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第一章 出逢い(1)

堂本との約束の刻限はとうに過ぎていた。  彼に逢いたいわけではないが、約束を違えると交渉が進まないことへ上条は苛立ちを隠せなかった。  糊を効かせた白シャツに黒のカマーベストを身につけて、蝶タイをしたボーイがグラスを運んできた。上条はグラスを受け取りマティーニへ口つける。そしてそっと周囲を伺った。上条は高級クラブへ出入りできるほどの給料ではない。しかも闇医者まがいな生業で、いつも懐具合は寂しいのが本音だ。だからこそ一週間前に堂本から月城に逢わせたいと指定されたクラブ、赤坂にあるdangerous(デンジャラス)が、上条には敷居が高く感じた。タワービルの最上階にあるdangerous(デンジャラス)は直通のエレベーターがあり、一階のロビーで身分証やクラブ会員のカードを提示しなければならない。上条宛に送りつけられたカードは会員カードではなく、オーナーのゲストカードだった。一度のみ使用ができるというものらしいのだが、これには紹介者の名が必要で、その名が堂本ではなく『月城』だというのが余計に不安を募らせた。なにしろ、月城がこのデンジャラスのオーナーだというのだから。ロビーで提示した際も、黒服のマッチョな係員の男の不躾な視線を浴び、さらに『月城オーナーのゲスト様で、お間違いないでしょうか』などと問われるなんて、ゲストとして疑わしいということだろう。  上条が直通エレベーターへ乗り扉が閉まる寸前、数人の黒服の男たちが乗り込んできた。 『失礼します』  軽く会釈をして隅によってはいたが、黒服連中の醸す雰囲気はとても堅気とは思えず、上条はしきりに喉が渇きを覚えた。診療所を営むようになり数多くのヤクザと接してきたが、それとは異なり品を感じるものの、やはり得体の知れない危険な香りは拭えなかった。エレベータは最上階に着き扉が開く。 『いらっしゃいませ』  フロアはシックな絨毯が敷き詰められて、スタッフは男女共に黒白で統一された制服を身につけていた。十代後半から二十代前半といったところか。中には熟年のスタッフも混じっていたが、それぞれに整った容姿が目立っていた。客層によって大体の席が決まっているようで、個室やラウンジなどに仕切りが設けてあった。 『上条様には堂本様より、こちらでお待ちいただくようにと承ってございます』  スタッフは若い者ではなく、熟練の細腰の美女だ。ラウンジのカウター席へ案内を受けた。  女性スタッフと入れ違いにボーイが飲み物を尋ねてきから、咄嗟に『マティーニ』と応えたのが、ちょうど40分ほど前になる。  ラウンジの中央にグランドピアノが置かれて、椅子に腰掛けていたピアニストの男にスタッフがメモを渡すのが見えた。間もなくしてピアニストの演奏する静かな曲が流れ、上条は心地よいメロディーに暫く聞き入っていた。グラスを口につけ空になっていることに気づいたが、二杯目を飲む気分ではなった。腕時計を確認する。あれから、さらに1時間20分が経過していた。  月城に逢わなくて済む理由ができたと脳裏を()ぎる。腰がひけた上条が席を立ちかけると、突然反対側にある個室から長身の男が颯爽と歩いてきた。タイミングのよさに上条は驚いた。エレベーターに同乗した黒服連中を後ろに従えていることよりも、男が放つ圧倒的存在感に目を瞠った。  190センチを優に超えた長身の男は、引き締まった体躯が着こなしているスリーピースのスーツの上からも伺える。高い鼻梁に二重の奥の目が印象的だが、全体的に彫りの深さ際立つ美丈夫だ。ただそこに存在するというだけで華があり、彼の行く手を居合わせた客やスタッフの視線が追いかける。上条も吸い寄せられるように彼を見入っていた。少しずつ上条へ距離が縮むに連れて、彼を囲うようにして付き従う黒服の男たちに目が留まりハッとした。 (彼が月城か?)  脈が速くなる。動悸もしてきた。もう数歩先がエレベーターだ。上条は駆け出すようにしてエレベーターへと急いだ。二人の黒服の男たちが、さっと長身のノーブルな男から離れてエレベーターの扉の前に立ちはだかる。 ――背後から声がした。 「上条傑(かみじょうすぐる)だな。 一緒に来てもらおうか」  低音の甘い声が耳朶をくすぐり、上条は暫し動けなかった。官能的というほうがより合うのかもしれない。 「聞こえているのか?」 「はい……」           

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