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act.7 Angelic Kiss 〜 the 4th day 5
「絶対に大丈夫だと言ってやれたらいいけど、正直何とも言えないな。お前の父親がどう動くかにもよるし、自分の実家にいることを勘付かないとも限らない。だけど、少なくとも警察や児相はお前の居場所を言わない。お前がうちの署に来たことももちろん伏せておく。しばらくは用心した方がいい。ちゃんと家に鍵を掛けて、一人で行動しないようにしてくれ。それも父親を逮捕するまでの我慢だ」
ルームミラー越しにミチルが頷くのを確認しながら、俺は小さく溜息をつく。
これで俺のモラトリアムはおしまいだ。当分の間は目まぐるしい日々が続くだろう。だけど一番大変なのはミチルだ。これから自分の父親と闘わなけれはならないんだから。
その闘いをけしかけたのは俺だ。だから俺が責任を取ることは、至極当然のことだと思う。
こうして久しぶりに職場に戻って仕事をしてふと思い出すのは、自分が遺族支援班として担当した、中学生の殺人事件のことだ。
同級生を殺した少年の母親が、夫の自殺後にこぼした言葉は、今も鋭い刃のように心に突き刺さっている。
『自分だけ楽になって、ずるい』
正義だと思い込んでいたものが崩れ落ちた、あの瞬間。
もう一度、深く息をつく。その言葉を聞かなかったことにはできなかった。だから俺は、あれ以来全てを投げて現実から目を背けてきたんだ。
何が正しくて、何が悪なのか。誰を守らなければいけないのか。大切なものを見失った俺がここにいてはいけない。そう思ったから、俺はこの仕事から離れることを選んだ。
俺一人がいなくなったところで何も変わらない。組織の歯車は円滑に回っていく。言われなくてもわかっているつもりだ。
けれど──自分が逃げ続けている限り、俺にはミチルに逃げるなと言う資格がなくなってしまう。少なくとも今、俺が守るべきものはちゃんと目の前にある。
「拓磨さん」
「うん?」
「ゲームセンターで一緒に写真を撮ったときね」
不意に話しかけてきたミチルの照れたような声が、カーステレオに紛れて車内に響いた。
「すごく嬉しかった。ああいうことをするの、初めてだったから。拓磨さんとハルカが僕を変えてくれたんだ。だからこのシールは僕の宝物だし、勇気を出すためのお守りにしようと思う」
一昨日ハルカと三人で戯れに撮った小さなシールを大切に思うミチルがいじらしかった。
もう、俺たちはあんな形で時間を過ごすことはないだろう。
「そうか。俺も大事にするよ」
確かにあのひとときは俺にとっても楽しいものだった。そしてふと頭に思い浮かんだ考えに、ひどく胸が痛む。
四日間を終えたハルカが俺に残していくのは、あの写真だけかもしれない。
俺は淋しい気持ちを抱いたまま、アクセルをゆっくりと踏み込んでいく。
ミチルの祖母に改めて事情を説明した上で、父親がミチルに対して行ってきたことを事件として捜査したいと告げると、神妙な面持ちで頷いてくれた。
「率直に言えば、あなたの息子を逮捕したいと俺は思っています。それでも、ミチルの味方になって頂けますか」
初めてこの和室に座ったのは昨日なのに、まるで遠い昔のことのようだ。ハルカやミチルと出会ってから、時間の感覚が加速していると思う。
「達弥がこの子にひどいことをしてきたと、理解してるつもりです。それがこの子を守る手段になるのなら、私もできる限りのことをさせて頂きます」
彼女は欲しい言葉をきちんと返してくれた。俺はその返事に安堵しながら、対面で並んで座る二人に言葉を続ける。
「ミチルにはこの先も何度か署に来てもらうことになります。できればあなたも一緒に来て頂いた方がいい。その都度、捜査の進み具合や今後のことについてお話しします。わからないことがあれば訊いてください。教えられることはできる限りお伝えします。捜査上どうしても教えられないことについては、その理由を説明します」
そんなことを話しながらふと気づく。
俺が遺族支援班として被害者側家族の傍にいた時間は、決して無駄じゃなかったんだ。
事件を処理する側は、捜査を進めていくうちにその事件が警察のものように錯覚するようになる。だから、ともすれば被害者の感情を置き去りにして、闇雲に突っ走ってしまう。
だけど、どうして事件が起こったのかを知るためには、まず事件に関わった人をしっかりと見なければいけないんだ。
馳係長が俺を遺族支援班に入れたのは、もしかしたらそういうことを教えたかったのかもしれない。俺がルーティンワークのように淡々と事件を処理しているのもお見通しだったんだ。だから大事な局面であえて捜査から俺を外して、遺族支援班に入れた。
事件に関わった人たちを見せるために。
俺が理解していなかっただけで、ちゃんと意味はあったんだ。それに気づいた途端、目が覚めるような衝撃が走った。
遺族支援を経験しなければ、俺は今でも大切なことをちゃんと理解していなかっただろう。
もう見失うことはない。
これから俺が手掛けるこの事件を進める上での最優先事項は、ミチルを救済することだ。何を置いても父親の呪縛から自由にしてやりたいし、その目的は絶対に遂げてみせる。
「この子のことを、よろしくお願いします」
俺を送るために出てきて、玄関先の駐車スペースでミチルに寄り添い頭を下げる祖母の姿に、感慨深いものを覚えた。この人の強さと優しさは、ミチルが生きていく上で希望の光になるだろう。
「タクマさん、ありがとう」
小さな唇が、しっかりと言葉を紡いでいく。出会ってからのわずかな期間で、この子は急激に成長したなと思う。
「僕、無理だと思ってたんだ」
「何を?」
「逃げること」
訊き返せばそう答えてミチルはそっと笑った。気を許した者にしか見せない、いい顔をしている。
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