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第2話
十年の時が流れ、かねてから病に伏せていた大王が崩御した。大王晩年の愛を独占してきた大后と磯城の悲しみはそれだけに誰よりも深かった。
磯城は殯宮となった橘宮で亡き大王の喪に服していた。磯城にとって最愛の父。いつも優しく暖かく愛してくださった。
磯城の脳裏には、父と触れ合った様々なことが蘇る。
時にお叱りを受けたこともあったが、それは自分を思うが故とありがたく、今となっては懐かしいばかりだ。
親鳥が小鳥を庇うように守り育ててくださった。父の愛が深かった故に喪失の穴もそれだけ深かった。
ほとんど食べることも無く、悲しみに沈む磯城を大后も心配した。大后とて悲しみは深いがそこは母親。磯城を支えてやらねばと気力を奮い立たせていた。
「父上、橘の宮に行かれるのですか」
「ああ、大后様と八宮(磯城)が心配じゃからの。様子を見てくる」
「そうですね、大分弱っておられるのでしょうか……私もご同道してよろしいでしょうか」
「よいぞ、そなたも行けば少しは気も紛れるかもしれんからな」
二人が悲しみに沈むのは仕方がないが、あまり沈み切ってもらうのも困ると東宮は考えていた。
長年東宮として亡き大王を支えてきた。特に大王が病に伏せてからは摂政の宮として実質政務を取り仕切ってきた。
故に己の大王即位はなんの異論もなかろう。
問題は次期東宮。葛城の十三歳は若すぎる。できるならもうあと五年ほど父上には頑張っていただきたかった。しかし、それはせんなきこと。
ここで東宮が弟の三宮に決まれば、葛城の東宮の芽は絶たれたも同然になる。それは絶対に許されない、王統は自分の直系でつながねばならないと強い思いでいた。
そのためには、かねてから考えていて亡き大王にも了承された案を進めないといけない。
それ故磯城にはしっかりしてもらわねばならないし、大后の賛同は必須だった。
「父上のお供えとは別に、お二人になにか気の紛れるものを土産にしたいな」
「そうですね、何か母上に見繕っていただきます。たしか干柿が良い出来じゃとおっしゃっておったような……」
母が選んだ花と、干柿を持って葛城は父に従い橘の宮を訪れた。先ずは義理の祖母でもある大后に挨拶する。
「二人ともようお越しくださった。亡き大王様もお喜びじゃろうて。きれいな花は心を和ませてくれるのう。それに干柿は磯城の好物。食べてくれると良いのじゃが……」
「あまり食が進んでおらんのですか?」
「そうじゃ、心配でならん……われの悲しみよりも磯城の身が心配じゃ……東宮どうか磯城を支えてくだされ」
「磯城のことは私にお任せあれと亡き父上にもお約束しておりました。ご心配なさらずにご安心ください」
「そう言ってくださるとほんに心強い」
「おばあ様、私が干柿を叔父上に持っていってもよろしいでしょうか」
「ああ、そうしてくだされ。ついでに話し相手にもなって気を紛らわしてやっておくれ」
「叔父上、入ってもよろしいでしょうか」
返事がなかった。葛城はそっと中の様子を伺う。磯城は一人物思いにふけっているようだった。
その姿が余りにもはかなげで胸が痛くなる。最後に会った時、とうとう背丈が並ばれてしまったと笑ったあの笑顔を思い出す。
それなのに今は己より小さくなってしまったように見える。笑顔も無く、顔色が悪い。
はかなげな体を抱きしめたい。己が守ってやりたい。雄の本能ともいえる激しい欲望が、いまだ少年の身に沸き起こった。
「叔父上、干柿を持ってきました。今年の出来はとても良いと母上が持たせてくだされました。叔父上の好物でもありますし」
「葛城の王子か……来ておったのか。気付かなんだ……すまないな」
磯城は弱々しい声で答えた。干柿を目には止めるが、手には取らない。葛城は磯城の手に干柿を渡してやる。
「さあ、食べてくだされ、甘くておいしゅうございますよ」
食べるまで離れないという気概を込めて見つめる。葛城のこの眼差しに弱い磯城は漸く口にする。
「美味しいな……ううっ……」
食べながら突然泣き出した磯城を、葛城は思わず抱きしめた。己の腕の中で忍び泣く磯城はやはり小さいと思った。
磯城とて決して小さいわけではない。葛城が大きいのだ。十三歳にして叔父と並びこれからは追い越す一方だろう。
葛城は己より小さな体を抱きながら燃え上がる身の内を必死に抑えた。少年の身でこの抑制力は驚嘆する。やはり帝王の資質だろうか。
「すまないな、叔父である身で泣くところを見せるなど……恥ずかしいな……」
「そのようなことはございません。泣きたい時はお泣きください……干柿に何かおじい様との思い出がおありでしょうか?」
「父上もお好きじゃった。毎年最初にできたものを一緒にいただくのが楽しみじゃった。しかし今年は出来る前に逝ってしまわれた」
「おじい様には、先んじてお供えしましたので……叔父上も沢山召し上がって元気になっていただかないと、おじい様の御霊も安らげませんよ」
「そうだな、それにしても王子に諭されるとはなあ……小さくていつも私に抱っこされていたものが……」
「ふふっ、このように今では私の方が大きゅうございます」
「さすがにそれはなかろう。同じ位ではないか」
「まったく叔父上は、ご自覚されませんと。私より小さいのがお嫌でしたらもっと食べられないとなりませんよ」
たわいもない会話ではあるが、大王崩御後初めて交わしたまともな会話に磯城は、ほんの少しだが沈んだ心が浮上するのを感じた。
葛城の言う通り元気を出さねば、亡き父上にも申し訳ないという気持ちになれた。
これこそ葛城の持つ力の現れで、後年、磯城は何度もその力故、時に戦き、時に助けられることになる。
父と共に幸玉宮に帰った葛城のもとへ、舎人頭が新しい舎人を連れて挨拶にきた。
「葛城の王子様付きの舎人として雇入れました。新羅からの渡来人です。花郎だった故身分は悪くないですし、色々とお役にたつかと。これ、王子様にご挨拶しなさい」
「金淡水と申します。よろしゅうお願い申し上げます」
「淡水か、言葉も使えるようじゃな……わかった、ようはげむようにな」
元花郎か……花郎はたしか……葛城の胸にある思いが浮かんだ。
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