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挨拶ってこんなのでいいの?

 食堂に着くと、満さんが翔さんの脚を椅子に縛りつけていた。どういう状況なんだ。ご両親は完全にスルーしている。 「あっはは! 翔さん足縛られてんじゃん。なんで?」  あっけらかんと聞く啓吾に、僕とりっくんは賞賛を送りたかった。啓吾は、聞き辛い事をいつもサラッと聞いてくれる。  焦る事もあるが、今回はナイスだ。満さんに引き摺られて行った後、どうなったのか気になっていた。  翔さん曰く、プールに沈められたらしい。なるほど、髪が濡れている事に合点がいった。  それを全く気にも留めないご両親。いつもの事なのだろうか。凜人さんまで、その光景を全く視界に入れていないようだ。 「今夜の献立は──」  凜人さんがツラツラと献立を教えてくれるが、オシャレすぎてついていけない。聞いた事のない食材がちらほら混じっている。僕と啓吾は、ポカンとしてそれを聞き流す。  ゴールデンウィークに行った旅行の時も同じように聞き流したっけ。初めは何が始まるのかと驚いたが、流石に旅行の間に慣れてしまった。兎にも角にも、どれも美味しそうだ。    皆さんが優雅に食べているのを見ると、朔の所作が綺麗な事にも頷ける。育ちが良いとはまさに。なんだか悔しいのは、八千代とりっくんも気負いせず普段通りな事だ。  僕と啓吾だけ、沢山並べられたナイフとフォークに身構えているようで、なかなか食が進まない。こんなに美味しそうなのに。 「結人くん、お口に合わなかったかな? 君は物凄い大食漢だと聞いていたのだけど」  お父さんが心配そうに尋ねてくれた。とんでもない。一口でほっぺが落ちそうだ。 「い、いえ! あんまりこういう····えっと····慣れがなくて····。お料理は持って帰りたいくらいすっごく美味しいです!」 「あっはははは! そりゃぁ良かった。凜人にお土産を作らせておくよ。リラックスして、沢山食べるんだよ」 「やっ、そんなつもりじゃ······すみません」  顔が燃え上がりそうだ。長いクロスの敷かれたテーブルの下にでも隠れてしまいたい。  これと言って“挨拶”らしい話もせずに、僕は醜態ばかり晒している。どうにかして挽回しないと。僕がこんなにダメダメでは心配させてしまうだろうし、お付き合いだって反対されかねない。 「あの、お父さん。ずっと気になっていた事があるんですけど、聞いてもいいですか」 「あぁ、何でも聞いてくれて構わないよ」 「僕たちの事、どうして朔に電話で聞いただけで許してもらえたんですか?」 「朔が選んだ人だろう? なら問題はないと思ってね。それに、朔の人生だ。決めるのは朔であって、私達は余程の事じゃない限り反対なんてしないさ」 「この状況って“余程”じゃねぇの?」  翔さんが口を挟み、満さんに頭をはたかれていた。 「どこがだ? 猟奇的な殺人鬼でも連れて来ない限り驚きはしないぞ」  お父さんは半笑いで言った。殺人鬼ではないが、僕もこれは“余程”の関係だと思う。存外、翔さんの感覚がまともに思えてきた。 「僕··で、大丈夫ですか? 殺人鬼ではないですけど、頼りないし朔の為にできることなんて僕には何も····」  挽回するつもりが、どうにも弱気な発言しかできていない。本当に情けないや。 「朔を大切に想ってくれてるだろう? 凜人から色々聞いてるよ。君がどれほど朔を愛してくれているか。あの凜人が認めたんだから、まぁ大丈夫だろう」 「おい、恥ずかしいからやめろ。親父の口から愛してるとか聞きたくねぇ。つぅか判断基準が凜人なのか。いくらなんでも任せすぎだろ····」  ここに来て軽いな。と、率直に言うわけにもいかず、僕は言葉を飲み込んだ。そんな僕の代わりに、朔がツッコんでくれて良かった。色々と、喉まで出かかっていたのだ。 「うふふ。凜人の溺愛っぷりは私達以上だものねぇ。満より酷いんじゃないかしら」 「そぅそ。俺になりすまして朔の運動会行くくらいだもんな。おかげで俺行けなかったし。どんだけ朔好きなんだよって。朔もさぁ、そんなんと一緒に住んでるとか気持ち悪ぃ──ヒィッ」  凜人さんが、翔さんと椅子を繋ぐ縄を切った。シュンと投げたナイフで、だ。 「翔様、申し訳ございません。空いた食器をお下げしようとして、うっかり手元が狂いました」 「や〜、気をつけてね。ホント····」 「はい。翔様も、お言葉にはお気をつけください。朔様を侮辱なさった時は······」  凜人さんは、ナイフをもう一本手にニコッと微笑んで、見事に翔さんを黙らせてしまった。そうか、凜人さんがなりすましていたのは翔さんだったんだ。  少しずつ、瀬古家のパワーバランスが分かってきたところで、満さんが僕の可愛さについて語り始めた。唐突に始まった僕語りは、僕を地獄の業火で燃え上がらせる事となった。ダメだ。このままでは恥ずか死ぬ。 「満、そろそろやめてやれ。結人が照れて泣きそうだ」 「あら、ごめんなさい? ホンット涙目可愛いわねぇ」 「や、やめてください····。ホントに僕、可愛くないんで。それに、カッコ良くなるの諦めてはないんです」 「そうなの? だ〜ったらぁ、また店にいらっしゃい。うんっとカッコよくしてあげるわよ〜」  満さんがワインを片手に僕の肩を握って言った。酔っているのだろうか、目が本気すぎて怖い。 「おい満、結人に絡むな」 「だぁ〜ってぇ〜、うちにはないタイプの可愛い弟ができたのよ? たっくさん可愛がりたいじゃない!」 「満さん··が··お兄さん······はっ! そっか····僕、お兄さんとお姉さんがいっぱいできるんだぁ!」  満さんに“弟”と言われて気がついた。翔さんも桜華さんと千鶴さんも、上手くいけば希乃ちゃんも、お義兄(にい)さんとお義妹(ねえ)さんになるんだ。凄いや! 「聞いてた以上にぽやぽやしてるねぇ····。君らの双肩にのしかかる責任は重量級だなぁ。朔、もっとしっかりしろよ?」 「わかってる。結人は俺らが一生命懸けで守るから心配しなくていい」  朔は食事の手を止めることなく、食べながら受け答えする。余裕だなぁ····。  かたや啓吾は、フォークとナイフを握ってバカな事を呟いた。 「双剣····?」 「啓吾、両手剣じゃないからね。ゲーム脳で喋んな」 「んじゃソウケンってなに? 俺ら何か悪い事した?」 「そりゃ送検な。ボケるとこじゃねぇだろ、アホが」  八千代がツッコんであげているが、あれは呆れて黙らせたいだけなのだろう。 「んふふ、啓吾くんは面白い子ねぇ。私達の前でふざける子なんてそうそう居ないから新鮮だわ〜」  褒められているのか牽制されているのか。啓吾は、にへらと笑って誤魔化した。  食事を終え、食後のデザートと団欒を楽しむ。そして、順調に親睦を深めているところで、お母さんが嬉しそうに言った。 「そう言えば、朔がピアノ弾いてるの久しぶりに聞いたわね。腕は落ちてないようだけど、普段から弾いてるの?」  お母さん達が何処で聴いていたのかはわからない。だが、ピアノの音色が聴こえていたということは、僕の声も聞こえていたのだろうか。胃の辺りがキュッとして熱くなった。  けれど、朔はそんな事を気にする様子もなく、普通に受け答えする。大丈夫なのだろうか。 「いや、ここ出て以来弾いてなかった。すげぇ久しぶりだ。まぁ、散々弾かされた曲だったからな。体が覚えてるんだろ」 「私が好きだって言ったら朔、一生懸命練習して聴かせてくれたのよねぇ〜。あの頃はホントに可愛かったわ〜」 「な····やめろよ。ピアノは母さんが弾かせてたんだろ。満も翔も弾かねぇって逃げたから俺に回ってきたんじゃねぇか」 「いいじゃない。結人くん、喜んでたんじゃないの? ねぇ結人くん、楽器を演奏してる男性って素敵よね?」 「え、あ、はい! 朔、すっごくカッコ良かったし、弾いてる横顔がとても綺麗でした。聴いてるうちに涙が滲んじゃって····」 「結人くんは心が綺麗なんだね。聞いてた通り、真っ直ぐで素直だ。実際に君を見るまでは、そんな絵に描いたようないい子が実在するのかと思っていたけど····。実在したんだねぇ」  なんだろう。僕は都市伝説か何かだったのだろうか。なんにせよ、とんでもなく褒められているのだと思う。僕は、またもや俯いてしまった。  そして、照れて俯いた僕になど構わず、朔が追い討ちをかける。 「結人はすげぇぞ。自分より他人を優先させた挙句、まっさきに相手の気持ちを考えるんだからな。おかげで、俺らは何回も救われてんだ。大畠の家の事とか、場野の家の事とか、どうせ凜人から色々聞いてんだろ? 全部、結人が居たから丸く収まったんだ」  朔が珍しく饒舌に僕語りをしてくれるが、自分の親相手に恋人自慢って····。何をしてくれているんだ。 「朔ぅ····もう勘弁してよぉ······」 「お、わりぃ。ははっ、真っ赤になっちまったな」  朔は、僕を見てふわっと優しく微笑んだ。 「はぁ〜ん♡ 朔がそんな風に笑うなんてねぇ。昔はずーっとムスッとしてるか、澄ましたイケメンだったのに。変わったわねぇ」  満さんが感慨深そうに言葉を漏らした。朔は頬を赤らめてムスッと満さんを睨む。 「朔は何にも関心も興味も持たなかったもんな。マジでロボットかと思った時期あったわ。俺も満もすげぇ心配してさ、母さんに『朔はロボットなの?』って聞いた事あったよな」 「あったわね〜。懐かしい····。それ、朔が6歳の時よ? 下ネタ1つでバカみたいに笑う時期でしょうよ」 「満、みんながみんな下ネタで笑わないのよ。結人くんがわかんないって顔してるじゃない」  お母さんが笑顔で満さんを黙らせた。仰る通りで、僕にもそんな時期はなかったと思う。内向的だったし、下ネタなんて未だによく分からないのだ。笑うも何もない。  それからも、朔の昔話や翔さんのくだらない武勇伝を沢山聞いたり、他愛のない話をして和気藹々とした時間を過ごせた。全然“挨拶”だなんて感じがしないまま、僕たちはお(いとま)する時間を迎えたのだった。

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