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穏やかで幸せな時間

 目が覚めたら、身体が綺麗になっていた。ぐしょぐしょだったはずの掛け布団と枕も、ふかふかふわふわの新しい物に変わっている。  今、何時かな。部屋の外が少し騒がしい。けれど、朝食の時間よりは早いのだろう。  ぼーっとした頭が晴れてきて、はたと気づく。八千代が隣に居ない。ドコへ行ってしまったのか、僕は慌てて部屋を見回した。  ゴロッと半回転する。洗面台の前で歯磨きをしてる八千代が、もぞっと動いた僕を見た。歯磨きをしているだけなのに、どうしてそんなにカッコイイんだ。 「お、起きたか」  マイペースにうがいをしてからベッドのへりへ座り、振り返るように僕を見る八千代。僕の前髪をそっと指で攫い、優しい笑顔で聞いてくれる。 「身体は?」 「ん··大丈夫」 「はぁぁぁ····クソ··。お前のペースに呑まれちまっただろうが、この淫乱」  大きな溜め息を吐き、どことなく嬉しそうに言う八千代。『淫乱』と言った八千代は、凄くえっちに見えた。 「ひぅ··♡」 「どっか痛ぇトコとか気持ち悪ぃトコとかねぇか?」 「ん、ない。全部気持ちかった」  僕は、八千代に擦り寄って言った。 「あー····ヤッたんバレたらアイツらにキレられんだろうな。知ったこっちゃねぇけど」 「大丈夫だよ。僕も一緒に怒られるから」 「ったり前だろ。誰の所為で理性トんだと思ってんだ、アホ。けど、約束はちゃんと守れよ」  そう言って、八千代はズカズカと布団に入ってくる。そして、僕を抱き締めると、満足そうにふふんと鼻を鳴らした。 「うん。激しくシちゃったのは内緒、だよね」  確かめるように八千代の顔を見上げる。僕がニッと笑うと、八千代は目を細めてふわっと笑った。 「んへへ。あのね、八千代」 「ん?」  片方の眉をクッと上げて、僕の言葉を待つ八千代。笑い合って想いが込み上げた勢いで呼んじゃったけど、これから届ける言葉が頭に浮かんだ瞬間、やっぱり少し照れくさくなった。  だから僕は、八千代の胸へポスッと頭突きをして言う。 「愛してる····」  言葉にすると、想いは形を成して届く。瞬時に、耳がボボッと熱を持った。真っ赤になっているであろう顔を、見せられるわけなどない。  それなのに、八千代は僕の額をグイッと押し離して顔を見てしまう。半ばアイアンクローの状態なんだけど、流石に痛くはない。 「そうゆーんは顔見て言え」 「ふぇ····だ、だって、恥ずかしいんだもん」 「うっせ。もっかい」 「えぇっ!?」 「もっかい」  譲らない八千代。これは、言うまで離してもらえそうにない。 「あ······愛してる、よ····」  凄く小声になっちゃったけど、ちゃんと目を見て言った。これは恥ずかしい。恥ずかしすぎて、じわっと涙が浮かぶ。 「声ちっさ」  愛してると想いを告げた嫁へ、他に返す言葉はないのだろうか。ふはっと笑う八千代は、凄く嬉しそうに見えるけれども。  僕は、告白よりもしっかりした声で『八千代のバカ』と唇を尖らせた。すると、額を押さえていた手で今度は顎クイをする八千代。  互いに吸い込まれるようなキスをして、甘く優しい声で『俺も、愛してる』と言ってくれた。恥ずかしげもなく、僕の想いを覆い隠してしまうくらいハッキリと。  僕の目からは、ポロッと涙が零れ落ちる。何度言われたって、慣れる事などない愛の囁き。何度だって、それは変わらないのだと教えてくれる、八千代の真っ直ぐな言葉。  こんなに心温まる瞬間も、あと数時間で皆が来て反省の時間に変わるのだろう。それでもいい。皆には悪いけど、僕は今、この瞬間を愛で満たして心を保たないといけない気がした。  八千代に心を満たされて数十分後、揃って少しウトウトしていたところに、上品なノックの音で目が覚めた。朝食が届いたのだ。  運んできてくれたのは、看護師さんではなく場野家のお手伝いさん。とても病院食とは思えない、旅館の朝食みたいな朝ご飯だった。    食べ終えて食器が引かれたと同時に、待ってましたと言わんばかりの勢いで皆が来てくれた。なぜか、冬真と猪瀬くんも一緒に。 「お前ら、面会時間まだだろ」 「さっくんの王子スマイルと俺の巧みな話術でぇ、看護師さん突破してきました〜」  そう言って、啓吾は僕の隣にボフンと座る。 「うっわ、ふっかふか。てかさ、なんで部屋変わってんの?」  いきなり確信を突く質問。だが、ごもっともな質問。 「えっと····」 「一緒に寝んのに普通のベッドじゃ(せめ)ぇだろ」 「あぁ〜なるほどね。··ってなるワケねぇだろ!」  啓吾がノリツッコミをしている。可愛いな。 「普通はそんな理由で変えてもらえないし、そもそもなんで病院にこんなデカいサイズのベッドあんの? てかこの部屋さ、病院っつぅかラブホじゃん」  りっくんが、八千代をジトッと睨んで言う。それは、誰もがこの部屋へ入った瞬間に思うことだろう。病室っぽく作ったホテルの部屋って感じだものね。  猪瀬くんが『まぁまぁ』と宥めてくれたけど、りっくんは納得がいっていないらしい。おそらく皆が察しているのだろうけれど、あえて口にしないのは、それよりも重要な話をしなければいけないから。  皆、口々に僕の体調ばかりを気にしてくれて、八千代がイラつき始めた時だった。  和気藹々とした雰囲気が、朔の言葉でピリッと締まる。 「わりぃけど、嫌な話は先にしちまおうか」  そう言って、朔は凜人さん達から聞いた話を伝えてくれる。  僕たちがあの場を去った後、誘拐犯たちは凜人さんからさらなる仕打ちを受けていたらしい。あれは完全に朔の仇討ちだったと、杉村さんが声を震わせていたとか。  あまりに残虐だったから、杉村さんが手下の皆さんと必死で止めたけど、凜人さんが言うには杉村さんたちの仕打ちのほうが残酷だったんだって。  互いに(テイ)良く言っているが、要はそれぞれ自分がトドメを刺したかったんだと、朔が解説してくれた。あの人達がどう処理されたのか、仔細を聞く勇気はなかった。けど、昂平くん達の時みたいな容赦はなかったのだろうと予想はつく。  皆は、凜人さん達から事細かく聞いたらしく、言葉にならない様子であからさまに視線を逸らしていた。猪瀬くんなんて、口元を押さえて顔を青くしている。余程、酷い話を聞いたのだろう。  僕は、彼らの安否は確かめず、黙って静かに姿勢を正して話を最後まで聞いた。 「俺らも聞いたのはここまでだ。奴らを警察には渡してないらしいから、差し出せない状態なんだとは思う」  そう言って、朔は話を締め括った。なるほど、朔たちも結末····と言うか彼らの安否は知らないんだ。 「アイツら、これまでも色々やらかしてたみたいよ? 杉村さんがシメてる時にペラペラ白状したんだって。けど、流石にもう悪さはできねぇだろ」  啓吾がそう言って、紙袋を取り出した。 「つぅわけで、安心して帰れんね。荷物まとめとくから診察行っといで」  そうだ、退院前に一度診てもらうんだった。話を聞いていたら、あっという間に言われていた時間になっていた。  僕と八千代は着替えて、りっくんと猪瀬くんをお供に診察室へ向かう。 「で、昨日ヤッたの?」 「ハンッ··。内緒、だよな」  八千代は、僕の肩を抱き寄せて言った。やりましたって言ってるようなものじゃないか。 「は? 何それ。ゴリラは回復早いんだろうけどさぁ、ゆいぴは妖精なんだからゴリラ基準で無理させてんじゃねぇよ。ゆいぴの身体、もっと大切にしろつってんだろ」  誰が妖精だ。と、ツッコむ間もなく。ネチネチと文句を言いながら歩くりっくんを、猪瀬くんが宥めながら歩く。そうか、この為の猪瀬くんだったんだ。  それなのに八千代は、りっくんを煽るような態度をとり続けるんだもん。猪瀬くんも半ば諦め気味だ。 「あ、あのねりっくん、僕が我慢できないからシてってお願いしたんだ。アイツらの感触が残ってるの気持ち悪くて、八千代はシないっていったんだけどね、僕が我儘言ったの····」 「ゆいぴ····。ううん、ゆいぴが謝る事じゃないんだよ。俺が抱いてあげれなくてごめんね。この後の診察次第だけど、問題なかったら帰ってから俺がいっぱいいっぱいいーっぱい愛してゆいぴの身体を隅々まで俺の感触しか残らなくしてあげるからね」 「う、うん。ありがと····。んふふ、りっくんだねぇ」 「武居、気持ち悪いって言っていいんじゃない?」 「は? 俺気持ち悪くないし。ね、ゆいぴ」 「んへへ。りっくん、気持ち悪いよ♡」 「ほーら、全然気持ち悪くなさそうじゃん」  猪瀬くんは、解せないといった顔で、それでいて呆れた様子で先頭を歩き始めた。僕は、八千代とりっくんに挟まれ、2人と手を繋いで猪瀬くんに続く。  診察は、ものの数分で終わった。  八千代は、傷口が塞がるまで安静にして、念の為3日後に再検査へ来るよう言われていた。安静って、人によってボーダーラインが違うんだよね。いっそ、えっちはダメって言ってくれたほうが、僕たちも注意しやすいんだけどな。  僕は1週間後に様子を見せに来るよう言われた。それから、いつも診てくれるイケメンの先生に、強いねって頭を撫でられてしまった。子供扱いされているみたいだなと思ったんだけど、りっくんと八千代はヤキモチを妬いてしまったらしい。  りっくんが僕を抱き締め、これみよがしに頭を撫でながら『ゆいぴは頑張り屋さんだもんね〜』と、よく分からないマウントをとっていた。恥ずかしいし感じが悪いからやめようねと注意した手前、そんなヤキモチも心地良いだなんて言えないや。  僕たちは、そのままの足で病院を後にした。  猪瀬くんと冬真も一緒に僕たちの家へ帰り、凜人さんが用意してくれた昼食をいただく。僕たちを待ち構えていた杉村さんも一緒に。って、凜人さん達はどうしてうちにいるのだろう。  ワケが分からない僕は、目の前に出されたデカ盛りのオムライスに思考を奪われ、疑問は後回しにして綺麗に平らげたのだった。

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