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act.7 Angelic Kiss 〜 the 4th day 7

同級生に殺されてしまった少年の妹。 被害者遺族は事件が起きたその日から自由を奪われ、その子もまた、通っていた小学校に行けない日々が続いていた。 俺は彼女と家の中で一緒に遊び、時にはマスコミの包囲網を掻い潜って外へと連れ出しては、公園や人気のない商店街を一緒に歩いた。そんな他愛もないことさえままならない生活を強いられているのを不憫に思った。 よく晴れた暖かな日を、二人であてもなく出歩いた時のことだ。 繋いだ小さな手を引きながら、誘拐犯にでも見えやしないかとそっと苦笑する。俺もこのぐらいの年齢の子がいてもおかしくない年齢だ。そう気づくとこの子がまるで娘のようにも思えてきて、不思議な感覚がした。 子どもは嫌いじゃない。だけど、家庭を持った自分をうまく想像することができなかった。 通り掛かった店の軒先でソフトクリームを買って手渡すと、その子は礼を言いながらポツリとこぼした。 『ソフトクリーム、好きだったんだ』 過去形の言葉にそれが誰のことを指すのかすぐにわかった。 それまでその子の口から亡くなった少年の話題が出ることはなかった。兄の死をうまく受け入れることができていないのかもしれない。 だから突然そんなことを言われて俺は狼狽えた。けれど、幼い少女は淡々と言葉を紡いでいく。 『お兄ちゃんはもう食べられないから。沙耶が代わりに食べてもいいかな』 この子は、兄が亡くなった事実を自分なりに消化しようとしているんだ。そんなことに気づいて、胸が鈍く痛んだ。 『心配いらないよ。天国には、食べたいものがたくさんあるんだ』 『本当?』 純真な眼差しから目を逸らすことなく俺は屈み込む。同じ目線で話をしたいと思ったからだ。 『ああ、本当だ。天国にはおいしいものがたくさんあって、好きなことも何だってできる。だから、沙耶ちゃんはお兄ちゃんの代わりになろうなんて思わなくていいんだ。沙耶ちゃんが食べたいものを食べて、したいことをすればいい。その方が、お兄ちゃんは喜ぶと思う』 『そうかな』 『そうだよ、わかった?』 黙り込んだまま彼女は俺をじっと見つめる。やがて、あどけない顔に少し大人びた微笑みがふわりと浮かんだ。 『わかった。でも、沙耶もソフトクリームは大好き』 『じゃあ、溶けないうちに食べないと。ほら』 そう促すと、大きな口を開けて先端を頬張る。愛らしさに手を伸ばして頭を撫でれば、細い髪はさらさらと柔らく滑らかな感触がした。 いない人の代わりを務めようとすると、重荷になる。それが亡くなった人であるなら尚更だ。 だから俺は胸の内でひっそりと祈る。これからも彼女が亡き兄の存在に縛りつけられることがないように。 沙耶。それが、兄を殺された少女の名だった。 「……この件が落ち着いたら、会いに行きます」 面と向かって頭を下げて、しっかりと謝ろう。何もかもを投げ出して逃げてしまったことを。 これから先、この仕事を辞めようと思うことがあっても、俺はその度にこうして後ろ髪を引かれてずるずるとやっていくんだろう。なんだか無性にそんな気がしていた。 深く溜息をつくと、胸のつかえがほんの少し取れていく。 「すげえ。三崎さんって、八歳の子にもモテるんですね」 「うるさいな」 茶化す山川の脇腹を肘で突いてから、俺は急ぎ足で部屋を出て階段を降りていく。 署を出て駐車場へと向かい、冷ややかな風に吹かれながら天を仰いだ。濁った夜空にも、星はきちんと輝いている。 ハルカは俺が帰るまで待っているだろうか。 俺が羽山朋未と再会してから一年が経った頃のことだ。 俺は高校二年生、彼女は大学四年生になっていた。 俺たちの仲は、残念ながら全く進展することはなかった。それでも週に一度は電話を架けて他愛もない話をしていたし、時には学校帰りに待ち合わせて二人で近くのカフェやファストフード店に寄り、日が暮れるまで一緒にいることもあった。 そもそも彼女と俺は、互いの兄と姉が結婚したことで親戚同士になった。こうして彼女と出逢えたこと自体が奇跡なのに、今以上の関係を望むこと自体がタブーなんだ。俺は自分にそう言い聞かせていた。 彼女は幼稚園の先生になるためにまもなく迎える採用試験に向けて勉強していた。大学に入ってからずっと続けていたカフェのアルバイトも減らしているようだった。だから俺は、試験の邪魔にならないように、終わるまでは連絡を控えることを申し出た。 『大丈夫、気にしないで。拓磨くんと話していると、楽しくて息抜きになるから』 『本当に? 大丈夫?』 もちろん、と小さく頷いて彼女は俺に優しく微笑みかけてくれた。そのやりとりで有頂天になるぐらい、俺は彼女のことが大好きだった。 この恋は実らなかったけれど、こうして二人で過ごす時間は俺にとって本当に大切なものだった。そんな健全な付き合い方でも、彼女が望んでくれる限りこの関係を続けていきたいと思った。 恋人でもなく、友達でもない。強いて言えば、仲のいい姉と弟という表現が近いかもしれない。 赤の他人と比べれば近しいけれど、確実にゼロにはならないこの距離を、けっして詰めてはいけないことはわかっているつもりだった。それ以上を望めば、彼女は今度こそ俺から離れてしまうだろう。 『拓磨くん。もしも子どもができたらどんな名前にしたいか、考えたことはない?』 学校の近くにある喫茶店に二人で入った時、唐突に彼女がそう訊いてきたことがある。 幼稚園の先生を目指すぐらい子どもが好きなんだから、将来は自分の子が欲しいと思うのもごく自然なことだろう。だけど、俺はまだそんなことを考えたことがなかった。 このまま高校を卒業して、大学に進学するかもしれない。警察官になりたいという気持ちは幼い頃と変わらず持ち続けていたけれど、結婚して子どもを持つことは、あまりにも今の自分から掛け離れていて想像できなかった。 『実は私、もう決めてるの。子どもの名前』 『そうなんだ。随分気が早いね』 頬杖を突いてそう相槌を打ちながら、俺は胸の痛みを覚える。 いや、早くなんかない。彼女は二十一歳だ。その気になれば、すぐに結婚もできるし子どもだって生める。まだ十六歳の俺とは違う。埋められないその差を明示されたような気がした。 そして、その子は間違いなく俺と血は繋がらないんだ。

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