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聖なる力の秘密 2
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風の冷たさに目が覚めると、二つの翡翠がこちらを見つめていることに気がついた。
レイヴンは三回ほど瞬きをした後、それが昨日助けた男の顔、シンだとわかった。
「おはよう。レイヴン」
挨拶とともに名を呼ばれて、レイヴンの鼓動が少しだけ跳ねた。
(挨拶なんて……何年ぶりだろう?)
父が死んでからというもの、父母の眠る墓前に向かって挨拶を口にすることはあっても、返ってくることはなかった。それが家族でもない赤の他人の方からかけられることに、レイヴンは懐かしさを覚えた。
「……お、おはよう、ございます……」
視線を落とし、たどたどしく挨拶を返すレイヴンの頬には、ほんのりと朱が乗っていた。
(よかった。助けられた……)
シンの様子にレイヴンは内心安堵した。小屋に連れてきたものの、中に入るなりシンは再び気を失ってしまった。無理もない。いくらレイヴンが治癒能力を使ったとはいえ、それは充分ではなかった。
自分よりも遥かに重さのあるシンをベッドへ移すのは骨が折れた。レイヴンの細腕に少しでも筋肉が備わっていれば、その後の行動も手際よく行えたかもしれない。
へとへとになりつつも、小さな暖炉に火をつけ、部屋の中を暖めながらシンの衣服を脱がした。濡れたそれらは部屋の中で干すことにした。外はまだ晴れていたものの、シンの予言のような言葉が気になったからだ。
続いて怪我の状態を確認するべく、乾いた布で彼の身体を拭く中、刺された傷以外にもあちこちに切り傷のようなものがあることがわかった。しかしどれも古いもので、昨日今日できたものではない。いくらレイヴンの力が治癒に特化しているとはいえ、形となってしまった傷痕を消すことまではできない。また、並大抵の努力では得られないであろう筋骨逞しい身体から、彼が戦いの為に生きてきたのではないかと推測する。
(刺されるような怪我なんて、争い事でしか経験しないよね。でもこの人のはたぶん、村単位で起こるようなものじゃない気がする)
幾度も転生を繰り返すレイヴンだが、閉鎖的な村に縛られているがゆえ、社会情勢には疎い。
シンはいったい何者なのか。そしてなぜ、こんな怪我を負う羽目になったのか。小屋へ向かう中、うわ言のように漏れ出たシンの言葉を、レイヴンは思い返した。
『あの……男…………レを……切り…………がって……』
恨み言のようにも聞こえたその言葉から、レイヴンは彼が何者かによって裏切られ、これほどまでの傷を負ったのではないかと考えた。
負傷している、という点から思わず助けてしまったレイヴンだが、彼はまだシンという男を信用したわけではない。たとえ裏切られた結果がこれだとしても、シンが悪人でないという保証はどこにもないのだ。
(優しい人だとは思うんだけど……)
シンの言葉かけや表情から感じ取れたものを信じたい気持ちはある。それでも、怪我が治ったら村から出ていってもらおうと、レイヴンは再び指を裂いてシンの口の中へとその血を流し込んだ。
その後もレイヴンは、せっせとシンの身体から体温を奪うものを取り去った。変わった形の長い靴は知らない硬質な材料で作られており、どうやったら脱がせられるかと小一時間考えた。それでも何とか脱がして小屋の扉前に置くと、激しい雨音が屋根の上を叩き始めた。
まさかと思い扉を開けると、シンの言った通り、空から雨が降ったのだ。
「予言者……なのかな?」
静かな寝息を立てるシンへと振り返り、ポツリと呟いた。どちらにせよ、これでは今夜は村には行けない。
悪天候の時まで村人はレイヴンを犯すことはしない。それよりも、自分達の住む家屋や畑、そして漁に出る為の舟の方が大事だからだ。
自然の恵みを目の当たりにしながら、レイヴンは心の中で目にしたことのない神に感謝した。
そうして、シンの傍で付きっきりの看病をしているうちに、いつの間にか入眠していたのだ。
しかしまさか、自分よりも先にシンが起きているとは思わなかった。
(村の人達よりも回復が早い気がする……鍛えているから?)
視線を落としたまま、レイヴンがシンの回復状況について考えていると、ふと目元にかかる前髪を横に流された。
驚いたレイヴンはパッと顔を上げて後ろに仰け反った。
「な、なにっ?」
「顔が見たかったから」
シンは当然とばかりに言った。そしてやはり、その顔は笑みを浮かべている。
よく笑う人。シンの第一印象はレイヴンの中で変わりつつあった。
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