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第3話
次の大王を決める朝議が開かれた。東宮を大王にとは異論は全くなく決まったが、問題は次期東宮だった。
葛城を推す勢力と、三宮を推す勢力に判れて結局は結論を持ち越された。当面の間東宮は空席になる。
新大王は壮年で健康でもあったため急ぐ必要もなしとされたが、それぞれの思惑は急いで策を講じねばだった。
後年、東宮はおろか大王も子供どころか、赤子がなることも普通になるが、この時代は自分の意思で政を司ることは必須であった。
時に大王自ら戦の指揮を執ることもあった時代、大王や東宮が子供では務まらないと考えられたのは当然でもあった。
それゆえに、長子相続よりも兄弟相続は普通のことだった。子供の長子より、壮年の弟というわけだ。
葛城対三宮の次期東宮を巡っての争いは水面下で始まった。
そうした中で新大王の即位の儀式が幸玉宮で厳かに執り行われた。これより政の中心は、橘の宮から幸玉宮になる。
新大王即位後、初めての新年、本日は賭弓《のりゆみ》の儀が行われる。
後世では、正月の宮廷行事として遊戯化するが、この時代は大王自ら兵を率いて戦うこともあり、まだまだ実戦的な意味を持っていた。
先ずは、大王をはじめ諸王族、ならびに主だった豪族の射礼《しゃらい》で始まる。
その後、各王族や豪族の腕自慢の舎人を紅白に分けて、賞物《しょうもつ》をかけての競射が行われ、例年かなりの盛り上がりをみせる。
射礼は、大王から始まる。射礼は呪術的行事であり、願掛けや、事の吉凶を占う要素があるため、当てることが肝要とされた。
大王即位後初めての射礼、皆が注目する中の一矢。
「天下国家の安泰を、吾が民の繁栄を祈して」
力強い声と共に、矢は中心からは少し外れるものの的に当たる。皆がさすがは大王様と称賛する。
次は、大王一宮である葛城の番だ。
「吾が国の平安と豊穣を祈って」
葛城の放った矢も中心ではないが、的に当たる。実は、葛城はこの日のために弓矢の練習を相当こなした。大王の一宮である自分が失敗するわけにいかないからだ。無事当てた葛城は安堵しつつも、余裕のある顔で、皆の称賛を受ける。
そして、葛城最大のライバル三宮の番。
「我が望み全てかなえよ」
なんという祈願! このような我欲に満ちた祈願をするなどと皆がどよめく中、三宮の放った矢は、的ギリギリではあるが当たった。
当たったということは、三宮の願いが叶うということか? 三宮の願い? それは自身が、東宮にひいては大王になることだ。
大王、一宮と国家の安寧を願う射礼が続き、祝福で満ちた空気に不穏が漂う。むろん、祝福に水を差すための三宮の計算だった。
ここで、東宮を争う一宮より、先んじたかったのだ。
「次は、私がいたしましょう」
磯城の澄んだ声音が、ざわめいた空気を払う。磯城は大きく息を吸い込み気持ちを整える。
「我が大王の世を栄え奉らんことを祈りて」
磯城の放った矢は、見事中心ど真ん中に当たる。皆が「おおーっ! 見事だ」と完成の声を上げる。
三宮の祈願は、磯城の祈願の前に敗れたことは明らかだった。再び祝福の空気が戻る。
この時代、この手の行事は迷信ではなく、大いに重んじられた。
結果次第で、政情が安定もすれば、不安定にもなる。人への評価にもつながる。故に、葛城も練習したし、三宮も策を講じた。
磯城は、この射礼のために取り立てて何もしなかった。
先の大王が元気なころ、手ずから教わり弓矢にはよくなじんでいたこともあったが、無心で臨んだ磯城の勝利であった。
葛城は、磯城に駆け寄り、幾分興奮気味に話しかける。
「叔父上見事でございます。まさに中心、ど真ん中に当てるなど素晴らしいです」
葛城は、磯城への憧れを新たにした。何とこのお方は、素晴らしい方なのだ。美しいだけではなく、凛とした力強さも併せ持つ。
大王も喜色満面の面持ちで磯城を呼び寄せる。
「さすがは八宮、見事であったぞ。そなたは余の自慢の弟だ。これからも余への助力期待しておるぞ」
大王は、最高の称賛の言葉を磯城に告げる。
大王の磯城への称賛は心から本心であり、余への助力、具体的にそれは東宮の後見であった。
早急にことを進めねばと大王は思う。それが自身の世の安寧のためには、最重要事項であると思った。
あのような場で、堂々と大王である己に挑むような三宮を退けるためにも急がねばと思う。
葛城は、感動で胸を一杯にしていた。
あの方は、何と素晴らしいのだ。今日の透き通った声音に、あの凛とした佇まい。今思い出しても胸が躍る。
我が思い人は、美しいだけではない。強い人でもある。今日は、それを見事に証明した。
幼い頃は、きれいで優しいからと一心に慕った。いつもその姿を追った。
やがて、かの人は美しいだけではないと知った。
頭脳明晰、学者も一目置く優秀さ。大柄ではなく、むしろ華奢な体格ながら今日のような武芸もこなす。
完璧だった。まさに我が憧れの人だ。
必ずや、あの美しい人を我がものにする。常に自分の側にいて欲しいと思った。
磯城への思いを秘めた葛城は、少年から大人の男になろうとしていた。
三宮は、屈辱で歯ぎしりする思いであった。自身の思惑は、磯城によって振り払われ、まさに完敗と言えた。
末弟の分際でしゃしゃり出てからに……。
まあ、そうだあいつは所詮八宮、末弟にすぎん。捨て置けばよいか……。よきこととて、悪き噂と同じでいずれ人の口に上らなくなる。
それよりも問題は東宮に誰がなるかだ。
今日の一宮の様子じゃ、まだまだ子供じゃな。あれでは年齢的にもわしに分がある。
三宮にとっては、磯城は末弟、葛城は、子供だった。二人の真の能力を見極められない三宮の限界だった。
大王、葛城、三宮三者の思いとは裏腹に、磯城は無心だった。
射礼のことを、喜び称賛する母である大后や、嵯峨の伯父たちにも冷静だ。
確かに、あの時はどよめいた空気を変えたかった。しかし、磯城にとってはそれまでにこと。特別素晴らしいことをしたわではない。
矢は当たるべくして当たった。磯城はそう考えていた。
むしろ、あまり称賛されるのは面映ゆい。磯城は静かに過ごしたかった。自己顕示欲も、権力欲も持たない磯城は、日々を心穏やかに過ごせればよいと考えていた。そんな磯城にとって、過ぎた称賛は本意ではなかった。
しかし、磯城は否が応でも政治の中枢へ引き込まれることになるが、まだ少し先のことになる。
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