もいなかった。駅までの道もそれほど人はおらず、二人がラブホテルから出たことは誰にも見られていないだろう。
「それじゃあ、また」
会う約束を取り付けるまでの強欲さは出せず、聡生は改札口に向かっていく。寛明の自宅はバスでも行けるようで、改札には入らなかった。
「もし何かあったら、連絡してね」
仕事で出られない時も多いけれどと付け足せば、寛明はコクリと頷く。
「……また」
寛明も会う日までは言えず、聡生の姿が見えなくなるまでずっと見送った。一人になり、聡生の姿が駅に消えていけば、唇を噛み締め、スマートフォンを見る。煩わしい同級生たちからの連絡はなく、代わりに仁井野からの通知が入っていた。別れてから初めての連絡に、寛明の鼓動が早まる。
『部屋の荷物を、昨日のうちに確認してみた。居ない間に漁るのも、どうかと思ったけれど』
『思ったより私のあげたものが多かったね。少し驚いたよ』
『出来れば、このまま住みたいくらいだ。家賃も、付き合い始めてから私が払っていたから』
仁井野と付き合う前は、家賃や家財は親からの仕送りで賄っていた。出来れば早く親の仕送りを切りたいと、仁井野に漏らしたのは寛明だ。それを、仁井野が受け入れ、自分が援助すると提案してきたのだ。バイトをすると言っても、学校の規則もあるからと仁井野に反対され自分で稼ぐことはできなかった。
いつしか衣類や食事も、すべてのものを仁井野から与えられ、親の仕送りが手つかずのまま残っていた。口座から仕送りが減っていないことに親が気付いてからは、徐々に振り込まれる金額は減っていった。今日支払った、ラブホテルの代金は親の仕送りから出していた。
そんな今までのことを思えば、あの部屋は仁井野が借りていると言っても過言ではないだろう。しかし、そうとなれば寛明の住む場所はなくなってしまう。
(……それでも、いいかもしれない)
仁井野との記憶が残る部屋に帰るのが嫌だった。元より自分の荷物は少なく、部屋も高校から近いため、引っ越しも考えていたところだ。
(住んでいる場所も、父さんたちに知られなくていい)
寛明が仁井野に返信をして、到着したバスに乗り込んだ。
『今日中には、出ていきます』
『いままで、ありがとうございました』
仁井野からの返信は『分かった』という、短い言葉だけだった。
最後まで、同級生たちへの動画提供についての文言が一切出なかったことに、ひどく落胆した自分がいた。もう二度と、会うことはないだろうと思う反面、胸が強く痛んだ。
(どこかでまだ、忘れられない……)
送られてくるメッセージも、仁井野の声で読み上げられているように思える。それほどまでに、彼といた時間は長く、愛おしかったのは確かだ。
それがたとえ、自分だけの感情だったとしても。
聡生のメッセージアプリが寛明のメッセージを通知したのは、日曜の午前だった。決して遅延していたわけではなく、10時に送られてきたメッセージには、短く『会えませんか』の文字が見える。土曜日の半分を寝て過ごした聡生は、二つ返事で了承した。もちろん、バーのマスターとの話を忘れたわけではない。仕事のことと、寛明のことが重なり疲れが出ていたのは間違いなかった。軽く掃除をしたくらいで、六に動けていなかった。
手早く準備を整え、寛明と初めて会った仕事場の最寄り駅へ向かう。改札を出れば、キャリーケースを横に置き、ボストンバッグを持った寛明の姿が見えた。
聡生の脳裏に、嫌な予想がよぎった。
「どこか、行くのかい?」
「……家、出てきちゃった」
ただの家出ではない、聡生の直感がそう告げていた。同時に、嫌な予想が当たっているのだろうと眉をひそめた。
「住む場所は、すぐに決められないだろう。待ってくれなかったのかい?」
「俺が言ったんだ。すぐに出るって。……だから、先生は、悪くない」
「昨日は、どこで」
「ビジネスホテル。ギリギリ、一部屋取れたから」
金曜の夜、ホテルを満室にさせていたイベントは、土日の開催だったが多少のキャンセルがあったため、滑り込みで部屋が取れたという。
「……今日は、どこか取ったのかい」
「これから、考えようって」
「バイトとか、支障はない?」
「やってない、です。すぐに会えるようにって、先生から言われてて」
寛明の視線は完全に地面に向けられ、項垂れていた。
職についていない以上、部屋を借りることは絶望的だった。時期的には引っ越しのシーズンであり、部屋は空きもあるだろうが、不動産屋もいい顔はしないだろう。
(付き合っていたぐらいの人だ。行く当てもないだろうことは知っていただろう。そんな中出ていくことを了承するなんて……。稼がせなかったことと言い、身勝手な人だ)
寛明の言葉の端には、未だ『先生』のことを想う気持ちが込められているのは分かっていた。だからこそ口にはしなかったが、聡生の中で『先生』に対する怒りがふつふつと込み上げてくる。
「もし、寛明君が一人暮らしをしたいというなら、仕事を決めないといけない。……もちろん、職業の選択や、学業の道を選ぶことだってできるはずだ」
「…………」
聡生の言葉に、寛明はずっと黙ったままだった。返す言葉が見当たらず、何故聡生を呼んだのかさえ、分かっていなかった。
その様子を、聡生はじっと見つめ、言葉をつづける。
「寛明君の中でどうするか決まるまで、よければ僕の部屋で暮らさないかな? ああ、もちろん、僕の部屋に住み続けることが都合よければ、そうしてもらっても構わない」
聡生の言葉に、寛明は顔を見上げる。目尻に溜まっていた涙が、彼の頬を伝う。
「もともとルームシェアは問題ない場所だし、念のため大家さんに確認するから、待ってて」
寛明が素直に頷き、見届けた聡生は大家に連絡を入れる。元々大家とは古くからの知り合いで、融通を聞かせてくれるという甘えの心もあった。要望通り、一人増えることに問題はないとの回答を得、近いうちに挨拶をしてくれとのことだった。
電話を切り、寛明の方に向き直る。電話の受け答えから聡生の家に行けることは分かったようだった。縋るような眼のままに、唇は強く噛み締められていた。
「さぁ……帰ろうか。僕らの家に」
差し伸べられた聡生の手を、寛明は強く握りしめた。薄茶色の柔らかな髪が揺れ、くたびれた聡生のコートに重なった。
【了】
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