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act.7 Angelic Kiss 〜 the 4th day 15

ハルカが軽く羽織ったシャツのボタンを留めようとするのを制止するために両手を伸ばし、はだけた胸元に触れる。 白く光るボタンをひとつ摘まんで留めてやると、至近距離で視線が緩やかに交わった。甘く濡れた眼差しに引き寄せられるまま唇を啄ばむ。 ハルカは照れくさそうに俺を見つめて笑った。 「服を着させてもらうなんて、子どもみたいだね」 「俺からすれば、ハルカは子どもみたいなもんだよ。十四も年が離れてるんだから」 二人で額を寄せて笑い合う。自分でする方が早いのはわかっているだろうが、ハルカは動かずに身を任せてくれた。 「……タクマさんは、義理のお兄さんのことを恨んでる?」 ふとそんなことを訊くハルカの表情を窺えば、真剣な眼差しで俺をじっと見上げていた。 「──そうだな……」 このシャツを着てしまえば、ハルカの身支度は終わってしまう。だから、俺はできるだけゆっくりとボタンを嵌めていく。 触れる体温は、もう程よく冷めてしまっていた。時が経つにつれて情事の余韻は少しずつ薄れていく。それが今は淋しくて堪らない。 「兄貴がしたことは、世間的にすごく悪いことだ。なんせ、妻と子どもがいるのに、よりによって妻の妹と駆け落ちしたんだからな。実際、残された家族は本当に大変だった。兄貴が書き置き代わりに残した離婚届を、奥さんはすぐに提出したみたいだ。それから奥さんと子どもがどうしているのか、俺は知らないんだ。兄貴の奥さん側の家族も、うちの家族も当時はすっかり混乱してしまったし、今では絶縁状態だ。兄貴も姿を消してから連絡はなくて、生きているのかどうかさえわからない」 とうとう最後のボタンを留めるときがきた。そっと指先で摘まんで、名残惜しいままに白いプラスチックを小さな穴に通していく。 「だけど、家族をめちゃくちゃにして、しかも俺の好きだった人を拐っていった兄貴のことを、なぜだか俺は憎めないんだ。きっとどこかで生きてると信じてるし、今でも二人で幸せに暮らしていてほしいと思う」 「タクマさんは、それでいいの?」 見上げればそこには、不安げに揺れるふたつの瞳があった。俺は笑ってハルカを見つめ返す。 「ああ。兄貴は小さな頃から俺の憧れの人で、ヒーローなんだ」 何度も目を瞬かせてから、ハルカは口元を緩ませた。 ああ、かわいいな。その微笑みが眩しくて、俺は目を細める。 全てのボタンを嵌め終えて、俺はハルカの細い手首を取った。その内側で色濃く存在を主張していた誰かの所有印は、もう淡く滲んでいる。 あと何日か経てば、きれいに消えるだろう。 行くところがない。四日前に出会ったとき、ハルカは俺にそう言っていた。 両腕を伸ばして、華奢な身体を抱きしめる。躊躇いがちに回された腕が、確かに俺の背中を引き寄せる。 この愛おしい匂いを、俺は生涯忘れることはないだろう。 「ハルカ、大丈夫だよ。立ち止まったり振り返ったりしながら、ちゃんとお前は辿り着くから。だって、こんなに素敵な人を神様が幸せにしないわけがない」 「タクマさん」 ハルカの唇が俺の首筋から鎖骨、さらにその下へと滑り落ちる。チクリと小さな刺激を感じた瞬間、ハルカはゆっくりと離れていった。 「ごめんなさい」 そう謝って悪戯っ子のように笑う。まだ微かに熱の疼くそこに目をやれば、うっすらと桜色の印が刻まれていた。すぐに消えてしまいそうなぐらい微かなものだ。 けれどこれは紛れもなくこの四日間、ハルカが俺を愛してくれたという証に違いなかった。 「嬉しいよ」 初めて好きになった彼女と同じ匂い。その甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込みながら、華奢な身体をきつく抱きしめる。 「ありがとう──」 その名を呟いた途端、腕の中の身体が小さく身じろいだ。 うん、とっくに気づいていたんだ。黙っててごめんね。 でも、俺の中でお前は永遠に愛おしいハルカだから。 そっと身体を離せば、潤んだ瞳でじっと俺を見つめている。 胸の内に秘密を共有しながら、俺たちは仄かな熱を含ませて間近で視線を交じらせた。 「大好きだよ」 ありったけの想いを込めてそう囁けば、ハルカは今にも泣きそうな顔で微笑みながら頷く。 「僕も、タクマさんが大好き」 壁に掛かる時計の針が、真上で重なろうとしていた。 柔らかな唇に口づければ、胸の中にあたかな想いが広がっていく。 甘やかなぬくもりに懐かしい匂い。初恋の人と同じで異なるこの人を、俺は絶対に忘れることはないだろう。 大丈夫だよ、ハルカ。この夜は必ず明けるんだ。 だから、どうか。どうか幸せに。 「さよなら、タクマさん」 「バイバイ、ハルカ」 午前0時。 美しい天使はこの腕の中から羽ばたいて、いつか光射す闇の向こうへと消えていく。

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