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act.7 Angelic Kiss 〜 the 3rd day 25

狭い風呂場で男三人がひしめき合うように身体を寄せて手早くシャワーを浴びていく。 さっきまで衣服に覆われていたミチルの上半身は、やはり夥しい数の所有印に浸食されていた。痛々しく変色した肌に、つい目が釘付けになる。 「ひどいな」 思わず口から漏れた言葉に、ミチルは目を伏せながら小さく後退りしてかぶりを振った。 「ごめんなさい……汚いよね」 「そんなことないよ」 被せるようにそう言って手を伸ばし、ハルカはミチルの肩にそっと触れた。優しい手つきで肌を撫でて、穏やかな声で言い聞かせるように語り掛けていく。 「気にすることなんてない。ミチルはもうお父さんのところへは戻らないんだ。これぐらいなら、しばらく経てば消えてしまう。大丈夫だよ」 ハルカの言葉に瞳を揺らしながら、ミチルは真剣な面持ちで頷いた。 そうだ、こんなものはすぐに治る。そして、お前が長い時間を掛けて蝕まれた心の傷も、いつか必ず癒える日が来るに違いないんだ。 「うん、そうだね」 強張っていたミチルの頬がほんの少し緩む。隠していたものを曝け出したせいか、その表情は今までよりもずっと晴れやかだった。 ぬるいシャワーを掛け合いながら、俺はいつの間にか詰めていた息をそっと吐き出す。 男同士で風呂に入るのは全くおかしいことじゃない。それでも、さっきまでしていた行為を思い出せば妙に気恥ずかしくて落ち着かなかった。 「ハルカって、本当にいい匂いがするね。不思議」 「そうかな。自分じゃわからないんだ」 ミチルの言葉に小さく肩を竦めながら、ハルカはシャワーヘッドを片手に無数の痕が付いた背中を洗い流していく。 水はキラキラと光りながら、緩やかに肌を伝って流れ落ちる。侵食され続けてきた身体が清められていく光景は、まるで禊を見ているようだった。ミチルは気持ちよさそうに瞼を閉じてそっと息を吐く。 「ハルカの香り、甘くて優しくて、すごく落ち着く……」 匂いは懐かしい記憶を呼び覚ます。けれど、俺にとってこれはもはや初恋の人のものだけではなくなっていた。 今、愛おしく想う人が傍にいる証だ。 ハルカとミチルが仲睦まじくしている姿が眩しくて目を細める。このまま二人をこの手元に置いて、守ってやりたい。そんなことを考えてしまう自分に嫌気が差す。 この夜は、これきりなんだ。頭では理解しているつもりでも、気持ちはまだ追いつかない。 風呂を上がってから、ダブルベッドに三人でひしめき合い横たわる。 ハルカを真ん中に挟んで、ミチルが壁際。ギチギチに身を寄せ合うと笑ってしまうぐらい窮屈だけど、それでも心地よい疲労感がじんわりと襲う。こうして横たわっていればすぐに微睡みが訪れそうだった。 「起きたら床に落ちてるかもしれないな」 冗談めかしてそう言えば、ハルカが腕を引っ張ってくる。 「代わるよ」 「いや、こっちがいいんだ。俺が落ちたらハルカも落ちておいで。ちゃんと俺の上にね」 小さく笑いながら、ハルカは至近距離から魅惑的な視線を注ぎ込んでくる。 瞬きをする度に長い睫毛が動いて、きれいな瞳が覗く。きめ細かな肌、澄んだ眼差し、桜色の唇。まるで精巧に作られた人形のようで、呼吸をしていることが不思議なぐらいだと思う。 けれどわずかに愁いを帯びたこの微笑みは人形には決してできない表情で、それが一層ハルカの美しさを際立たせている。 こうして見れば見るほど、ハルカは本当に羽山朋未と同じ顔をしている。 もう二度と会うことのない、天使のような初恋の人。 最後に会った時のことを想い出せば、今でも胸が痛んで後悔ばかりが押し寄せてくる。 ああ。どうして俺はあの時、あんなことをしてしまったんだろう。 「ミチル」 おもむろにハルカは呼びかけて反対側を振り返る。トロンと眠そうな目を軽く擦って、ミチルは幾度か目を瞬かせた。 「セックスはすごく大切な行為だと思う」 ミチルはハルカの顔を見つめながら、何かを言いたげに唇を開ける。 「だから、ミチルの初めてはちゃんと大切な人とするんだよ」 不安がる弟を宥めるように、ハルカは優しく声をかけていく。 「でも、僕は」 「好きじゃない人とのセックスは、数に入らない。わかった?」 穏やかだけれど、有無を言わせない口調だった。ミチルはこぼれそうに大きな目を見開いて、やがてこくりと頷く。その顔には少しずつ安堵の色が広がっていった。 ハルカの言いたいことは、俺にもわかる。 『僕はもう、一生誰ともしない』 悲壮な顔でそう言い切ったミチルに、ハルカは宣言したとおり、セックスは悪いことではないと教えたんだ。 愛する人と身体を重ねることは、本来とても神聖で大切なことだ。ハルカはミチルの考えを身を以て否定してやったんだ。 「ハルカ」 愛おしい人の名を呼んでから、その身体に腕を回して口づける。小さなリップ音を立てながら、唇を重ねるだけのキスを夢見心地に繰り返した。 ハルカはきれいな顔を微笑みの形に緩めながら唇を離して、ミチルの方へと向き直る。まだあどけない少年が小動物のように目をぱちくりとさせているのも構わずに、片腕を回して頭を引き寄せて、その唇をそっと啄ばんだ。 チュッと聞こえた愛らしい音にミチルが何度も瞬きをするのが見えた。 「おやすみ、ミチル」 ──うん。ハルカ、愉しそう。 どうしてかはわからないけれど、確かに今のこの不思議な状況は、俺にとっても愉しいものだった。 ハルカを挟んで抱き合って、三人でしばらくダラダラと微睡みながらじゃれ合っているうちに、やがて壁際から小さな寝息が聴こえてくる。 ほんの少し頭を上げてそっと覗き込めば、ミチルはハルカに身を寄せて健やかに眠っていた。寝顔は幼子のようで、本当にかわいらしい。 その隣で、ハルカも目を閉じて静かにじっとしていた。 もう寝てしまったんだろう。陶器のように美しい肌は、仄かな灯りを反射してきめ細かに輝いていた。 わずかに開いた桜色の唇にそっと唇を寄せていく。柔らかな感触に引き出される郷愁の想いが、胸の内側にじわじわと浸透する。 俺が初めて本気で愛した人と同じ顔をして同じ匂いを纏う、愛おしいハルカ。 『好きじゃない人とのセックスは、数に入らない』 ああ。だったら、俺には知りたいことがあるんだ。つまらない男だって、軽蔑されるかもしれないけどね。 ──ねえ、ハルカ。お前にとって俺とのセックスは、数に入ってる? 俺はハルカを抱きしめながら、聞けない答えを待ち続ける。

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