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第1章 3
強い風が瀬那の周りにだけブワッと吹き荒れ、反射的に目を閉じた。髪が一瞬で乱れ、それと共に瀬那の頭の中に鮮明な記憶が蘇ってくる。瀬那がこの花畑に来る直前のものだ。
「あ……、あぁ……っ」
瀬那は両手で自分の髪を掴み、胸に広がる深い悲しみを押さえられなくて瞬きもせずにぼろぼろと涙を落とす。
愛する人の裏切り。ひどい言葉を浴びせられ、挙げ句の果てに車道に突き飛ばされた瀬那。助けてと手を伸ばしたのに、助けようともしてくれなかった優成。そのすべてが一瞬で瀬那の頭の中に戻ってきた。
「なにがそんなに悲しいの? もう終わったことじゃん」
「絵理久、そんな言い方はないと思うよ。みんなここに来たときは混乱してるんだから。それを説明するのが僕らの仕事じゃないか」
「わかってるって。でもさぁ、泣いたってなにも変わらないだろ?」
悲しみに涙を落としている瀬那の前で、いつものことじゃん、と言わんばかりに二人が会話をしている。
涙に濡れた顔を上げると、瀬那の目は虚ろに変わっていた。こんな記憶は思い出したくなかった。優成に殺される自分の記憶など――。
「わかっただろ? ここは地獄。あんたは死んだんだ。で、次に行く場所はあっち」
絵理久が花畑の丘の上の方を指さした。瀬那は誘導されるようにそちらに視線を移動させる。花の絨毯が途切れた先に、同じ白装束の人が歩いているのが見えた。
「早く立って、その列に並んで。そんで終点まで行けばいいんだ。最後までたどり着いたら、その悲しみも終わるかもしれないよ」
絵理久の言葉に従い、瀬那はふらつきながらようやっと立ち上がった。記憶が戻ったショックから立ち直れないまま、瀬那はゆっくりと花畑の丘を登り始める。
あの列に並んで先に進めば、この苦しくて悲しい気持ちはなくなるのだと、絵理久の言葉を根拠もなく受け入れていた。
瀬那は白装束の列に並び、みんなと同じ速度でゆっくりと歩き始める。ここにいる人たちは年齢も性別もばらばらだが、人種だけは同一のようだ。瀬那と同じくみな虚ろな目をしていて、誰一人として会話をする者はいなかった。
どのくらい歩いたのか、目の前に大きな門が迫ってきた。両側には赤く太い支柱が天に伸び、その頂点には人と獣の融合したような彫刻が鎮座している。
開かれた鉄の門を、ぞろぞろと白装束の列が入っていく。瀬那も同じように中へと入った。どこかで見たデザインの屋敷が建っていた。神社のようでいて、ところどころは洋風な印象だ。ちぐはぐではないが、様々な文化様式の装飾が目に留まり不思議な感覚に陥る。
建物の中は和風だ。赤い柱で支えられた天井。壁はナチュラルウッドで統一されている。障子扉がいくつか並び、部屋の突き当たりには腰の高さほどの仕切りを兼ねた長い台が、部屋の端から端まで繋がっていた。
瀬那はいつの間にかその前に立っていた。ここがどうやら建物の中の一番奥らしい。
「えっと、逢坂瀬那さん。二十五歳と……あ、れぇ……これは、閻魔さん行きかな?」
カウンターの向こうに座っている中年の男性がちらっと瀬那の顔を見たかと思えば、独り言のようにしゃべって首を傾げている。髪は綺麗に七、三にわけられ、役所で受付業務をしているような固い印象だ。服装はみな同じ黒い着物を身につけている。
仕切り台の向こうには、黒い着物を身につけた人が等間隔に座っていた。白装束の人たちがその黒い着物の人と会話し、次の場所へ案内されているようだ。
しかし瀬那の番が来たとき、ずっと書類に視線を落としていた男性が瀬那の顔を見て小首を傾げたのだ。
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