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act.7 Angelic Kiss 〜 the 4th day 10 ※

柔らかなシフォン生地のブラウスに触れる手が、みっともなく震えていた。胸元から順にボタンを外していく。やけに大きく響く鼓動を少しでも鎮めようと、深く息をついた。 華奢な身体を覆う最後の一枚に手を掛けたその時、俺はふと我に返る。 なんてことをしてるんだろう。 事の重大さに気がつき、唐突に理性が戻ってきた。悪い酔いから醒めたような気分だった。 「朋ちゃん、ごめん……」 狼狽えながらそう言えば、互いの視線が混じり合う。魂が抜けたようにぼんやりとしていた美しい瞳に、不意に光が宿る。そこには強い意志が輝いていた。 彼女は先程まで虚ろだった焦点をしっかりと合わせて、真っ直ぐに俺を見据える。 「……いいよ」 赦しを紡ぐ桜色の唇は、瑞々しく熟れていた。 まるで誰も食んだことのない禁忌の果実のようだ。 「拓磨くん、いいよ」 その言葉と共に誘うように鼻腔を掠めるのは、幼い頃から俺が恋い焦がれてきたあの香り。 楽園に咲く、甘い蜜をこぼす花の匂いだ。 理性の箍が緩んで、自分の内側に抑え込んできた何かがとめどなく溢れ出すのがわかった。 濡れた花に吸い寄せられて、唇を重ね貪っていく。 胸を覆う衣服を剥がし、手を差し入れてふくよかな膨らみを揉みしだく。秘められた奥を浸食する手の震えをごまかすように、性急に事を進めていった。 俺の組み敷いている相手は、確かに清らかな天使だった。 その美しい身体を、卑俗な欲望に染めていく。 叶わない恋なんて、何の意味も為さないんだ。 俺と過ごした時間が彼女にとって枷となる可能性が、万にひとつもないように。 愛おしいこの人が、どうか幸せでいられるように。 これから先の人生で、二度と俺のことを想い出したくないと願うように。 言葉もなくただ己の欲のまま凌辱しているだけだというのに、彼女の身体はしなやかに反応し、健気にも俺を受け容れようとしていた。 白い太腿に跨り、馬乗りになったまま学生鞄に手を伸ばす。その中から取り出した四角いビニールのパッケージを咥えて引きちぎった。 荒い呼吸を整えながら張り詰めた半身に薄い膜を付けていく俺を、彼女は喰い入るように見つめていた。何かを言いたげな眼差しは、ゆらゆらと揺れている。 『……何?』 纏わりつく視線を振り払うようにそう言えば、彼女はゆっくりとかぶりを振る。その表情から、思惑は読み取れない。 きれいな顔から目を逸らして、避妊具を持ち歩く理由を俺はあえて言葉にする。 『俺にも、彼女がいるから』 目の前の人を好きだと言っておきながら、手の届くところにいる身近な女の子で間に合わせようとしている。俺はそういういい加減な奴だから、同情してもらう余地は微塵もないんだ。 二人の関係は、低俗な被疑者と哀れな被害者で終わる。 避妊具を装着できたことを確認して、細い脚を割り開く。 だって、俺との子どもができたら、この人は悲しむから。 目を閉じて、可憐に蜜の滴るその中に勢いよく欲望を突き立てていく。 それだけで達しそうになるのを堪えながら、熱い体内を抉るように無我夢中で腰を動かした。 行為の最中、俺は彼女の名前を呼ばなかった。その名を口にして、日常へ還ることが怖かったからだ。 やがて乱れた吐息に混じり、途切れ途切れに高い嬌声が聞こえだす。 こんな思いやりの欠片もない行為でも確かに感じてくれているという事実が、堪らなく俺の劣情と罪悪感を刺激した。 彼女は淫らに腰を振りながら、何度も背中に爪を立ててくる。その小さな痛みをもっと感じたくて、激しい抽送を繰り返した。 目の前の愛おしい人も、大切にしていた細い糸のような関係も、胸を締め付けられるような淡く優しい記憶も、何もかもを壊したかった。 啜り泣くその声は悦楽の色に染まっていく。 俺の醜い情動に穢されて、天使はただの女になった。 独りよがりのセックスに溺れた成れの果てに吐精する。 そこには快楽なんてなかった。あるのはただ、後悔と絶望だけだ。 荒く息をつきながら身体を起こし、熱を吐き出した半身をずるりと彼女の中から引き摺りだす。 顔を見ることができないまま俯いて、急激に萎えていくそこに手を掛け、欲の残骸を溜めた膜を取り外した。 何の満足感もなく、堪らなく惨めな気分だった。 『──拓磨くん……』 掠れた声で名を呼ばれて、俺はゆっくりと顔を上げる。羽根をもがれた天使は、それでもなお神々しいほどに美しかった。 濡れた唇が、風に靡く花弁のようにそっと震える。 『私の愛した人が、あなただったらよかった』 ああ。なんて残酷な言葉なんだろう。 この愛おしい人は、俺が穢したところでけっして堕ちてくることはないんだ。 それが、羽山朋未との最後の想い出だ。

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