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キュウ編・3
目が覚めてからも茫然自失としていた博嗣だったが、今目が覚めたと言わんばかりに立ち上がった。かと思えば、畳の上に腰掛けている朝陽の両肩を鷲掴んでガクガクと揺さぶる。
「朝陽ーー! 何なんだお前は! また厄介なのに好かれおってからにっ! 何なんだお前は!」
二回も言われた。
「は? はっあ? そんなの俺に聞かれてもっ、コイツに聞けよ。てか、じいさん落ち着けって。血圧上がるぞ。それに痛い、痛いっての!」
隣で同じように腰掛けていた男は、目の前の光景等さして気にもしていない。それどころか、笑顔のまま手を伸ばして朝陽の頬をスリスリと撫で回している。
「可愛いね朝陽」
——空気読めよっ。そして眼科に行ってこい!
成人済みの男に対して可愛いはないだろう。
「石の封印壊しちゃってごめんね。ああでもしないと朝陽帰って来なさそうだったんだもの。でもあの程度の結界じゃ駄目だよ。私よく抜け出してたからね。小さい頃さっきの裏山でよく一緒に遊んでたもんね? 朝陽」
「え、あれってお前だったのか」
「そうだよ」
博嗣が固まっていた。
朝陽は目を瞠っている。
封印があって安心していたのが単なる気休めだった事を知り、博嗣は愕然とした。少なくとも十五年は経過しているのだ。あまりにも長過ぎる。朝陽が男に気に入られていたお陰で、この村が救われていたのだと思い知らされた瞬間でもあった。
「それにしても、お前デカくなりすぎじゃないか?」
昔は身長差などなかったのに育ちすぎだろ、と、朧げな記憶を頼りに朝陽がジト目を向けた。それを聞いた男は、かなり上機嫌になった。
「そうだよ。やっと思い出してくれたの? 嬉しい。約束通り迎えに来たんだよ朝陽。私の番」
「は? 番?」
「大きくなったら迎えに行くって言ったでしょ?」
全くもって覚えていない。
だけど、黄色いビー玉のようなモノを預かったのは思い出した。
しかし、随分昔の事だ。何処にやったのか分からない。額から冷や汗が伝い落ちた。無くしたと知れば、流石に怒るだろうか。
「その約束なんだけど無かった事に……「無理」」
言葉尻を奪われ即答で却下された。
「あー、朝陽よ。お前はこの男の正体を知っておるのか?」
急に話を方向転換され、朝陽は博嗣に視線を向けた。
「正体も何もさっき会ったばかりなんだけど? ガキの頃の事なんて覚えてないに等しいし」
「ふーん、そう……覚えてないんだ」
底冷えしそうなくらいの低音で発せられた言葉を聞いて、喉を嚥下させ立ち上がろうとする。逃がさないよ、と言わんばかりに男が朝陽の手を取った。指と指を絡ませてしっかりと握られている。
「此奴は九尾《きゅうび》の狐じゃ。少し前の災害で封印していた殺生石《せっしょうせき》が何かの拍子に壊れていたらしくてな。お前に今日ここに来て貰った理由がそれじゃった。封印するのを手伝わせようと思ってな。だが、こうしてもう出て来ておる」
博嗣が言うと、九尾の狐と呼ばれた男の雰囲気が一変した。
「封印……?」
男の頭に柔らかそうなケモ耳と、フサリと九本の尻尾が現れて、禍々しい陰の空気が部屋中を支配していく。
「っ‼︎」
老体にこの妖気の圧力は流石に宜しくない。
朝陽は咄嗟に博嗣の周りに結界を張ると、博嗣が咳き込んで一生懸命空気を吸っていた。あまりにも間近で浴びた濃い妖力の圧で、息すら出来ていなかったみたいだ。結界を張って良かった。
「お前老人相手に何してんだよ。俺にはいいけど、他の人達を巻き込むのは止めろ」
「じゃあさ、朝陽。私と取引してよ」
「取引?」
絡んでいる指も視線をそのままにして、朝陽は僅かに眉間に皺を寄せる。
男は真剣な表情をしたまま、スッと目を細めた。
「朝陽が私のとこに嫁に来てくれるのなら、私からはもう悪さはしないし誰も害さない。望み通り、大人しくしててあげるってのはどう?」
それなら呑んでもいいが問題があった。朝陽個人の意見で決められないからだ。
「俺は五人のαと番わなければならない。一人とは既に番契約してる。だから実質お前だけの嫁にはなれねーよ」
「あはは。華守人でしょ? そんなの昔っから知ってるよ。だって私があの日あの場所に行ったのは偶然なんかじゃない。朝陽が生まれた時から私はずっと見てた。実際会いに行って朝陽と遊んでみてやっぱり運命だと確信した。朝陽自身の事を好きになるのにも時間なんて必要なかったし、相手が朝陽で良かったと思ってる。私は楽しかった。朝陽と一緒に居れて嬉しかった。もう絶対逃がしたくない。ついでに言っちゃうと、落雷で石が壊れるように仕向けたのは私だよ。結界は抜けられても、アレがあると私は遠くまでは行けない。この地域を散歩するくらいしか出来ないからね。でも私は朝陽が居ない場所になんて居たくない。私は朝陽の側に居たい。封印しようとするなら今度は石じゃなくてこの地域全体に雷を落としてあげる」
男の話を聞いて博嗣が青ざめていた。
「そんなの脅迫だろ」
吐息混じりに言うなり、朝陽は己の髪の毛をかき混ぜた。
「朝陽が私のモノになるなら何だってするよ」
答えは聞かずとも分かっているだろうに。朝陽は諦めの方が先に来た。何がここまでこの男を執着させてしまったのだろうか。いくら考えても朝陽には答えが出せなかった。ただ、一心に求められるのは悪い気はしない。
男は楽しそうに朝陽を見つめている。
「分かった。お前のとこに嫁に行く。その代わり住むのは俺が今借りてる部屋だ。先に番契約したヤツもいるから仲良くしてくれ」
「それでいいよ」
「その前に伝えておく。俺たちが本当に番契約を結べるかどうかでも話は変わってくると思う。俺には周期的に回って来る筈のヒートは来ない。番候補者から強制発情させられてヒートが来る。もし番じゃないならヒートは来ない。その時は別案を提示してくれ。お前が今まで封じられてた石は、とりあえず仮初だけの結界を張る」
朝陽の発する言葉を聞いて、男は不敵に笑んで見せた。
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