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第1話

春なのに冷たい空気を吸い込み、僕は気持ちを奮い立たせた。 4月1日。社会人生活1日目。憂鬱な気分だ。なぜなら僕は大学卒業と同時に付き合っていた彼に振られたからだ。振られた理由も最悪だった。彼氏だった人は僕という存在がいながら他の人と付き合っていた。いわゆる二股だ。それから僕が原因で 浮気をしたんだと言いはじめ逆ギレ。呆れた僕は“さよなら”と一言だけ残しあいつとは別れた。 そんな精神状態で僕は社会人を迎えてしまった。何もしたくないが今日からはやる気を出さなければならない。 入社式があったが、話は何も頭に入らなった。入社式終わり自分の働くオフィスに行くと自己紹介が行われた。 「先ずはこちら側から。部長の立花です」 何人かの紹介が終わった。 あっ、あの人かっこいい。少し彫が深く、はっきりとした目、高い鼻。背も高い。180㎝は超えてると思う。髪はきっちりと整えられた黒髪に眼鏡。別れた彼を引きずっていたがそんなことを忘れられそうな存在だ。どんな人なんだろう。 「私は田所悠馬です。よろしくお願いします。」 物腰は柔らかく、声も低い。男らしい感じがする。この人が最後のようで部長に戻った。 「次は新入の人たちの番。じゃあ、君からお願い」 僕が一番か。 「はい!!私は柳井朝陽です!!これからよろしくお願いします!!」 5人いる新入社員の自己紹介が終わり、部長から教育係が発表されることになった。 さっきのかっこいい先輩に当たりますように。お願いします。 「田所は、、柳井の担当」 願いが通じたのか田所先輩になった。そのとき一瞬、周りの人がざわついた。 「田所くん、今回は厳しくしすぎないように」 立花部長が田所先輩にくぎを刺すかのように言った。 「それは心得てます」 …田所先輩は厳しい方なのか。そう思うとやっぱり嫌な気分がしてきた。全ての話が終了すると、教育係の人と顔合わせになった。 「田所先輩。これからよろしくお願いします!!柳井朝陽です!!」 願っていた先輩に当たり嬉しくいつもより大きな声で挨拶をした。 「私は田所です。それでは柳井くんの席は私の隣のあそこです。」 「分かりました!!」 「あっ、元気なことはいいですが少し抑えめでお願いします。耳に響くので。」 「、、すみません」 そんなこと言わなくてもいいじゃないか。そう思ったが口には出せなかった。 「いまからマニュアルの説明をするのでなるべく一回で覚えるようにしてください。」 「分っ、、かりました」 大きな返事をしそうになったが抑えられた。田所先輩は淡々とマニュアルについて説明を始めた。 ………分かりやすい。けど速い。多い。これを一度に覚えろと。鬼だ。かっこいい田所先輩のことをタイプと思ったさっきまでの僕を恨みたい。 時間は一瞬にして過ぎ去った。頭の処理能力が追い付かない。 「以上で説明は終わります。何か質問はないですね」 質問したいことはたくさんあった。でも威圧感が凄くて何も聞けなかった。 「あぁ、ない、、です」 「それでは明日からよろしくお願いします」 そうやってその日は解散となった。 帰り道、田所先輩は多くの仕事をさせて新人を潰すことで有名だと聞いた。顔とスタイルだけで心は鬼。そんな先輩に教えてもらうなんてますます憂鬱になった。 ◇ ◆ ◇ ◆ 仕事が始まって数日。田所先輩にわからないことを聞いてみた。 「田所先輩、ここのやり方が分からないのですがどうやれば…」 「マニュアルで調べたか?」 パソコンを見ながら答えた。 「いえ、、」 「それではマニュアルで確認をしても分からなかったらもう一度聞いてください。」 そんなこと聞くなと言わんばかりに僕は冷たくあしらわれた。 「分かりました」 こんなことくらい教えてくれてもいいじゃないか。分厚いマニュアルを眺めながらそう思った。 席について業務に取り掛かって少しして田所先輩に声をかけられた。さっきのことで何か言われるのだろうか。 「次はこれをやるように」 違った。仕事が増えた。 「分かりました」 カチャカチャとキーボードを永遠と打つ。こうやって多くの仕事を課される日々が続いた。 完成した資料を田所先輩に見てもらう。 「柳井くん、ここが違うやり直し。」 まただ。何度やっても間違えてしまう。先輩を見返したいと思うが一向に上手くいかない。 「すみません。すぐに取り掛かります。」 これはましな方だ。全部やり直しの時もあった。 「それと、仕事を急ぐのはいいけど、正確にすることも考えましょうか」 「分かりました」 それじゃあ量を減らしてくれ。そう叫びたかった。 「田所先輩。終わったので確認してもらってもいいですか?」 「少し待っててもらっていいか」 そう言うと僕の何倍もの速さでキーボードを叩き始めた。数分後。 「はい。終わったので下さい。」 僕は田所先輩に渡した。僕がいつも時間のかかる仕事を数分で仕上げた。凄すぎる。僕はこんな人になれるのだろうか。 「合ってますので預かりますね。では引き続き頑張ってください。」 「ありがとうございました」 午前の業務が終わり同期と昼を食べに向かった。 「田所先輩は鬼だ!!!」 僕は早々、同期に愚痴った。 「お疲れ、やっぱり噂通りだったんだね」 少し憐れんだ声で言った。 「そう!!田所先輩仕事ができるからってそれを僕にも押し付けて!!」 「分かったからいい加減声を落とせ。、、でも、なんとかやれてるじゃん。」 周りに一度頭を下げ、声のボリュームを小さくして言った。 「そうだけど、、、僕のことを見てくれてる気がしないんだよ」 田所先輩とほとんど目を合わせて話したことがない。 「見てくれてるさ、田所先輩だって一応人でしょ」 人?本当か?厳しくて、量を課すあの鬼田所が? 「そうかなー」 少し疑いながらもその言葉を信じることにした。 「そうだよ、だから頑張れ」 「おう!!!」 短い会話を交わしながら僕たちはお昼ご飯をとった。 昼休みが終わり午後の業務が開始となった。 「ここをこんな感じで少し変えてもらっていいですか?」 田所先輩からのやり直しだ。 「、、分かりました」 何が違うのか分からなかったが言われた通りやり直して持って行った。 「できました。」 キーボードを打ちながら片手が伸びてきた。 「そうですか。」 僕はその手に書類を当てるとは引っ込み、田所先輩はそれを軽く眺める。 「あの、聞いてもいいですか」 「なんですか?」 初めてこっちを向いてくれた。 「マニュアルにはそう書いてないですよね?」 疑問に思っていたことをぶつける。 「柳井くん、よく知ってますね。でもこっちの方が見やすいんですよ」 何度マニュアルを見てきたと思っているんだ。その気持ちを我慢していると田所先輩はさっきの書類と今出した書類の両方を見せてきた。 確かにこっちの方が見やすい。僕はさらに質問を重ねた。 「確かに。他にもあるんですか?」 「いくつかありますけど出てきたときに教えるのでいいですよ」 ケチだ。今教えてくれたっていいじゃないか。 「分かりました」 自分の席に戻り新しい仕事に取り掛かった。 「田所先輩、これ終わりました」 次がやってくるぞ。。 「それでは、、次はと言いたいところですが柳井くんは今日の仕事を終わらせてるんですよ」 「そうなんですか!!!」 久しぶりに大きな声が出た。 「だから、退社の時間まで少しだけだけど自由にしてていいですよ」 初めてだ。今まで終わるかぎりぎりの仕事を課してきて。早く終わるなんて。 ただ今まで仕事しかしてきてなかったため何をすればいいのか分からず結局マニュアルを読み込むだけで終わった。

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