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第1話
登場人物
|磯城《しき》(八宮)
先の大王の末子。先の大王後半生の愛を、その母と共に独占する。大王は異母兄で長兄。同母兄弟はいない。
痩身美形で、非常に優秀。鷹揚な性格。
|葛城《かつらぎ》(東宮)
大王の長子。幼い頃より叔父の磯城に懐き、磯城は憧れの人から思い人になる。
非常に優秀であり、自信家でもある。
先の大王
磯城(二人目の后の子)、大王(最初の后の子)の父親。
溺愛する磯城の行く末を案じ、大王にそのための遺言を残す。
大后
先の大王二人目の后。磯城の母。
二十年以上后の地位にあったため、その権威、発言力共に大きい。一人子の磯城への愛は深い。
三宮
大王の同母弟。東宮位を葛城と争う。
二宮
大王の異母弟。磯城の異母兄。母の身分が低いため、表には出ない。本人も控えめな性格。
母の身分は低いが、資産はあり相続した本人も資産家。その資産で葛城を助力する。
嵯峨氏
大后の実家。大臣で、豪族最大の勢力を誇る。
磯城を一族の宝とみなす。磯城が後見する葛城を助力する。
二宮の王女
葛城が通う心優しい王女。父も自身も母の身分が低いため妃にはなれないと心得ている。
後、葛城の子を産む。
淡水
葛城の舎人。新羅からの渡来人。政変の煽りをうけて亡命した。新羅では花郎だった。
葛城の裏の仕事を請け負う。
プロローグ
「にいさまーっ」
日頃は静かな橘の宮に可愛らしい声が響いた。
「これは葛城の王子、お父上といらしたのですか」
足元に抱きついた小さな王子の頭を撫でてやると、葛城は期待を込めたまなざしで腕を伸ばす。
磯城はこのまなざしに弱い。ひょいと抱き上げてやると葛城の父である東宮がやっと追いついたという体で来た。
「まったく葛城は宮に入った途端走り出しよって……」
「兄上ごきげんよう、今日は父上、大王様のお召でしたか?」
「ああそうなんじゃが、葛城がせんだてはわし一人で来たことを知って、むくれて拗ねて大変じゃったから連れて来たのだ」
そこに威厳のある佇まいで時の大王、兄弟の父が姿を現した。
「賑やかな様子だと思ったら、東宮と葛城が来ておったか」
「これは父上、お騒がせして申し訳ございません」
「はは、良いぞ。ここは磯城も大きゅうなって静かじゃからの、時に賑やかなのも良いものだ」
「ありがたいお言葉で、そう申して頂くと私も気が楽になります。私だけで参上しますと後が大変なもので……。では、父上あちらでお話を。磯城、すまぬが葛城をよろしく頼む」
「はい、私がお相手しておりますのでゆっくりとお話なさいませ」
磯城は葛城を抱いたまま二人を見送った。
「まったく葛城は磯城によう懐いておるのう」
「磯城も可愛がってくれます故、益々懐いて困ったものです」
「なにも困ることはなかろう。磯城も日頃は大人ばかりに囲まれておる故、いい気分転換になろう。ああ、それでじゃな余からそなたには頼んでおきたいことがある。そう思って今日は呼んだのじゃ」
大王から長子である東宮への頼みとは、磯城と后の行く末のことだった。叔母である王女を后に迎え三人の子に恵まれたが先立たれた。
しばらくの間后は空席だったが、母の実家でもある嵯峨の姫を迎えた。親子ほども年が違うため最初は危惧したが、心映え優しく朗らかな人柄にすぐに夢中になった。
磯城が生まれてからは、二人は大王にとって生きる糧になっていた。后と磯城の二人を溺愛していると言って過言ではなかった。
しかし今大王の心を悩ますのは、二人の行く末だった。自分亡き後、大きな後ろ盾を失った二人を誰が守ってくれる? それはやはり東宮だと思う。
后は所詮継母だが、磯城は異母弟といえ血を分けた弟だ。無下にもしないだろう。自分の眼が黒いうちにしっかりと東宮に言い置いておかねばなるまい。
「父上、そのようなことご心配になさらずとも、必ず私がお后様も磯城の事もお守りいたします故、安心なされませ。それに私も考えておりますことが……」
東宮の更に踏み込んだ考えは、将来葛城が東宮になった時磯城を東宮の後見にすることだった。東宮が即位した後の新東宮に、葛城がすんなりと決まることは難しい。現東宮の同母弟の三宮との争いになるのは必須だった。
葛城と三宮との争いになれば、葛城の若さは不利なる。だが磯城を後見にすれば解決する。磯城も今は若いが、多分そうなるのは十年後以降、その頃は立派な壮年になっているだろう。
さらに磯城を後見にすれば、大臣である豪族最大の嵯峨氏を味方に出来る。
東宮は、何としても王統を自分の直系でつなぎたかった。同母弟であろうと三宮は所詮傍系だ。三宮に王統を渡すわけにはいかないと考えていた。
東宮の先を見越した考えに大王も唸った。さすが我が跡を継ぐ者。なんの異論もなかった。
大王は、可愛い磯城を大王にしてやりたい気持ちもあるが、そうなれば政争に巻き込まれるのは必須。
磯城は聡明で利発だが、心優しい資質ゆえ政争には不向きだ。それよりも若い東宮の後見として重鎮の立場でいる方が良い。大王はそう思った。
大王と東宮、我が息子を愛する二人の父の思惑が一致した。
お互いの父親が自分達の将来を決める話をしているとは、葛城は勿論磯城とて知る由もなかった。二人は暖かい春の庭を楽しんでいた。
「わあーきれい」
そう言いながら磯城の腕から降りた葛城は、花に向かって走り出した。
「ああ、そんなに走ったら危ないですよ、ああーっ」
「うえーん」すてんと転んだ葛城が泣き声を上げる。
磯城は、慌てて駆け寄って転んだ葛城を助け起こした。けがをしていないか見るが大丈夫そうだ。
磯城はほっとした。東宮の一宮である葛城に怪我でもさせれば、兄である東宮に申し開きできない。
「大丈夫ですか? けがはないようですが……痛いですか?」
「ひぐっ、ううーっいたい、にいさまいたいよーっ」
葛城は、磯城にしがみついて泣き声を上げる。
「ああ、それじゃあにいさまがおまじないしてあげますよ。痛いの痛いのとんでけーっ」
そう言って葛城の腕を撫でてやると、葛城は、不思議そうに磯城を見つめ、やがて泣き止んだ。
そして、涙で泣きぬれた顔に、少し笑顔が戻る。
「にいさまのおまじないはききましたか?」
「うん、にいさますごい、いたいのとんでったよ~」
「ふふっよかった。王子はえらいですね。ほらっ、お花がきれいですね」
すっかりご機嫌になった葛城は、色とりどりの花を見て歩き、目にとめた薄紅色の花を摘みはじめる。
そんな葛城が可愛らしいくて、磯城も隣にしゃがんで微笑ましく見守る。
「そのお花は一際きれいですね、摘んだお花はどうしますか? 母君様に差し上げますか?」
「ううん、にいさまにあげる」
「私にですか?」
「王子はね、にいさま大好きだから、はいっ」
小さい手で数本握った花を差し出す。葛城の眼はキラキラと輝いていた。磯城は微笑んで受け取った。
「きれい」
磯城に同意されたくて葛城は、期待を込めた眼差しで磯城を見つめる。
「ありがとう、ほんとにきれいなお花ですね」
「お花もきれいだけど、にいさまもきれい。……ううん、にいさまの方がお花よりずっときれい」
磯城の微笑みは、微苦笑になった。まったくなんてませたことを言うのだ。将来こんなことを女に言えば、大変な女殺しだ。
兄上も結構な艶福家と聞く。葛城は間違いなく兄上の血を引いているなと思った。
しかしその磯城の杞憂は半ば無駄になる。葛城が女にきれいと言うこと決して来なかったからだ。だが、存在そのものが女殺しにはなる。しかしそれはまだ先のことだった。
「ふふっ……ありがとう、男がきれいってのもあれだけど」
「? ど、どうして?」
「きれいと言うのは女の人に言うことですよ、たとえば王子の母君様とかに」
「で、でも母様もきれいだけど、にいさまのがきれいだよ。王子はね、にいさまが一番きれいって思う、にいさま大好きっ」
そう言って抱きつく葛城は可愛かった。小さく儚げな体を抱きしめて頭を撫でてやると、満面の笑みで自分を見上げる。
余りの可愛らしさに磯城は葛城の柔らかな頬に頬刷りすると、抱きついてきたのでその柔らかな体を抱きしめてやった。
柔らかで、愛しさがこみ上げる抱き心地だった。
磯城十三歳、葛城三歳のうららかな春のことだった。
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