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キュウ編・8
***
「もうキュウとはセックスしたくない」
目が覚めた時、朝陽は開口一番に告げた。
朝陽の頭を撫でていたキュウの手が止まり、条件反射の如く座り直す。
「え、それは無理! 絶対に嫌だ。私は朝陽抱きたい。ごめんね朝陽。お願い、怒らないで」
「煩い。しないったらしないんだよ! このバカ狐!」
本気で叱られ、キュウの頭にケモ耳が生え、フサリと九本の尾が出てくる。捨てられている子犬のように、しょんぼりと肩を落としている姿に朝陽の心臓は鷲掴みにされた。
——か、可愛い……。触りたい。
視界の萌え暴力だ。
手がウズウズした。怒りなんて何処かへ飛んで行ったように、朝陽が食い入るようにキュウを見つめている。正しくはキュウに生えている耳と尻尾だが。
そんな朝陽に気がついたのか、キュウは膝立ちになっていた身を屈めて、朝陽の手を掴むと己の耳に持っていった。
先に餌を与えろ作戦である。
「ぐっ……」
思っていたよりずっともふもふだった。癖になりそうなくらいには、もふもふだった。抱きしめたい……否、朝陽は丁寧に座り直して尻尾を抱きしめて、ついでにキュウの耳も触っていた。
「朝陽が望むならこの通り耳も尻尾も触り放題だよ?」
唸り声を漏らしながら朝陽は己の中で葛藤していた。このまま触っていたい。でもあんな訳が分からなくなるセックスをするのは嫌だった。でも触っていたい。
「私の耳と尻尾、気持ちいいでしょ? ねえ、朝陽?」
「うぐ……」
朝陽は陥落した。キュウを思う存分もふる。
「たまになら、いい」
「嬉しい! ありがとう朝陽!」
軽々と持ち上げ、朝陽を正面から抱きしめると、見えないようにキュウがほくそ笑んだ。
だが直後、キュウの頭上に朝陽の拳が飛んでくる。
「朝陽、痛い……」
「何だか今とてつもなくイラッとした」
キュウからは音声なんて出ていなかったのに、朝陽の勘は動物よりも冴えていた。
***
「ただいまー」
鍵を開けて部屋に入ると、将門が玄関先の壁に寄りかかって立っていた。不機嫌全開で、いつも以上に眉間に皺を刻んでいる。
「何でそんなに機嫌が悪いんだ、将門?」
キョトンとした表情で朝陽が問うと、ため息の後で将門に舌打ちされた。
キュウもキュウで、瞬き一つせずに口角だけを持ち上げて笑んでいる。いや、笑んだフリをしていた。瞳孔まで開いているから怖い。
両者の間に火花が散り、不穏な空気が流れていた。
「おい、朝陽……」
「はい」
朝陽は思わず畏まってしまう。キュウを一瞥し、将門が口を開いた。
「捨ててあった場所に今すぐ返してこい。ペットは禁止だ」
——いや、ここ俺ん家なんだけど……。
朝陽は内心ボヤく。
「仕方ないだろ。キュウが俺の二人目の番だったんだから。仲良くしてくれ」
「無理」
「断る」
即答で同時に断られ、腹が立った。
二人に向けて霊力の塊をぶつけて強制的に外に追いやると、朝陽は今までかつてない程に強力な結界を二重にして部屋中に張り巡らせる。ついでにしっかりと玄関の鍵もかけた。
「朝陽、入れてよ」
「おい朝陽、結界を解け」
玄関の扉をドンドンと叩かれる。近所迷惑レベルだ。
「仲良く出来ないなら実家に帰れ!」
「そこは実家に帰らせていただきます、じゃないのか?」
「将門お前本当に何の番組見てんだよ! ドロドロ系やめろ!」
思わずツッコんでしまった。
「朝陽が帰るなら私も帰る!」
「俺も行く」
「家出の意味なくなんだろ‼︎」
——駄目だ。あいつらのペースに呑み込まれるな。
深呼吸して頭を冷やす事に専念する。
『何故狐がここにいる。石の中でじっとしとれば良かったものの』
『そっちこそ塚に戻んなよ。怨霊の出る幕ないでしょ』
——うるっさい。近所迷惑!
テーブルの前に腰掛ける。外ではまだ醜い言い争いが聞こえていた。
三十分後。外の騒がしさが無くなったのが分かって、朝陽は玄関の扉を開けてみた。キュウと将門はお互い背中を向けてはいるが、もう喧嘩はしていないようだった。
「入るか?」
二人が同時に朝陽を見て頷く。
強力な結界だけを解いて、朝陽は二人を招き入れた。互いに無言のまま三人並んでラグの上に腰掛ける。朝陽は当然のように真ん中に座らされた。
「なあ、何か息苦しくないか? ……俺のとこだけ狭いっていうか」
左右から体を寄り添って座られると、微動だに出来ない。
「そう? 小屋の割には広い方だと思うけどな私は。で、何処で寝るの? ここじゃ狭いよね。あの扉の向こう側?」
トイレを指差し、キュウが尋ねる。
「小屋じゃねえよ、ここが唯一の部屋だ! 悪かったな、狭くて!」
全くフォローになっていない。先ず前提からして間違えている。
でも引越したいとは考えてしまった。
「俺は普段のように引っ付きたい」
将門に軽々と持ち上げられて、股の間に座らせられる。
「あー! ズルくない、それ⁉︎ 私もやりたい」
「新参者は黙っていろ」
「ちっ、クソ怨霊が偉そうに」
「あ゛あ゛?」
「お前らもう一度外に出るか?」
シン、とした空気が流れた。
——まぁ、確かにワンルームだと狭いな。
二人の姿は誰にも見えないが、ワンルームに体躯の良い二人が一緒だと圧が半端ない。
しかもこの仲の悪さでは先が思いやられる。
己が会社に行っている間どうやって過ごすつもりなのか。そう考えると朝陽は胃が痛くなってきた。帰宅したら更地になっていたとか……あり得そうで怖い。朝陽の額に脂汗が滲んだ。
「そうそう、朝陽。今度の土曜日に買い物行くなら、ここから東の方角にあるスーパーへ行くといいよ」
キュウが意味深な笑みを浮かべて朝陽を見る。
「何で東?」
「面白いモノが見れるから行っておいで?」
「面白いもの……」
意味不明だった。それに話が変わり過ぎだ。見事に宇宙猫のようになった朝陽の髪をすきながら、キュウが目を細める。
「絶対だよ。もし忘れちゃったりしたら……この部屋の外で死ぬ程犯してあげるから」
掠れ声で不穏な言葉を呟かれた。
「もう覚えた。絶っ対行ってくる!」
「ちっ」
——舌打ちするなっ! 行かせたいのか行かせたくないのかどっちだよ⁉︎
このドSストーカー男なら本当にやりそうだ。朝陽はかつて無いほどに真剣な表情で頷いてみせた。
それでも〝面白いもの〟というものが何なのかという期待感が胸の内で膨れる。次の土曜日が少しだけ楽しみになった。
→第三話、オロ編へと続く
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