12 / 47

シンという男 3

 レイヴンは口元を覆った。 (酷い……)  貫通しているのか皮膚は抉るように裂け、噴出する血の海からは露出する内蔵が僅かに上下するのが見えている。このような怪我を負っていては、仮に小屋まで運んだとしてもたちまち死に至るだろう。  村の人間の仕業ではない。農具や漁具しか武器になるものがないこの村では、この男を刺した傷は作れないからだ。  近くで戦争でも起きているのか? レイヴンは疑問に思いつつも、男の背を岩に置いて上体を起こし、腹部の傷を男のマントで押さえながら助ける手立てを考えた。  だがどれだけ考えても、この瀕死の男を助ける手段が、たった一つしか思い浮かばなかった。 (きっとこれしか、方法がない……でも、そんなことをしたら僕は……)  村人達の顔が浮かび逡巡するも、その迷いを断ち切るように首を振った。 (それでも、目の前の人が死ぬのは……もう嫌だ……!)  僅かにでも生きているのなら、きっと助けられる。レイヴンは自分の左親指を口元へ近づけると、歯を使って指の腹を裂いた。  パックリと切れた溝からはプツプツとした赤い玉が作られ、それは瞬時に一つの玉となり、雫となった。  続けてレイヴンは男の唇に触れると、隙間をこじ開けるように開いて裂いた指をゆっくりと口の中へ押し込めた。 「不味いかもしれないけれど……ごめんなさい」  指を口腔のなるべく奥へと押し込むと、そのままピタリと動きを止めた。そして男の喉仏が僅かに上下したのを確認すると、ゆっくりと指を引き抜いた。  再び、レイヴンは男の傷を押さえた。 「頑張って……!」  幸い、今いる場所は川で中の水温が低い。肉や血管が収縮して止血の助けになるかもしれないと、レイヴンは男に声をかけ続けた。  そしてその甲斐あってのことなのか、生気を失い白くなりつつある男の瞼が、震えるようにゆっくりと持ち上がったのだ。 「……っ」  レイヴンは目を見開き、息を呑んだ。男の開かれた瞼の奥には、まるで翡翠のような美しい瞳が宿っていたからだ。人間の瞳にこのような色があるのかと、レイヴンは衝撃を受け固まった。  対して、男は力ない瞬きを繰り返した後、重いだろう唇を動かしつつ言葉を発した。 「ん…………なん……どこ、だ? ここ……」 「……っ、え、えっと……ここは……」  よくよく考えると、レイヴンは村人以外の人間と交流を図ったことがなかった。かつてはあったのだろうが、今では村人とすらまともに会話をすることがないのだ。  無我夢中で駆けつけた時とはまるで別人のように、しどろもどろとなってしまうレイヴン。大丈夫以外に何と声をかけたらいいのかがわからなかった。  レイヴンが口を噤み考え込んでいると、焦点の定まった男は目の前の彼を見つめた。  怪我で酷い痛みを感じているはずなのに、それをよそにじっと観察するようにレイヴンを見つめる男。  レイヴンは熟考した末、恐る恐るといった様子で男への言葉を返そうとした。 「あ、あの……ここは……」  しかしレイヴンの言葉は続かなかった。ゆっくりと、かつ流れるような仕草で男の両手がレイヴンの頬を包み込んだのだ。  そしてそのまま、男はレイヴンの顔を自身の顔に引き寄せると…… 「……っ!?」  レイヴンの唇に自身のそれを重ねたのだ。  一瞬、何が起こったのかがわからず、思考が停止するレイヴン。パチパチと瞬きを繰り返すものの、口腔にぬるりとした何かが侵入したことで、それが何であるかを理解した。 (これ……し、舌……? 入ってきてる……!?)  男はレイヴンにキスをしたかと思えば、そのまま自身の舌をレイヴンの口の中へと挿し込んだのだ。  あまりに唐突で、正気の沙汰とは思えない男の行動に、レイヴンには戸惑うものの抵抗はできなかった。決して強引なのではない。だが、男の動きはまるで、そうすることが当然とでもいうように自然だったのだ。 「んっ……んんぅ……!」  互いに名も知らない、初対面の人間のはずだった。それにも関わらず、男はレイヴンをよく知っているとばかりに呼吸を合わせ、彼の唇を貪った。 「ん……んぁ……や……っ、んぅ……」  相手は瀕死の男だ。事実、この行為は力づくでも、無理やりでもなかった。しかし戸惑いのあまりに抵抗ができすにいるレイヴンは、どうすればいいのかわからずただ混乱していた。

ともだちにシェアしよう!