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第2話
さらに数年後。マルズークは立派な若者に成長し、貴方たちの武勇伝は広く砂漠に知れ渡ります。
「お待ちしておりました、無双剣士マルズーク様と白き舞い手の精霊様ですね。大したおもてなしもできませんが、どうか寛いでいってください」
ある村では盛大な宴が開かれ。
「おお、砂漠に名高い無双剣士マルズーク様と白き舞い手の精霊様!お目にかかれて光栄です、ぜひとも人食い獅子退治を頼みたいのですが……」
ある村では美女に酌をされ。
「無双剣士マルズーク様と白き舞い手の精霊様、何卒我々の頼みをお聞き届けください。マフディ山の盗賊が夜な夜な近隣の集落を襲い、女子供を攫っていくのです。報酬は十分な額お支払いします、どうか皆を取り戻してください」
ある村では祭り上げられ。
勇猛果敢な無双剣士マルズーク、および白き舞い手の精霊のご活躍はとどまるところをしりません。
「納得いかないな」
「あん?」
「どうして君が先なのさ」
ある時訪れた村にて、山羊乳の発酵酒をちびちび飲みながら貴方はぼやきました。隣で胡坐をかいたマルズークは大口を開け、子羊の肉にかぶり付いています。
「無双剣士マルズークと白き舞い手の精霊の並びは不満か?」
「白き舞い手と無双剣士マルズークに訂正してほしい」
「こまけえこと気にすんだな」
「無双剣士を自称するふてぶてしさには及ばないよ」
「自称じゃねえよ失礼な」
「強欲のマルズークに改めなよ。成り上がりの野望、諦めてないんだろ」
「当たり前だ。修行の旅が終わったら門を叩くんだ。東の大国、ジャイラの名前を聞いた事は?」
「以前立ち寄った事があった、かもしれない」
なにぶん百年近く前の事なので断言できません。
「ジャイラの軍隊は精強で鳴らす実力主義。俺みてえな石工の倅の奴隷上がりも、剣の腕さえ優れてりゃ出世できるって評判さ」
「下調べは万全?」
「聞いて喜べ、べっぴんの第一王女様がいる。逆玉に王手がかかった」
「ジャイラに着いた時が旅の終わりだね。僕たちはお別れだ」
ごくごく酒を飲みます。なんだか酔っ払ってきました。
人間と精霊は寿命の長さが異なります。マルズークが立身出世を夢見ているなら、いずれ訪れる別れは避けられません。
貴方がジブリールと袂を分かって独り立ちしたように、マルズークもいずれは別の道を行くのです。
「勝手に終わりにすんなよ参謀殿」
「え?」
肉汁滴る腿肉を食いちぎり、よく咀嚼して飲み下し、マルズークが豪快に笑います。
「ずっと一緒に旅してきたじゃねえか。目的地に着いた途端にハイ終わり、なんてツレねえこというなよ」
「でも」
「五大元素を使いこなす精霊さまが隣にいりゃ、俺の王座も末永く安泰だ」
強欲なマルズーク。
「君は……一生僕を手放す気がないんだね」
頬が火照っているのは、お酒のせいばかりじゃありません。腿肉を咥えたマルズークが、貴方の俯き顔を覗き込んでからかいます。
「精霊様も酔っ払うのか?」
「……僕たちは人と違って飲み食いしなくても生きていける。酒や果実は単なる嗜好品。それに」
一呼吸おき、宴の盛り上がりを眺めます。
「せっかく催してくれた宴の席で、素面でいるのは失礼じゃないか」
「へえ~」
「何だい」
「そういうの気が回るようになったんだな」
「長く人間と一緒にいればね」
マルズークと共に旅する中で、数々の出会いと別れを経験し、貴方の心は変化しました。
狼や盗賊を倒し凱旋した貴方たちを、村人たちは大喜びで出迎え、祝宴を開いてくれました。娘たちは泣いて感謝し、親たちは泣いて喜び、村の恩人である貴方とマルズークの杯に尽きせぬ酒を注いで、夜通し愉快に飲み食いして騒ぎます。
「今も人間は愚かに見えるか」
「見える。けど、それ以上に面白い」
マルズークは「そっか」と微笑し、皿に骨を放って腰浮かしました。
「どこ行くの?」
「稽古」
宴の最中もマルズークはシャムシールを手放しません。常に腰に佩いています。本当の彼は途轍もない努力家で、相棒の魔法の加護に甘えるのを是とせず、鍛錬と研鑽に勤しんでいました。
牢内で孤独に素振りを続けていたあの頃のままに。
貴方もまた戸口をくぐる背中を追い、美女の酌を断って腰を上げました。
「付き合うよ」
邸の裏手に回った貴方はマルズークと対峙し、彼に魔法を放ちました。雷で編まれた虎が、炎よりいでし不死鳥が、水で形作られた鰐が、土を固めた獅子が、それぞれに空気と鼓膜を震わす咆哮を上げ、マルズークにとびかかりました。
鋭い呼気を吐いてシャムシールを一閃、銀弧の軌跡が闇を切り裂きます。
電光弾ける虎の突撃を紙一重で回避、次に迫る獅子の跳躍を見切り前転。
股下を素早く抜けたのち、水で出来た鰐のあぎとをシャムシールで断ち割り、走る勢いに乗せ、不死鳥に刃を叩き付けます。水に相殺された炎が蒸発し、大量の白い霧が立ち込め、虎から散った火花が大気を介して獅子を直撃。
見る間に三匹が脱落し、残る一匹となった虎がマルズークに肉薄します。
「破ッ!!」
マルズークはそれを予期し、シャムシールを地面に突き刺しました。
地中に逃げた衝撃に地面が亀裂を生じ、雷の虎は陥没に巻き込まれ、奈落に封じ込まれました。
「お見事」
貴方は手を叩きました。マルズークはシャムシールを鞘に納め、会心の笑顔を浮かべます。
「褒美をくれ」
「喜んで」
マルズークが再び剣を抜き、それを投げてよこします。貴方はシャムシールを受け取り、構え、青い月の下で剣舞を演じます。
窓辺に顔を連ねた村人たちは、手にした杯を口に運ぶのを忘れ、白き精霊の舞に見とれました。
貴方は虎に喰われる運命だった青年に天賦の剣才を見出し、魔法の力でそれを鍛え上げました。
マルズークは貴方が与えたシャムシールを振るい、人食い獅子や虎を倒し、盗賊を鏖殺します。
貴方はシャムシールに魔法の加護を付与し、時に水や炎や雷を纏わせ、威力を底上げしました。
それは戦闘中のみならず、稽古中もシャムシールに負荷をかけ、倍した重力でマルズークの筋肉を育てます。
無双剣士マルズークと白き舞い手の旅は続きます。ある村では赤子の名付け親になってほしいと乞われ、二人して頭を捻り、ある村では長老の娘の婚礼に招かれ、若い夫婦を祝福しました。
幸せな旅でした。
転機が訪れたのは五年後。
「また廃墟だ」
「最近多いね」
マルズークと貴方が訪れた先には、無残に焼け落ちた家々が佇んでいました。
井戸は涸れ、草木は萎れ、人間と家畜の死骸があたり一面に転がっています。
「前の村の連中が言ってたな、悪い病気が流行ってるって」
「天候もおかしい。雨がちっとも降らない」
殺気。
即座にマルズークが剣を抜き、大音声で誰何します。
「出てこい!」
それを合図に廃墟の中から兵士が殺到し、貴方たちを包囲します。
「っ、」
「待ってマルズーク、様子が変だ」
兵隊たちの列から進み出た将軍が、すかさず駱駝から下り、丁寧に挨拶しました。
「無双剣士マルズーク様、ならびに白き舞い手の精霊様ですね。お噂はかねがね」
「誰だお前は」
「ジャイラの将ムスタファと申します。我が王の命を受け、お二人をお迎えに上がりました」
ジャイラ。
武者修行の最終目的地。
「話が見えない。ジャイラの王が何の用だ」
マルズークは露骨に怪しみます。
「ここ数か月、貴方がたを尾行して実力の程を測らせていただきました。いやはや素晴らしい!マルズーク様の超絶の剣技と精霊様の超常の魔法、両者が合わさればまさに無敵。お二人の才を見込んで、ぜひお願いしたい事があるのです」
「……聞くだけなら」
どのみち拒否権はありません。魔法を用いた離脱は簡単ですが、ジャイラは強大な国家。人海戦術で先回りされては同じ事の繰り返しです。
いえ、詭弁ですね。土台好奇心のかたまりの貴方が、王の使いの申し出にそそられないはずないのです。
ムスタファに監視……もとい警護されて王宮に参じた貴方がたを待ち受けていたのは、玉座に踏ん反り返った矮躯の老人でした。傍らに控えた美姫は娘でしょうか。
「よくぞ来た。儂は偉大なるジャイラ王、隣におるのがアマル姫じゃ」
「お初にお目にかかります。ジャイラの第一王女アマルです」
予感が当たりました。アマルは貴方とマルズークを見比べ、ベールの向こうで楚々と頬を染めます。
「流浪の剣士マルズークと申します。拝謁の栄誉を賜り誠に光栄です。こちらは連れの……」
マルズークは王の前に跪き、貴方は立ったまま口を開きます。
「僕たちに用があると聞きました」
「話が早いな」
ジャイラ王が苦しげに咳き込み、大儀そうに水煙管を吹かします。落ち窪んだ眼窩の奥、猜疑心に満ちた狷介な瞳がゆっくり瞬きます。
「時にマルズークよ。此度の天変地異をどうおもうか」
「異常気象と流行り病の事ですか?」
「だけじゃない。人心の荒廃も深刻じゃ。宮殿に来る途中、貧民街を抜けてきたのではないか」
「はあ……」
曖昧に言い淀むマルズークに代わり、貴方が答えます。
「大勢の人が死んでいました。市街では略奪と放火が横行し、番兵が対処に追われています。人も犬も……まるで気が触れたように走り回っていました」
「黒い風のせいじゃ。アレが瘴気と災いを運んできたんじゃ」
「黒い風?」
不吉な予感に胸が騒ぎます。王は水煙管を深く吸い、煙の輪を吐きました。
「ここより十里ほど南に巨大な地下迷宮がある。もとは古代の王墓じゃが……その奥津城に邪悪な精霊が巣食った。黒き奈落のジブリールと称すマーリドが」
ジブリール。
「都に広まる病と狂気は黒き奈落のジブリールの仕業じゃ。儂の国だけじゃない、おぬしたちも道中滅んだ村や町を目撃したはずじゃ、アレは全てジブリールの呪いなのじゃ」
「嘘だ」
呆然と繰り返す貴方の横顔を、マルズークが訝しげに見上げます。
「ジブリールを知っておるのか?」
「僕の|同胞《はらから》です。この世界に生まれた時から一緒だった、魂の片割れともいえる存在です」
「ならば何故行動を別に?」
王の瞳が針の光を孕み、貴方を刺し貫きます。
「ジブリールは人間を憎んでおる。この世の人間全てを遍く滅ぼさねば気がすまなんだ」
「そんな!」
咄嗟に抗弁するも、ジブリールならやりかねないと本能で理解します。
ジブリールは貴方の視界を遮った罪だと言い、隊商を惨殺しました。蟻地獄の観察を妨げた罪と称し、隊商を惨殺しました。貴方に美しい宝石やシャムシールを貢ぐ為、繰り返し隊商を襲い、積み荷を略奪してきました。
肘掛けを掴んだ老王の手はぶるぶる震えています。
「黒き奈落のジブリールを野放しにしておけば人も家畜も死に絶え国が滅ぶ、ジャイラだけじゃないぞ、この砂漠にある全ての都市が砂に埋もれて消えるのじゃ!」
「父上、お鎮まりを」
父を労り背中をなでるアマルの言葉も届かず、王は天を仰いで恐懼し、頭を抱えてまた突っ伏し、侍女が持った水煙管を蹴散らしました。
貴方は何も言えません。言い返せません。ジブリールが狂ったのは、貴方が黙って消えたせいです。
「僕、は。外の世界を知りたくて」
ジブリールの束縛が苦痛だった。
「人を知りたくて」
自由を欲した。
言えば追いかけてくると思った。
故に黙って消えた。片割れを失ったジブリールが数百年どんな思いで耐え、何をしているかなど考えもせず、マルズークと過ごす日々を楽しんでいた。
なんて愚かな精霊だ。
「あ……」
無知で独りよがりな貴方のわがままがジブリールを狂わせ、数多の国を滅ぼした。
老王が肩で息をしながら王座に沈み、軋むほど肘掛けを握り締めます。
「先日、儂の前にジブリールの幻が現れた。彼奴の望みは片割れの身柄」
皺ばんだ指がまっすぐ貴方を指します。
「おぬしと対話が叶えば、黒き風がもたらす災厄は止む」
「ッ、それは」
腰を浮かすマルズークを衛兵の槍が制します。貴方は静かに肯い、一歩前に進み出ます。
「ジブリールと話してみます」
「承諾恩に着るぞ。助力は押しまん、道中の警護はジャイラの兵にまかせてほしい」
「ありがとうございます」
あるいは最初からこの為に、貴方とマルズークを連れてきたのでしょうか。
王と謁見後、貴方とマルズークは王宮内を自由に歩く特権を与えられました。
巨大な円柱が支える回廊を歩いてる時、後ろから靴音が近付き、むんずと肩を掴まれました。
「詳しく話せ」
振り向けばマルズークがいました。
「ジブリールってのはお前のきょうだいなのか。んなこと一言も」
言えるわけがありません。ジブリールは人の命など歯牙にもかけず、隊商を虐殺したのです。
「……ごめん」
「なんで話してくれなかった」
幻滅されるのが怖かった。
「大した理由じゃない。僕たち精霊と人間は時間の尺度が違うから、いずれは話そうと」
心の底ではずっと人に憧れていた、人と交わり暮らしたかった。マルズークと出会い、旅を共にし、その気持ちはますます強くなった。
「嘘を吐くな!」
気付けばマルズークに惹かれ、王になった彼の傍らにいたいと願ってしまった。
マルズークの厚い手が華奢な肩を掴み、貴方を壁際に押さえ込みます。
「俺の目を見ろ」
「すまない」
「お前の片割れってのは、そんな極悪非道なヤツだったのか」
「ジブリールは……」
唇を噛みます。
「ちがうんだ。彼は僕の為に」
「は?」
「僕の為に。僕のせいで。ジブリールは僕を笑顔にしたくて、僕に喜んでもらいたくて、ただそれだけの理由で何度も何度も繰り返し隊商を襲ったんだ。そして綺麗な宝石や服を奪った。あの頃の僕はなにも知らなくて、彼の言うことが絶対だと信じて、止めようともしなかった」
止められたのに。
「僕も同じだよマルズーク、何も変わらない。ジブリールが積み荷から盗んだ耳盛りを付けて、何の感慨も覚えず、隊商の骸の横を素通りしたんだ」
「隊商殺したのはお前じゃねえだろ、片割れのやらかしまで責任感じる義務ねえよ!」
「なんと言おうと僕は行く。ジブリールと決着を付けに」
元はといえば貴方の選択が招いた結果。ジブリールを放っておけば、世界は終焉を迎える。
「彼を止められるのは僕だけだ」
「待てよ」
「サフィーヤ……僕と君が名付けた赤子を死なせたくない」
それはマルズークの末の妹の名前と同じでした。
ジブリールに挑む決意を固め、マルズークの腕を振りほどこうとし、壁際に押さえ込まれました。
「!っ、ぐ」
熱い唇で唇を塞がれ、必死に身悶えます。
「何、を」
「一人じゃ行かせねえ。俺も行く」
「マルズーク」
「罪のねえ隊商見殺しにしたって悔やんでっけど、直接手を下したわけじゃねえんだろ」
貴方の顔を手挟み、マルズークがひたと目を覗き込みます。
「あの時……お前が牢に来なかったら、俺は何者でもねえガキのまんまおっ死んでた。家族の弔いもできずじまいで、次の日にゃくたばってたんだ」
逞しい腕が貴方を抱き締め、愛しいぬくもりが包みます。
「俺が無双剣士になれたのは、白き舞い手が導いてくれたおかげだ」
そのぬくもりに抗えず、マルズークの部屋に連れ込まれ、天蓋付きの豪奢な寝台に押し倒されます。
「ジブリールは強くて恐ろしい。無傷じゃ帰れないぞ」
「覚悟の上だ」
マルズークの唇が仰け反る首筋を辿り、生白い肌に忍び、可憐な乳首を吸い転がします。貴方は音楽のように甘美な声で啼き、シーツを蹴って悶え、最愛の青年に抱き付きます。
「お前は俺が守る」
「僕の加護は君に」
先端から滴る蜜を手指に塗し、後ろの蕾をよくほぐし、窄めた舌を出し入れします。マルズークがいざ服を脱ぎ、鍛え上げた裸身をさらし、貴方を破瓜しました。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
抽送の律動にはしたなく腰を振り、互いを求め貪る快楽に溺れ、何度も何度も契ります。
「あっ、ぁっ、ああっ」
「愛してる」
「僕、も。マルズーク」
貴方は生まれて初めて嬉し涙を流し、マルズークは幸せそうに笑んでそれをなめとります。
翌日の明け方、貴方とマルズークはムスタファ率いるジャイラの兵に警護され都を発ちました。一行の先頭には神輿に乗った王の姿が。
奥津城に近付くほど周囲の光景は荒れ果て、草木は奇怪にねじくれ枯れ落ち、空には暗雲と雷鳴が轟きます。
砂漠の砂は黒く不浄に穢れ、白骨化した人や獣の骸が砂に埋もれていました。
「ジブリール……」
不安げに呟く貴方の手を、隣を歩くマルズークがギュッと握ります。
「片割れなんだろ。話が通じるさ」
遺跡に到着したのは昼でした。しかし空は暗く、新月の夜と区別が付きません。遺跡のすぐ横には断崖絶壁があり、びゅうびゅう颶風が荒れ狂っていました。
「ここから先はお供できません。舞い手様お一人で行ってください」
ムスタファが厳かに頭を下げ。
「俺は」
マルズークが異を唱えると同時、剣が振り上げられました。
「え?」
びちゃり、顔に血糊が飛びます。
「ご、ぷ」
ムスタファに斬られたマルズークがよろめき、振り返りざま貴方に手を伸ばすも届かず、愛用のシャムシールもろとも断崖の底に墜落。
「マルズーク!!」
遺跡の闇から湧き出た二本の腕が貴方をとらえ、引きずり込み、哄笑します。
「よくやった人間ども」
「約束は守ったぞ、未来永劫ジャイラに手出しはせんと誓え」
剣を鞘に納めたムスタファが尊大に宣し、神輿に担がれた老王が、悦に入って微笑みます。
「まだ足りん。加護もよこせ。黒き奈落のジブリールが後ろ盾に付いたとあらばジャイラは無敵、魔法を修めた最強の軍勢が完成する」
「心得た」
貴方の眼前でマルズークは死んだ。ムスタファに斬られ、崖から落とされた。
「久しいな」
「どうしてジブリール……用があるのは僕だけだろ、何故マルズークを殺した!?」
「俺からお前を奪った罰だ」
人間は愚かだ。精霊もまた愚かだ。
「お前とあの男の道行きをずっと見ていた。随分睦まじくしていたじゃないか」
ジブリールの千里眼は貴方とマルズークの旅路を見通し、絶対に知られたくない初夜の秘密まで暴き立てます。
「何故なにも言わずに消えた?お前がいなくなり数百年、想わぬ日は一度もなかった!」
力ずくで連れ戻さなかったのは、片割れの心が人間にある以上、馬鹿げた未練ごと断ち切らねば意味ないから。
「さあその目に焼き付けろ、これがお前が愛した人間の本性だ!お前を騙し討ちで贄に捧げ口封じに友を殺し俺の援助を求める、愚かな人間の真実を目に焼き付けるがいい!」
「ぁ、ぐっ、ぁあ゛ッ」
黒き奈落のジブリールが貴方の首を絞め、口付け、猛り狂った男根を押し込みます。
地獄がはじまりました。
貴方は地下迷宮の奥深く、一条の光も射さない闇の祭壇に縛され、ジブリールに凌辱され続けます。
「愚かな人間に唆されたとはいえ、俺を裏切った罪は重いぞ」
「っぐ、は」
闇から生まれた狼の群れが肉を食いちぎり、獣のペニスでかわるがわる貫きます。霊体に変じて逃げようにも、ジブリールがそれを許さず呪縛します。
数百年間降り積もった怒りや憎しみ、あらゆる負の感情が混沌の坩堝と化し、魔力を増幅したのです。
ジブリールはあらゆる手段を用いて貴方を辱め、貶め、嬲り、地獄の責め苦を与えます。
「宝石をくれてやる。お前はこれが好きだったな」
闇の化身の狼に貪られ、息も絶え絶えな貴方の鼻先に真珠のネックレスをぶら下げ、ジブリールがそこはかとなく邪悪に嗤います。
「!ぁっ、ぐ、ぁあっ」
丸くなめらかな真珠がツプリとめりこみ、次々沈んで。
「何、を、やめ」
「小僧に純潔を捧げる所を見たぞ」
「ぅぐ、あうっ、ンあッあぁ、かはっ」
「なんと愚かで嘆かわしい、我が運命の片割れは人に毒されてしまった」
「やめ、ぁあぁッ、ぁンあふあぁっ」
「二度と俺から離れられぬように躾け直してやる」
赤い媚肉が淫らにうねり、貪欲に真珠を飲み込んでいきます。ジブリールは貴方の腰を引き立て、尻を平手で叩き、胎内に衝撃を響かせました。
「ジブリール、どうして君はそこまで人を憎む!彼等はけっして君が言うような、ッあぐ、愚かなだけの存在じゃない!」
「わかっているのか、小僧が死んだのはお前のせいだぞ」
「はアんっ、ぁあっやッ、抜いてッ、ぁあっあぁッおかしくなるッ」
来る日も来る日も凌辱と拷問は続きます。ジブリールは貴方を跪かせて奉仕を強制し、大量の白濁を顔に浴びせ、気まぐれに狼に与え、闇から生じた無数の触手で責め苛みました。
一体何年経ったのか。次第に意識は朦朧とし、快楽以外は何も考えられなくなります。
すまないマルズーク。僕が殺した。
「ジブリ、ル。僕の、運命」
貴方は全裸に剥かれ、闇の触手に後ろ手に縛りあげられ、ジブリールの男根をなめていました。赤く腫れた後孔からは真珠を連ねた飾りが垂れています。
「どこへも行かないと誓うか」
「は、い」
「二度と逃げないと誓うか」
「……」
「答えは」
「あぁっやッ、そこっ、引っ張らないで!」
ジブリールが意地悪く笑い、貴方の肛門に栓をした真珠をいじります。ツプ、と粘膜を巻き返し、腸液に濡れそぼる真珠が一粒排泄されました。
「~~~~~~~~~~~ぁあぁあ」
貴方はジブリールの腹の上で痙攣し、卑しい人間のように射精に至りました。
あるいは此処で終わっていれば、ただの愚かな精霊の喜劇として物語を結べたかもしれません。
マルズークの死と同時に生きる希望を失い、貴方はジブリールの慰み者と成り果てました。
そんな日々に終わりを告げたのは、一匹の蛇でした。
地下迷宮の底にて。その日も貴方はジブリールに犯され、不浄に塗れて横たわっていました。
しゅるしゅると音がします。無気力に顔を上げ、闇の奥から這い出た大蛇を見付けました。
「……やあ。元気かい」
大蛇は答えません。
無意味な問いかけに力なく苦笑し、再び意識を手放す間際、大蛇があぎとに咥えた鞘に気付きました。
ジブリールが貴方に贈り、貴方がマルズークに与えたシャムシールの鞘。
「どこからこれを」
脳裏にある可能性が閃きます。もし地下迷宮と谷底が繋がっていたら……絶望している場合ではありません。貴方にはまだやる事が残っています。
「みすぼらしい鞘だな」
ジブリールが蛇を叩き殺して鞘を奪い、片手に力を込めます。
「やめろ!」
「小僧の形見か。余計な事を」
マルズークの骸が暗く冷たい谷底で朽ち果てるなど耐えられません、彼は人として葬られなければいけません。
なりふりかまわず縋り付く貴方を振りほどき、残忍な笑みを浮かべ、ジブリールが鞘を破壊しました。
絶叫。
次の瞬間、世界が反転します。
ジブリールの力の源が怒りと憎しみなら、それが今、貴方の真の力を覚醒させたのです。
即座にジブリールが吹っ飛び、彼方の岩壁に叩き付けられ、激突の衝撃で地下迷宮が崩落を始めます。
即ち、暴走。
「マルズークを|二度《・・》殺したな」
貴方は怒り狂い、運命の片割れに焦点を絞り、持てる魔法の全てを撃ち放ちました。
結界を張る暇もない早業。
「ぐっ……そこまであの小僧、を?何故だ……俺にはお前しか……」
震える手を伸ばし哀訴するジブリールの前に立ち、その首を掴み、貴方は言いました。
「君の気持ちにはこたえられない。僕の王は一人だけだ」
ジブリールの魂に亀裂が生じ、砕け散り、貴方の体に吸収されていきます。
まず前提からして間違っていました。
貴方はジブリールの運命ですが、ジブリールは貴方の運命ではなかったのです。
顔をお上げなさい、白き舞い手のイルファーン。今漸く貴方がおかした罪がわかりました。
それは共食いの禁忌。
およそ人外の価値観において、精霊が人を殺すのは罪にあたりません。しかしねえ、共食いとなるとさすがに……悪魔だってしませんよ、そんなおぞましいこと。
話を戻しましょうか。
片割れを食らったら、その魂は完全になるのでしょうか?
貴方はジブリールを貪り食らい、地下迷宮からさまよい出て、千尋の谷底に至りました。
一帯には毒霧が立ち込め、夥しい骸骨が転がっています。
貴方は谷底に這い蹲り、生前の装備を頼りに、マルズークとおぼしき骸をあらためていきました。
三日後、刃が砕けたシャムシールを見付けました。
「マルズーク……」
見付かったのは剣だけです。
谷底を埋め尽くす骨のどれがマルズークか、結局最後までわかりませんでした。
「すまない。僕のせいだ」
まだやることが残っています。
いえ、新しい目標ができたと言えばいいのでしょうか。
マルズークの暗殺を仕組んだ黒幕はジブリールですが、実行犯はムスタファとジャイラ王。
貴方は崖を這い上がり、マルズークの形見のシャムシールをひっさげ、ジャイラの都に向かいました。
道中通り過ぎた砂漠の村々で不穏な噂を聞きました。ジャイラ王乱心の噂です。
なんでも砂漠中から若く美しい生娘を駆り集めて夜伽を命じ、初夜が済むと同時に斬り殺しているのだそうです。同じ年頃の娘がいるのに何故そんなことができるのか、貴方にはわかりません。
何日も歩き通して砂漠をこえ、ジャイラの城壁を臨む頃には足取りも覚束ず、今にも倒れそうな有様でした。
案の定、衛兵の槍に通せんぼされました。
「怪しい奴め。名を名乗れ」
「ジャイラの王様が夜伽に召し上げる娘をさがしているとお聞きしました」
ベールを捲り素顔をさらすや、衛兵が息を飲みます。
「私では役不足でしょうか」
ええ、貴方は変幻自在の精霊。その気になれば絶世の美女や美少女にも化けられます。
衛兵たちは貴方の美貌に腑抜け、世にも稀な美しさのオパールの瞳に魅入られ、こそこそ話し合いました。右の男が咳払いし、貴方の腰を指さします。
「それは何だ」
「折れた剣です」
「見ればわかる。何故そのようなものを」
「大事な人の形見なのです。捨てねば通していただけませんか。折れた剣で王様を討てるわけがございません」
堂々たる申し開きに押し切られ、衛兵たちが示し合わせて城門を開きます。
ジャイラの市街地は荒廃しきっていました。道端には乞食があふれ、あちらこちらで強盗・放火・殺人が起きています。
広場にはざんばら髪の生首が串刺しで晒され、野犬が死体のはらわたを食い散らかしていました。
ジブリールは約束を守らなかったのでしょうか?今の貴方にはどうでもいいことです。
衛兵に導かれて王宮に辿り着き、侍女に傅かれて湯浴みをし、体の裏表を隅々に至るまで浄めます。
ジャスミンの花を浮かべた大理石の湯殿に浸かり、背後に控える侍女に訪ねました。
「ねえ、ムスタファ将軍はご存知?この国の偉い軍人さん」
「懐かしい名前をご存知ですのね。元将軍なら謀反の疑いで処刑されましたよ」
「え?」
これはこれは、拍子抜けです。湯殿から上がった貴方は新しい衣装に着替え、無口な侍女に手を引かれ、粛々と柱廊を歩みました。途中ですれ違った大臣たちが、同情に値踏みをまぜた視線をよこします。
「アレが今宵の?」
「可哀想に、まだ小娘じゃないか」
「王が砂漠のはてまで狩り尽くしたせいで生娘は絶滅危惧種よ」
「きちんと確かめたのか」
「万一手違いがあっては首と胴が泣き別れですからな、侍女に調べさせましたよ」
変身は完璧。見破られるはずがない。
自信をもって柱廊を突き進み、豪奢な調度が犇めく閨に至り、寝台の傍らに跪きます。
「お初にお目にかかります。今宵の夜伽を仰せ付かった、踊り子のサフィーヤと申します」
紗幕に影絵が映ります。寝台に影が身を起こすと同時、折れたシャムシールを握り締めて瞠目し、マルズークの面影を呼び出します。
「懐かしい名だな」
かすかな違和感を覚えました。記憶にあるジャイラ王の声より、少し若い。
続けざま紗幕が巻き上げられ、惨たらしい傷跡を顔に刻んだ、初老の男が現れました。
「……っ」
まさか。
そんなことが。
どれほど変わり果てていても一目でわかりました。
貴方の目の前にいるのは、ムスタファに斬られ、崖から落ちて死んだはずのマルズークでした。
「マルズー、ク?」
「王を呼び捨てにするとは豪胆な娘だな、気に入った。お前たちは下がれ」
侍女たちが丁重に一礼して辞したのち、マルズークはわけがわからず混乱する貴方を寝台に押し倒し、荒々しく愛撫しました。
「やだ、いや」
シーツを蹴り立てかきむしり、それでも退かないマルズークに恐慌をきたし、喉も裂けよと叫びます。
「僕がわからないのかマルズーク!!」
どんより濁った瞳が貴方を見詰め、次いで耳朶へ移り、大きく見開かれました。
「その耳飾り」
乾いた手が髪を梳き。
「その髪」
腰を抱き。
「その剣。嗚呼、お前は!」
会いたかったぞイルファーン。
愛しい人に名前を呼ばれた瞬間変身がとけ、貴方は白き舞い手のイルファーンに戻っていました。
「どうして……」
でたらめだ。
否定してくれ。
「ジャイラ王は、アマルはどうした?ムスタファは君が処刑したのか」
「はは……寝ぼけてるな。あれから何年経ったと思ってる?五十年だぞ」
「崖から落ちたのに」
「だが生きていた、辛うじて。草木を齧り泥水を啜り、執念だけを頼りに生き延びて、何日もかけ崖を這いあがり、都に帰還した」
断崖の突起に引っかかり九死に一生を得たものの、岩肌で削れた顔は醜く様変わりし、毒霧の症状で髪から色素が抜け落ちました。
「俺は名と素姓を偽り軍に入隊し、ムスタファと王に仕えた。毒霧を吸い込んだ喉が潰れ、二目と付かぬ顔に成り果てていたせいか、幸いにして気付かれなんだ」
「何故」
「復讐だ」
マルズークは軍閥で迅速に出世を果たし、数々の武勲を立て、三十年前にクーデターを起こしました。
「ジャイラ王はこの手で殺した。ムスタファは広場で処刑した。首は串刺しで晒したぞ」
「アマルは?」
「炉にくべた」
何を言ってるかわかりません。
「ああ、俺としたことが端折ってしまったな。すまんすまん……お前がくれたシャムシールを失ったのは返す返すも痛手だった。聞いてくれイルファーン、お前を忘れた日は一日もない。毎秒毎分お前のことだけを考えていた、お前をヤツから取り戻すことだけを。しかし黒き奈落のジブリールは強い、生身の人間ではかなわない。魔人を倒せるのは魔剣だけだ」
マルズークの目が虚ろになります。
「ある夜、夢に予言者が現れた。長い黒髪にオパールの目をした、美しい男だ。俺はどうすれば精霊殺しの魔剣を造れるか聞いた」
聞きたくありません。
「予言者は言った。黒き奈落のジブリールを討ち滅ぼしたくば、百人の乙女を贄に捧げ、その火で剣を打てと」
ジブリール、君はどこまで。
「だが足りぬ。完璧ではない」
鞘から抜いたシャムシールをうっとり掲げ、強欲の権化が微笑みます。
「剣が完成した時、再び予言者が現れこういった。このシャムシールは千人の乙女の血を吸い、初めて精霊殺しの権能を得るのだと」
それこそ夜伽の名目で薄幸の乙女を集め、斬殺していた理由。
風聞と現実には彼我の齟齬がありました。彼女たちは破瓜の前に殺されていたのです、試し斬りの為に。
「目を覚ませ、だまされたんだ!」
ああ、なんてことだ。
崖に落ちたマルズークはジブリールを見ていない、だから勘違いをした、夢に現われたジブリールを予言者と取り違えた!
「君を唆したのはジブリール本人だ、彼の言うことはでたらめだ、百人の乙女を炉に捧げ千人の乙女を斬り殺しても魔剣など造れるものか、全部全部君の魂を地獄に堕とす策略だ、仕組まれた事だ!」
貴方が愛したマルズークはもういない。
此処にいるのは黒き奈落に堕ちた王、守るべき民を虐殺した愚かで哀れな暴君だけ。
「お前が九百九十九人目だ、イルファーン」
マルズークが壮絶な形相で泣き笑いし、息をも継がせずシャムシールを振り抜きました。
五十年を経ても無双の腕は衰えず、戦場で経験を積んだぶん冴えを増し、流星雨の剣閃を描いて貴方を追い詰めます。
「毎晩毎晩悪夢にうなされた、夢にお前が出てきた、どんな夢か教えてやろうか!」
躊躇ういとまはありません。
魔法で剣を復元し、マルズークの刃を受け、弾き、廻ります。
「狼の群れに喰われながら犯されていた、顔が見えない男に嬲られていた!俺は毒霧が満ちた谷底を惨めに這いずりお前が獣や男に犯される姿をむざむざ見せられるんだ!」
「僕は此処にいる、ちゃんと帰ってきたじゃないか。待たせてごめん、でも大丈夫また二人で旅に」
左手首から先が鮮やかに斬り飛ばされ、宙を舞います。
「遅い」
ええその通り、貴方は遅すぎた。
貴方を失った五十年の間に、マルズークの心は孤独と幻影に蝕まれ、病み衰えていたのです。
狂王の瞳には救い難い悲哀と絶望の翳りが巣食っていました。
あるいは。
彼が手にしているのが本物の魔剣なら、使い手の意志と体を乗っ取り、動かしているのかもしれません。
「止まれないのか」
「痴れたことを」
暴君を弑さねば犠牲者がでる、千人目の乙女が死ぬ。それはサフィーヤの娘や孫かもしれない。
在りし日ジブリールが蒔いた悪意は確かに芽吹き、どす黒い狂気でもって友の魂を毒し、虐政を敷く暴君に貶めました。
目を瞑り、気息を正し、残る片手に握り直したシャムシールの切っ先を王に向けます。
極光の眼光が覚醒。
旋風を巻き起こし、ほぼ同時に必殺の一撃が繰り出されます。
風切る唸りを上げて迫る刃にあえて横髪と耳朶を断ち切らせ、その隙に大胆に踏み込み、研鑽に洗練を重ねた剣舞を絶技に昇華させ、マルズークの首に狙いを定め……
ラピスラズリの耳飾りごと肉片が床を叩き、一拍遅れて首が鮮血を噴き上げ、後ろ向きに倒れました。
狂王マルズークは最後まで魔剣を手放しませんでした。首と胴が別れても、なお。
彼は最期まで剣士でした。
「……強欲のマルズーク」
全身返り血にまみれて跪き、脱力した体を支え起こし、剣を差し替えます。
為すべきを為した貴方は、玲瓏と月光が注ぐ閨に坐し、捧げ持った生首に接吻しました。
閨に駆け付けた侍女が悲鳴を上げ、衛兵たちが馳せ参じます。貴方は王の首と魔剣を抱え、窓枠を蹴り、空へと逃げました。
……ふゥ、なんてこった。僕ともあろうものが、まさか偽物を掴まされるなんてね。
偽物じゃない?王の死体が持ってた方が本物?はッ、物は言いようですねえ。
僕が欲しかったのは正真正銘の魔剣。百人の乙女を炉にくべ、九百九十九人の乙女の血を吸いなお錆びない、強欲のマルズークですよ。
どっこい、かっぱらってきたのは無銘のシャムシール。こんな馬鹿げた顛末ってあります?
まあね、言い分はわかりますよ。貴方にとっちゃ此処に展示されてる方が……若き日の友の手垢がしみた、シャムシールの方が本物なんでしょうよ。
いい加減認めておしまいなさい。貴方が愛した強欲のマルズークはもういない。
あの後。
都を去った貴方は何か月も空を飛び続け、数十年ぶりにマルズークの故郷を踏みました。
再生した大地を。
マルズークが生まれ育った集落跡にはオアシスが湧き、草木が茂り、小鳥が囀っていました。清冽に澄んだ泉には獣たちが集まり、冷たい水で喉を潤しています。
あの日貴方が注いだ水が、オアシスを生み出したのです。
それが証拠に泉のほとりには七個、粗末な石の墓標がたたずんでいました。
貴方は一番小さい墓標の横を掘り、しゃれこうべを穴に安置し、至極丁寧な手付きで砂をかけました。
簡単な埋葬を終えた後、狂王の妄執が生んだ魔剣を砂に突き立て、灼熱の太陽輝く天へ隻腕を捧げます。
雨乞いの儀。
「ごらん。手向ける花が尽きないね」
雫が一粒、地面に黒点を穿ちます。ポツポツ、さらに続いて。
貴方が召喚した雨は泉の鏡面に波紋を広げ、美しく咲き誇る花々を濃く濡らし、銀月の墓標を伝います。
廻る、廻る、廻る。
世界を従え、廻る。
点から線となり降り注ぐ雫を受け、白き舞い手のイルファーンが嘗ての友を葬送します。
片方の耳たぶはちぎれたままあえて癒さず、水を含んで纏い付く薄衣を翻し、笑顔さえ浮かべて舞い踊り、上手く均衡をとれず躓き、倒れ、剣の墓標へ這いずり、刃で身が傷付くのも厭わず抱き締めて。
「やっぱり。間違ってなかった」
マルズーク、君は。
君たちは。
「人間は愚かで、素敵だ」
……話はおしまいです。
精霊に寿命はありません。少なくとも肉体の上では。しかし心は?その精神はどうでしょうか。
驚異の部屋に招かれたということは、ね、イルファーンさん。貴方はきっと死んでるんですよ。
貴方を此処へ呼んだのは強欲のマルズーク。そして今、貴方が手に持っているのも強欲のマルズーク。
一体どちらが本物なんでしょうね。解釈は人それぞれでしょうか。
僕は驚異の部屋の学芸員、あの世とこの世のはざまの番人。胸に秘めた願いがあれば言ってごらんなさいな、ちょっとした代価と引き換えに叶えてさしあげますよ。
ふふっ、そうこなくっちゃ。しかと承りました。
さ、剣をください。本物と偽物、真贋対にしてきちんとお預かりしますよ。
強欲のマルズークは地獄にいます。
貴方も其処に。
ねえイルファーンさん、地獄にも砂漠はあるんでしょうか。花は咲くんでしょうか。
よく知ってるくせにって……これから貴方が行く地獄が、僕が知ってる地獄と同じとは限らないでしょ?
けどまあ、貴方が決めたことならとやかく言いません。
白き舞い手のおみ足が踏むならば、地獄にも恵みの雨が降り、花が咲くかもしれませんもんね。
では、王様によろしく。
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