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第1話

「ケイさんて、すごく綺麗な目をしてるな」  向かいの席に座った男が身を乗り出し、眼鏡に遮られた伏せがちの瞳を覗き込むようにして言った瞬間、吉沢(よしざわ)(けい)の低めの体温は確実に数度上がった。 「や……ライトさんは、やっぱりそういうの上手なんですね」  上ずった声で返し、さっきからほとんど口をつけていないコーヒーで乾いた喉を潤して、慧は曖昧に微笑む。 「いや、100パー本気だよ。それと、俺のことはライトって呼び捨てで。ちなみにケイさんていくつ?」 「26です。ライトさ……ライトは?」 「俺は24。やっぱ年上か。落ち着いてるもんな。あ、ごめんな、さっきから俺タメ口で。馴れ馴れしい?」  男のややぞんざいでくだけた口調は慧をときめかせこそすれ、不愉快だとは全く感じない。むしろとても新鮮だ。  生真面目でとっつきづらい秀才的イメージの慧に、いきなり敬語抜きで話しかけてくる人間は職場でもプライベートでもいない。 「構いません。僕はその方がいいです」  あくまで堅苦しい慧に、ライトはクスクスと笑う。 「ケイさんも敬語やめろよ。気楽にいこう」 「はい……あ、うん、そうだね」  笑顔を作るが、緊張でなんとなくぎこちなくなってしまう。  目の前に今理想の男が座っているのだと思うと舞い上がりそうな気持ちになるのに、いきなり打ち解けるのは人見知りの慧にはなかなか難しい。  待ち合わせた駅前のコーヒーチェーン店、こうして向かい合って座ってもう10分、ろくに話もできていない。  ――つまらないヤツだと思われていないだろうか。  不安にかられた慧は、視線をそっと上げ男を窺った。  世慣れた大人のようにも好奇心に満ちた少年のようにも見える表情豊かな瞳は、逸らされることなく慧に注がれている。通った鼻梁の下しっかりとした輪郭を描く大きな口はその形がデフォルトであるかのように微笑を絶やさない。こじんまりと整ってはいるが日陰の花めいて地味な慧とは対照的な、自信に満ちたダイナミックな美しさに見惚れてしまう。  前を長めに残しサイドを刈り上げた今風の髪は、きっと人気の美容室でスタイリングされたものだろう。一見涼しげなイメージながらどことなくセクシーな雰囲気も漂う彼によく似合う、ダークブルーの垢抜けたシャツと黒デニムのスリムパンツは、慧の服とは値段がひと桁違うに違いない。勤め帰りの地味な白シャツとグレーのスラックス姿で来てしまった慧は、居心地の悪さにそっと身じろぐ。  不釣合いな自分達が他人の目からどう見えているのかが気になり、慧はさりげなく周りに目線を巡らせる。    金曜の夜7時だ。店内は満員だったが二人の席は隔離された角席だったし、会話が周囲に漏れ聞こえてしまうようなこともなさそうだ。それでもたまにライトの美貌に目聡く気づいた女性達が、ちらちらと視線を向けてくる。  いまだかつて味わったことのない感覚は、優越感というものだろうか。自分が特別にでもなったかのような錯覚に、慧の胸は高揚しときめく。この素敵な彼は今自分とデートしてるんだよ、と誰彼構わず自慢して回りたいような気持ちに、我ながらうろたえてしまう。いつもは目立たない隅の方で観葉植物さながらじっとしている自分が、こんなに浮き立ってしまうとは滑稽なほどだ。 「ケイさん、もしかして落ち着かない? 場所変えようか?」  ハッとして視線を戻すと、ライトがやや心配そうにみつめていた。 「い、いや、大丈夫だよ。ごめんね」  あわてて謝ると、彼は形のいい唇を笑みの形に崩す。 「ケイさんが謝るなよ。気楽な雰囲気で会いたいから、スタバにしようって言ったのは俺の方なんだから。居心地が悪かったら言って。遠慮しないで」 「ああ、うん。ライト、いろいろ気を遣ってもらって、本当にありがとう」  慧が恐縮して頭を下げると、相手はおかしそうに声を立てて笑った。 「ケイさんてなんか面白いな」  会ってまだ15分だが、ライトは本当によく笑う。  笑われてしまうのも当然かもしれない。なぜなら慧は、目の前にいる完璧に素敵な男に、いくらでも文句やわがままを言える立場なのだ。彼の時間を、笑顔を、優しさを、慧は金で買い上げた。だから彼は優しく接してくれる。慧が緊張でろくにしゃべれなくても、つまらなそうな顔なんか絶対にしない。 「じゃ、ちょっと無粋だけど、先にうちのシステムを説明させてもらうよ。一応、初回にしなきゃいけないって決まりなんで」  悪いな、と苦笑し、男は話し始める。 「まず、俺達ホストが直接ゲストと連絡を取り合うことは禁止されてる。メールは必ず『アイリス』本部を通してほしい。なので……」 「あ、ちょっと待って……」  慧はビジネスバッグの中から手帳とペンを取り出し、生真面目に構えた。  促すと、大きな瞳を見開いていた相手がまたおかしそうに笑った。彼が笑うたび周囲に光の粒子が飛び交うようで、慧は眩しさに目を細めてしまう。 「そんな、わざわざメモるほど面倒な説明はないよ」 「ああ、うん。でも……僕は結構忘れっぽいんだ。それに、今緊張してて頭がボケてるから、やや不安でもある」  記憶力には自信があるが完全に舞い上がってしまっている今は、上の空で彼の声に聞き入ってしまい、内容の方がおろそかになってしまわないとも限らない。本当はその美声ごと、すべてを録音しておきたいくらいだ。 「ケイさんて、見た目どおり真面目なんだな」  ライトは笑顔のまま肩をすくめ、説明を続ける。 「なので、今日は顔合わせだけだけど、次回からケイさんが俺を指名してくれるようだったら、その旨本部にメールして。料金は、聞いてると思うけど一時間につき一万円。俺のスケジュールが空いてれば、何時間でも延長可能。金はその日のデートの最後に俺に渡して。そこまではいい?」    ライトの説明を熱心に書き取りながら、慧は頷く。 「同じホストを指名できるのは、顔合わせを含めずで最大三回まで。もちろん途中でチェンジしてもいいし、複数同時指名もOK。その分の金はかかるけどな」    メモ帳に『三回まで』と記入し大きく丸で囲む。他のホストの情報は必要ない。慧が指名するのはライトだけだからだ。 「何か質問ある?」 「特にありません。よくわかったよ」  慧は手帳を閉じ、居住まいを正すと丁寧に頭を下げる。 「ライト、僕の指名を受けてくれてありがとう。不調法者ですが、よろしくお願いします」 「不調法者? なんか時代劇みたいだな」  ライトは楽しそうにクスクスと笑った。人と話すことに慣れていない慧は、同世代の人間の自然な会話というものがよくわからない。流行最先端をいっているライトからすると、慧にとっては普通の言い回しでも古くさく、奇妙に聞こえるのかもしれない。 「で、俺からひとつ質問があるんだけど」  ひとしきり笑ってから、ライトが身を乗り出した。 「ケイさんみたいな人が、どうして出張ホストを頼もうなんて思ったんだ?」  本気で不思議そうだ。ライトは慧と違い、内面が素直に顔に出るタイプらしい。 「あ、僕みたいに地味で口下手な人間は、やっぱり少し異質かな?」 「いやいや、そうじゃなくて。ちゃんとしてるしイケメンだし、その気になれば相手には不自由しないだろう?」 「そんなこと言ってもらったのは初めてだよ。ありがとう。でも、そうでもないんだ」  慧は苦笑する。真面目で誠実、容姿はそこそこ並以上でも、恋に恵まれるかどうかは別問題だ。恋愛巧者か否かは、人づき合いのスキルに比例する。  ライトにはきっとわからないだろう。人見知りで臆病な人間にとって、誰でも普通にやっている恋人作りのハードルがどれだけ高いのか。ましてや対象が同性であればなおさらだ。 「実は今、片想いしてる人がいて……思い切って告白してみようと思ってるんだ。何しろこの年まで誰ともつき合ったことがないから心配で、デートのプロの人に学んでリハーサルをしたいというか……そういう感じかな」    聞かれるかもしれないと予想し考えてきた嘘の理由を告げると、ライトは納得してくれたようで大きく頷いた。 「ああ、そういうゲストは結構いるよ。大丈夫、ケイさんなら絶対うまくいく。俺も精一杯協力させてもらいますんで、ご指名よろしくお願いします」  おどけた調子で頭を下げるライトに、慧は頷き返して微笑する。 「もちろんライトを指名させてもらうよ」 「マジで? サンキュ! 俺、ケイさんのためならいつでも時間空けるから。土日も夜間もオールOK」  軽く片目をつぶる仕草は粋で慣れている。台詞も流暢だ。きっと、どの客にも同じことを言っているのだろう。  だが、慧はそれで満足だった。他の客と同等の、その他大勢の扱いでいい。こうして一緒にいる間だけ、素敵な夢を見せてくれるのなら。

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