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出発の日
拉致事件の翌日、八千代たちは千鶴さんに怪我を診てもらった。りっくんと啓吾は問題なく、冷やしておけばいいらしい。八千代は傷口を縫ってもらい、塞がった頃に見せに来るように言われていた。診てもらったのに、終始態度の悪い八千代には注意したけれど。
この時初めて、千鶴さんが本物のお医者さんに見えた。正直、僕のコブを見てくれた時は色々と騙されたから、本当にお医者さんかどうか疑わしいところだったのだ。
週明け、学校ではりっくんと啓吾が先生に呼び出された。そりゃ、2人して顔にたくさん痣をつくって行ったのだから当然だ。
怪我について聞かれ、2人で殴り合いの喧嘩をしたと言ったのだとか。珍しい事もあるものだと、杉岡先生も驚いていた。言葉巧みにテキトーな言い訳を並べ立てたおかげで、今回は厳重注意で済んだそうだ。
そして、それからまた数日。
連休を利用して、僕たちは八千代のご両親が所有している別荘へ泊まりに来ている。今年は土日が重なって5連休だ。という事で、4泊5日の旅行をする事になっていたのだ。
拉致事件よりもかなり前に、八千代たちが母さんに許可を貰いに来てくれて、少し迷いながらも許してもらえた。しかし、母さんが『保護者が居ないと心配ねぇ』と言ったので、何故か凜人さんが同行する事になった。僕たちの事情を知っていて、身の回りのお世話もしてくれる。これ以上ない人材だと思う。
けれど、問題は八千代だ。凜人さんの名前が上がった時から嫌がっている。無理もない。凜人さんの本命は朔だが、僕の事も気に入っていてちょっかいを出された事もあるのだ。今後もしてこないとは限らない。
例によって、八千代は凜人さんを敬遠している。しかし、他の人は仕事などで来れない。そこで妥協案として、凜人さんには別荘の隣にあるコテージで寝泊まりしてもらう事になった。実質、休暇を僕たちの傍で過ごしてもらうって感じだ。
出発日の朝、凜人さんの運転する車に乗り駅に向かう。凜人さんが、母さんに丁寧な挨拶をしてくれたおかげで、すっかり信用されてしまった。オトナって怖いな。
そして、凜人さんお手製のお弁当をたらふく食べながら、新幹線で別荘地まで向かう。駅から別荘までは、車と徒歩で1時間。これがとんでもない山奥で、以前、千鶴さんが身を隠すために潜んでいた所らしいのだ。
着くなり僕たちは出掛ける支度をする。近くに川があり、そこで釣りができるのだ。釣った魚は、その場で焼いて食べる事もできるのだとか。焼き魚、大好きだ。
凜人さんは別荘の掃除をしてから来ると言っていた。掃除なんて、あとで自分たちでするのに。と思ったが、凜人さんは朔に尽くすのが至福らしく、黙ってお世話される事にした。仕事熱心なのか、はたまた変態さんなのか、凜人さんは紙一重だ。
道具を一式借り、いざ川釣り開始だ。僕とりっくんは、餌をつけるところから苦労した。虫なんて触れないんだもの。
餌は八千代と啓吾につけてもらい、僕とりっくんは投げて釣り上げるだけ。しかし、一向に釣れない。
八千代とりっくんは根気強く粘っている。朔は微動だにせず、もはや自然の一部と化している。
僕と啓吾は飽き······疲れたので、川辺りでBBQの支度をする。火を起こす前に凜人さんが来て、見事に仕事を奪われた。
釣りに戻る僕と啓吾。しかし、誰も釣れない。
「釣れなかったら、魚食べれないよね····」
「大丈夫だって。絶対誰か釣るから」
啓吾の予想は的中し、皆ひょいひょい釣れ始めた。
「お、かかった。凜人、網」
「はい、朔様」
凜人さんが朔の指示に従い、網を持ってじゃぶじゃぶと魚を迎えに行く。朔が、坊ちゃんみたいなところを初めて目の当たりにした。
朔に続いて、りっくんと八千代も釣り上げた。どちらも凜人さんが網を片手に補助に入り、そのまま魚を捌きに行ってしまった。
僕と啓吾は岩の上に座り、ボケッと川を眺めている。釣れない釣りが、こんなに退屈だとは思わなかった。啓吾なんて、地面に竿を突き刺して寝転がってしまった。
「啓吾、それ借りてる竿なんだからね。乱暴に扱っちゃダメだよ」
「俺もう釣り飽きた〜」
「うーん、そうだねぇ····。釣れないとボーッとしてるだけだもんね」
「その、ボーッとする時間が良いのですよ。自然を感じ、日々の喧騒から切り離された自分を見つめ直す。己と向き合うのも、釣りの醍醐味です」
「凜人さんは、釣りしないんですか?」
「私には、重要な役目がございますので」
「魚だったら、俺捌きますよ? 凜人さんも朔と釣りしてきたらどうっすか?」
「そんな恐れ多い。私如きが朔様と並んで釣りなど····釣りなどッ······」
「はい、竿どーぞ。捌くの代わるからこっち頼みますね。俺、マジで釣り向いてないし」
「そんな····、よろしいのですか? 私が朔様の隣で釣りを····」
やはり、凜人さんは間違いなく変態さんだ。竿を握り締めて、ブツブツ言いながら朔の隣に立った。
こうして並んでいるのを見ると、普通に兄弟に見える。しかし、凜人さんの朔を見つめる瞳は、決して兄弟のそれではない。
そういえば、凜人さんの朔への想いって、どういう種類のものなのだろう。まさか、恋愛的なものじゃないとは思うけど····。
「ねぇ啓吾、凜人さんって朔の事好きなのかな?」
「ん? 執事つってるけど、ああやってたら兄弟みたいじゃん。好きって言うかアレ、ただの変人だし。なに、心配なの?」
「心配····なのかな。家族みたいなものだと思ってたんだけどね、凜人さんって何考えてるかわかんないなぁって思ったんだ」
僕にちょっかい出した時に感じた、朔を何よりも大切に思う凜人さんの想い。あれの真意が気になってしまった。
「凜人さんに聞いてみたら? 結人には聞く権利あるだろ。恋人なんだしさ」
「んぇ〜····。そんなの聞きにくいよ。執事さんに、ご主人様の事恋愛的な意味で好きなんですか? って聞くの?」
「ははっ、そりゃ聞きにくいな。大丈夫なんじゃね? もし凜人さんが朔を好きでも、朔が好きなんは結人だけなんだし」
「まぁ、うん、ね。そうなんだけどさ。あ、皆戻ってきた」
「大畠様、魚の下拵えありがとうございます。残りは私が」
「え、別にいいっすよ。その釣ってきたやつも俺やるから、凜人さんも休憩ドウゾ。掃除もしてくれてんだし」
「大畠様はお優しいのですね。ありがとうございます。でしたら、お言葉に甘えて少し散策させていただきます。この辺りの地形も知っておきたいところですので」
「魚焼けたら連絡するから戻ってこいよ」
「朔様····。私もご一緒させて頂いてよろしいのですか?」
「ん? なんか問題あるのか?」
「そうですよ。凜人さんも一緒に食べましょ! 美味しく焼いておきますね!」
なんて言ったけど、僕が焼いたのは焦げてしまった。皆と一緒に焼いていたはずなのに、なんでだ?
「なんで、ゆいぴのだけ焦げたんだろうね」
「火力強かったんじゃねぇ? 結人、俺のあげるから食べな? ほらぁ、んなにヘコまなくていいから〜」
啓吾が、焼けた魚を僕に差し出しながら言う。遠慮なく貰うけど、本当に情けない。
凜人さんが戻ってきて、皆で焼き魚を食べる。凜人さんと八千代だが、思っていたよりもギクシャクしていない。八千代は、凜人さんの事が心底気に入らないみたいだけれど、それでも一目置いているようだ。
お腹がいっぱいになったところで、日暮れ前に僕たちは別荘に戻る。夕飯まで時間があるので、僕たちは別荘の周りを探索することにした。
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