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蜂蜜よりも甘いもの… 5
「レイヴン!」
暗闇を割ったように血相を変えて現れたのは、熊のような大柄の男だ。レイヴンはやはり、といった表情で彼の名を口ずさむ。
「マキト、君……」
度々、村の男達の目を盗んではレイヴンを呼び出し、自身の一方的な気持ちをぶつけながら性の捌け口にする若い男だ。シンと出会う前、そして出会った後も、山羊の乳や米といった物資と引き換えに、レイヴンを意のまま抱いている。
感情が昂ぶると周りが見えなくなる男だが、態度と言葉に気を配れば、何かと穏便に事を済ますことができる。レイヴンは一歩外に出ると、後ろ手で扉を閉めつつ、マキトがやって来た目的について探ることにした。
マキトは、姿を現し自分へと近付くレイヴンを目にしてわなわなと身体を震わせた後、その太い両腕で力の限り抱き締めた。
「ああ、レイヴンっ! レイヴン!」
「マキト君……あの、どうして、ここへ……」
「体調が悪いって聞いていたから……心配していたんだぞ!」
「ご、ごめんなさい……」
くぐもるような声で謝罪を口にするレイヴンは、咄嗟に両腕をマキトの胸の前に差し出し、自身の顔を庇った。無抵抗のまま抱き締められていたら、窒息するかもしれないという、緊急措置のようなものだ。
この様子では、落ち着くまで時間がかかるだろうと、レイヴンは大人しくされるがままとなる。
ひとしきりレイヴンを抱き締めた後、マキトは落ち着いたのか、少しだけ身体を離して腕の中のレイヴンを見下ろした。
そうして視線が合うなり、レイヴンは次に気になっていたことを尋ねた。
「あの……村の、他の人達は……?」
「いない! 俺だけが……! こっそり来たんだ……」
少々、苛つきを乗せて力強く答えるマキトだったが、お気に入りのレイヴンの顔を数日ぶりに見たせいか、すぐに声音を和らげた。
マキトの言うことは本当だろうと、レイヴンは彼の答えを信じることにした。後をつけられた様子もなく、灯りも彼の持ってきただろう提灯のみで、辺りは黒一色だからだ。
もしかしたら、この灯りを目にして不審に思った村の人間が、後からこちらへやって来るかもしれないと予想されたが、とにかく今はマキトを村へ帰すことだとレイヴンは気を引き締めた。
シンのことだけは隠し通さねばならない。万が一、見つかった時の自分達の末路は、きっと惨いものだろう。自分はまだしも、シンを同じ運命に巻き込むわけにはいかないのだ。
その時……
(……あれ? 何か…………以前にも、こんな……)
パチン! と、頭の中で何かが弾けた音が聞こえた気がした。
次第に頭痛のようなものがレイヴンを襲う。冷や汗が額から蟀谷を伝い、彼は苦しそうに頭に手を当て、身体を屈めた。
「お、おい……大丈夫か? レイヴンっ」
「ごめんなさい、マキト君。……僕、まだ体調が悪くて……」
「そんなに具合が悪いなんて……くそっ! ミナヲのやつ、俺のレイヴンに無茶させやがったから……!」
実際に具合が悪いのは事実だが、マキトが誤解をしてくれたお陰で、この場は何とか切り抜けられそうだと内心安堵する。
レイヴンは頭を抱えながら、マキトを見上げて懇願した。
「だから、今夜はこのまま村に戻って……ね? あと三……ううん、二日だけ休んだから、ちゃんと村には行くから……」
「レイヴン……」
マキトは心配そうに眉をハの字にさせ、ニキビで膨れた顔をレイヴンの頬に擦り寄せた。「うっ」とレイヴンが堪えるような声を漏らしたものの、マキトには聞こえていないのか構わずレイヴンを抱き締めた。
対してレイヴンは、絞め殺されそうなほどの強い力に、胃の中のものが逆流しそうになるのを必死で堪えながら、もう一度彼の名を呼んだ。
「あ、の……っ……マキト、君……」
「じゃ、じゃあさ……レイヴン。俺が夜通し……か、看病してやるよ」
「えっ?」
サッと血の気が引く言葉を言うや否や、マキトはレイヴンを抱きかかえると、小屋の引き戸を壊さんばかりに引き開けた。
「ま、待って……マキト……っ、うわっ!?」
「はあ……はあ……ああ、レイヴン……レイヴン!」
マキトはズカズカと、土足のまま中に押し入り、レイヴンをベッドの上へ投げるように押し倒した。受け身が取れず、背中を強打したレイヴンは悲痛そうな呻き声を上げる。
それがまったく気にならないのか、マキトは口角を上げながら舌舐めずりをして、レイヴンの衣服の前を引き裂かんばかりに開いた。
「やっ……マキト君、やめてっ……!」
必死に抵抗するも、そんなレイヴンの嫌がる姿が嗜虐心をそそるのか、すでに隆々と勃起する陰茎が今にも突き出さんばかりに、マキトの下衣から盛り上がりを見せている。
そのゾッとする様に、レイヴンの顔は蒼白する。カチカチと奥歯を鳴らして震えるレイヴンの頬を、マキトは皮膚の捲れた指の腹でそっと撫で上げた。
「大丈夫だよ、レイヴン……俺はミナヲのように無茶はさせない。ちゃんと良くして、善がらせてやるから……な?」
「い……嫌……いやだ……お願い、やめて……!」
「へへっ……レイヴン……レイ……ぶうおっ!?」
ぎゅっと瞼を瞑った瞬間、マキトの口から聞いたこともないような悲鳴が発せられた。続けて、ドサリと米俵を落としたような音が隣で聞こえ、レイヴンは恐る恐る瞼を開いた。
「えっ……?」
レイヴンが声を上げる。隣には、白目を剝いて倒れているマキトの姿があった。
「まったく……嫌だっつってんのに、何を盛ってやがる。猿か、こいつは」
呆れたように上から降ってくる声に、レイヴンは即座に顔を上げた。
「し……シン、さん……?」
「余計な手出しだったか?」
目を細めて尋ねられ、レイヴンは思わず俯いた。
開いた服の前を片手でサッと抑え、次に横たわるマキトをそわそわと見つめる。何を言えばいいのか、どう答えたら良いのか、何よりマキトは大丈夫なのかと、レイヴンが困惑していると、
「気絶してるだけだ」
と、それを気にすることなく、しかしぶっきらぼうにシンが答えた。
続いてシンはレイヴンの前で屈んでみせると、乱れた彼の衣服の前を両手で掴むなり、無理やり左右へ引っ張った。
「やっ……!」
シンに対して恐れていたことが、起きてしまった。
顕になるレイヴンの上体。そこには無数の傷が、彼の身体を蝕んでいた。
接吻痕、噛みつき痕、ミミズ腫れ、切り傷、火傷、それから打撲痕。
時期的に長袖で隠せていた身体の傷を、とうとうシンに見られてしまったのだ。
カッと赤くなる顔は羞恥によるものなのか、それとも怒りによるものなのか。ともかく、レイヴンはシンから逃れようと手を払い、傷を隠すようにして身体を捩った。
そんな彼を前に、シンは冷めたような口調で淡々と尋ねた。
「これ、村の連中にされてんのか?」
「……っ、み、見ないで……くださ、い……」
レイヴンは問いには答えず、代わりに絞り出すような声を上げる。
しばらくシンは黙ったものの、今度は声音を少しだけ和らげてから、再びレイヴンに尋ねた。
「レイヴンはこれを望むのか?」
レイヴンは下唇を噛んで何を堪えていたものの、しばらくすると観念したのか、目を合わせないままシンに答えた。
「し、仕方……ないん、です……。僕は…………ざ、罪人……です、から。さ、裁かれないと……」
そう言い終えてから、一雫の涙が頬を伝った。
あと少しだったのに。シンがこの村を出るまでは、隠し通しておきたかったのに……と。レイヴンは悔しそうに、悲しそうに、苦しそうに、涙を零した。
(嫌われた……汚いって……思われた……)
うっ、うっ、と嗚咽を漏らしながら震えるレイヴンの小さな背を、シンはその身ごと自身へ引き寄せるように抱きながら、ポンポンとあやすように優しく撫でた。
「……っ、うっ……し、シン、さん……」
泣きじゃくるレイヴンに対し、シンは何も声をかけなかったが、代わりにレイヴンの耳にも入るような独り言を呟いた。
「……裁く、ねえ」
そしてシンは、恐ろしくも美しい冷笑をその顔に浮かべた。
「それはオレの仕事なんだけどなぁ」
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