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バレンタイン 第1話

 某年二月十四日。とある保険会社の会議室には、途方に暮れる二人の男の姿があった。 「……予想以上だな」  山積みのチョコレートを見つめてため息をつくのは、この会社の社長・蓮見悠人だ。 「昨年とは、桁が違いますね」  そう返すのは、蓮見の秘書・如月修一である。昨年まで、蓮見は副社長だった。それまでも女性に多大なる人気のあった蓮見は、社内・社外問わず大量のチョコレートをもらっていたものだが。やはり社長になったということで、贈られる量は一気に増えたのである。 「もういっそ、アフリカの難民の子供たちに寄付するか。企業のイメージアップにも繋がるし」   気のせいでなく、蓮見はイラついた声を上げた。愛しい恋人・三枝以外からのチョコなど、蓮見にとってはゴミも同然なのである。 「ですが、そうするには量が微妙ですね」  如月が、冷静に返す。蓮見はしばらく沈黙したが、やがてポンと手を打った。 「そうだ、如月君。こうしよう。バレンタインにチョコレートを贈る行為を、社として禁止するんだ」 「本気で仰ってます?」  如月は呆れ声を出したが、蓮見は平然としている。 「中元や歳暮については、すでに禁止令が出ているんだ。バレンタインも禁止したって、おかしくないだろう。むしろ、これだけが残っている方が妙なんだ。女性たちだって、負担が減って助かるだろう」  贈答禁止令を出したのは、前社長である。確かにもっともな意見ではあるが、如月は珍しく押し止めた。 「社長、それだけはお止しになった方がいいかと」 「どうしてだ?」 「よく、お考えください。なぜバレンタインだけが、残っているのかを」  如月は、蓮見をじっと見すえた。 「世の一般男性というのは、老いも若きも、バレンタインが大好きなのです。彼らにとって、チョコレートをもらうという行為は、一年に一度の生き甲斐です。社長のように女性に人気のある方にはわからないでしょうが、もてない男性にとっては、会社でもらう義理チョコだけが唯一の戦利品。それが! 無くなったら! 彼らは、自害して果てるかもしれませんよっ」  如月の脳裏には、二月に入ったとたん足繁く秘書室に顔を出す、他の役員たちの姿があった。 「だからこそ、バレンタインだけが残っているわけです。これを廃止などしたら……、今後、他の役員たちからの協力は得られないものとお思いください!」 「わ……、わかった」  蓮見は、こくこくと頷いた。 「では、バレンタインは継続ということで」 「かしこまりました」 「それにしても」  蓮見は、如月をチラと見た。 「君はずいぶん、客観的な物言いをするんだねえ。君だって、『世の一般男性』だろう?」 「私は、バレンタインに限らず、イベントには関心が無いんですよ」  本当である。クリスマスやハロウィンといったイベントも、部下の女性秘書らが話題にするから、かろうじて思い出すだけだ。 (下手をすると、自分の誕生日さえ……)  そこで如月は、あ、と小さく声を上げていた。蓮見が微笑む。 「どうかしたかい?」  いえ、と如月はかぶりを振った。蓮見は、ため息をつきながら、チョコの一つを手に取った。 「まあ取りあえず、このチョコ山の処理は君に任せたが……。何らかの対策は考えた方がいいな。君だって、大変だろう? 仕分けに、お返しの手配」 「それが私の仕事ですから」 「いやいや、相当疲労していると見たぞ? だってほら、君宛てのチョコが紛れ込んでいる」  蓮見は、手にしたチョコを如月に差し出した。確かによく見れば、『いつも素敵な如月様』と書かれたメッセ―ジカードが付いている。慎重に仕分けたつもりだが、漏れがあったか。 「……失礼を」  チョコを受け取りながら、如月もまたため息をついていた。今日は一日、この仕分け作業にかかりきりだったのだ。全身に、チョコレート臭が染みこんだ気がする。

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