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第2話
秘書室へ戻ると、如月は真っ直ぐに、一番奥の席へと向かった。現在如月は、秘書室長を務めているのだ。三十一歳での抜擢は、異例といってもいい。取り立ててくれた蓮見の顔に泥を塗らないためにも、部下の秘書たちの指導は、かなり厳しく行っている。ちなみに、五人いるメンバーは、全員女性だ。
「バレンタインチョコ、役員の方々全員に、無事お渡し終えました」
一人が報告する。お疲れ様、と如月は答えた。
「いえいえ! 社長以外の方宛てなんて、微々たる量ですもん。室長こそ、お疲れ様です」
「あ~、でもこの日が終わるとスッキリですよね!」
あからさまに叫ぶのは、一番年若い秘書だ。
「○○専務なんて、普段は内線で済ますくせに、二月に入ってから朝昼晩と用も無いのにやって来て……。ウザッ、て感じでした」
普段なら注意する言葉遣いだが、その気にもならないのは、やはり今日疲れ果てているせいだろう。如月は、自席にどさりと腰かけた。すると、部下の一人がやって来た。
「こちらは、室長宛ての追加です」
ぱんぱんに中身が詰まった紙袋を差し出されて、如月はため息をつきたくなった。すでにもらった分と併せて、量は相当なものになる。もちろん蓮見宛ての分と比べればずっと少ないが……、それでも三分の一はあるだろう。
「うんざりってお顔ですね」
部下は、苦笑した。
「甘いものは、苦手ですからねえ……。社長宛ての分を仕分けしているだけで、気分が悪くなりそうでしたよ」
そうは言いつつも、如月は礼を述べて受け取った。すると部下は、もう一つ紙袋を差し出してきた。
「それを存じてますので、私たちからは、チョコ以外のものにしてみましたよ」
そうそう、と他の皆も頷く。中をのぞいて、如月はおやと思った。
「これは……」
「そう、お猪口のセットです! 室長、日本酒お好きでしょう」
部下たちの気遣いに、如月は思わず顔がほころぶのを感じた。
「ありがとう。私の好みに、ぴったりですよ。こういう気配りができるようになったというのは、皆が成長した証拠ですね」
部下たちが、まんざらでも無さそうに微笑む。そこで如月は、紙袋の中にもう一つ箱が入っているのに気が付いた。イクラの醤油漬けだ。
「それ、おつまみにどうぞ!」
「確かに、好物だけれど……。こんなにいただくのは、申し訳ないような」
十倍返しでも期待されているのでは、と如月は背筋が薄ら寒くなった。すると部下は、かぶりを振った。
「明日の分も、併せてですから!」
如月は、目を見張った。
「皆、覚えていてくれたんですね」
当然、と部下たちは頷いた。
「明日は、室長のお誕生日でしょう」
「本当に二月生まれとか、すごいですよね~。名は体を表す?」
「それ、違うでしょ」
キャッキャッと笑い合う部下たちを、如月は微笑ましく見つめた。そこで、ふと思い出す。蓮見はチョコ山の処理を、自分に任せたと言ったではないか。
「皆、本当にありがとう。そんなあなた方に、早速お礼の気持ちを示したいんだけれど」
部下たちの顔は、期待に輝いた。
「今から、第三会議室に行っていいですよ。そこにあるチョコレート、好きに分けていいから。……ああ、もちろんホワイトデーのお返しとは、別ということで」
きゃあっと、歓声が上がる。皆、口々に礼を述べながら、我先にと部屋を飛び出して行った。
(アフリカの子供たちへの支援は、また次の機会にするとしますか)
そこで如月は、あ、と気付いた。自分宛てのチョコレート、これも彼女たちにあげればよかったではないか。
(どうしますかねえ……)
恋人・真島は大の甘党だけれど。しかし、他の女性からもらったチョコとなれば、彼もいい気はしないだろう。義理チョコも多いが、そうでないものも交じっていると如月は知っていた。その仕分けまでは、まだ手が回っていないのだが。
(取りあえずは、彼に見つからないように隠しますか)
真島は、案外嫉妬深いのである。
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