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act.1 Honey Kiss 〜 the 4th day 1

「アスカ、今日は付き合ってくれよ」 アスカが作る最後の朝食を口に運びながら、俺は声を掛ける。 「どこに?」 「デート」 アスカは俺の顔をじっと見つめ、そして嬉しそうに微笑む。 愛玩動物、愛玩動物。俺は自分に言い聞かせる。 愛車の助手席にアスカが座るのを確認して、俺は提案する。 「まずは、映画を観よう」 エンジンキーを回し、車を出す。向かうのは、よく行っていた映画館だ。最新作じゃなくて旧作を流す映画館。観るタイトルはもう決まっていた。 内容は、高校生がただ歩く話。夜通し歩き続けるという学校行事を通して、様々な人間関係が浮き彫りになっていく。もう何年も前の邦画だ。 美希はなぜかこの映画が好きだった。スクリーンを観ながら、俺は美希を想い出す。 『私、この主演の女の子が好き』 美希は嬉しそうに笑う。その子は、どことなく美希に似ていた。 俺は隣に座るアスカの手を握る。アスカが一瞬こちらに視線を流し、またスクリーンの方を向く。俺の手をそっと握り返しながら。 映画の内容なんて、全然頭に入ってこなかった。 上映が終わる頃には、昼が近づいていた。 俺たちは再び車に乗り込む。向かう先は、休日のオフィス街だ。 適当なコインパーキングに車をとめて、目的の店に辿り着く。カフェというより喫茶店と呼ぶ方がしっくりくるようなレトロな店の中に入れば、適度に空いていた。 4人掛けの席に掛けて、俺はカツカレーセット、アスカはグラタンとサラダのセットを注文する。 「ここさ、美希と初めて出会った場所なんだ」 俺の言葉に、アスカはただ頷く。 2年と少し前だ。営業帰りに一人でたまたま入ったこの店で昼食を済ませた俺は、店を出た途端雨に降られてしまう。 軒先で雨宿りをしながら、近くのコンビニまで走ろうかと考えていると、俺の後で会計を済ませた女が声を掛けてきた。 『あの……私、傘2本あるから、よかったら使って下さい』 そう言って、俺に空色の折り畳み傘を差し出すその女は、けっして目を引くような美人ではなかった。けれど、あどけなさの中にどこか色気があって、不思議と惹きつけられた。俺はその善意を素直に受け取る。 『今度、これ返すときにお礼するよ。連絡先、教えて』 もう一度会う口実が欲しかった。なのに、彼女は渋る。 『いいんです。私、そういうつもりじゃ』 女に誘いを断られるなんて、俺の中ではあるまじきことだった。俺は引き下がらなかった。 『じゃあ、来週の今日、この店で。お礼に奢るから。絶対に来て下さい。お願いします』 このとき俺は、既に恋に落ちていたんだろう。 「おいしいね」 「アスカの料理の方がうまいけどな」 「そんなことないよ」 スプーンを口に運びながら、アスカは嬉しそうに微笑む。俺はアスカに美希を重ねる。 食後のコーヒーを飲んで店を後にした俺たちは、再び車に乗り込む。 高速道路に乗ってETCのゲートを越えたところで、アスカが俺に尋ねてきた。 「次はどこ?」 フロントガラスを透過する陽射しが眩しくて目を細める。 「神様のいる場所」 着いたのは大きな神社だった。境内の駐車場に車をとめて、俺はアスカと並んで歩く。 ここは、初めて美希とデートした場所だ。 「女をデートに誘って、神社に行きたいなんて言われたの、初めてだったな。初詣ならまだわかるけど、全然時期外れだし」 「いいと思うよ。なんか落ち着く、ここ」 緑が生い茂る神社の鳥居をくぐってから、俺はアスカの腕を軽く掴んで端に引き寄せた。 「参道の真ん中は通っちゃ駄目なんだ。神様が通る場所だから」 それは、俺が美希に教えてもらったことだった。 「神様が通る場所……」 俺の言葉をアスカは噛みしめるように呟く。 「神様って、いるのかな」 「さあな」 俺は神仏にはあまり興味がなかった。自分がいい人間ではないと自覚してるからだ。 「神様は、僕のことはどうでもいいと思ってるのかも」 そう言うアスカは本当に淋しげで、俺は昨夜の涙を思い出す。 「アスカ。サキって、誰?」 その瞬間、アスカの表情が曇った。 「僕、何か言ってた?」 「ああ、寝言で……」 触れちゃ駄目だったのかもしれない。 俺の焦りを見透かしたのか、アスカがいいよと首を横に振った。艶やかな笑みを浮かべながら、遠くを見る。 「サキは、僕の初めての人だ」 手水舎で手と口を濯ぎ、更に歩くと神殿に辿り着いた。小銭を賽銭箱に入れて、二人で鈴を鳴らす。 二礼二拍手一礼。俺が教えた通りにアスカも真似をする。 俺はいるのかどうかもわからない神様に向かって唱える。 ――前を向いて歩いて行けますように。 願いではなく、誓いかもしれなかった。 隣で目を閉じるアスカを横目で見る。アスカは何を願うのだろう。 『連れて来てくれて、嬉しかったよ』 俺は美希に教えられたとおり、参道の端を歩いていた。 『私、お願い事がしたいときはいつもここに来るの。今日はハルくんと一緒に来られてよかった』 繋いだ手は柔らかい。 『なあ、美希の願い事って何?』 『内緒』 美希はそう言って微笑む。 『ハルくんのこと、お願いしたよ』 元来た参道をゆっくりと引き返す。いつの間にか、陽は傾きかけていた。二つの影が前に長く伸びている。 「アスカ、付き合ってくれてありがとう。これは、俺の儀式だったんだ。前を向くための、儀式」 美希との思い出を、アスカと二度塗りした。 アスカは影を踏みながら足を進める。 「そうだったんだね。なら僕は、まだ儀式の途中なのかも」 俺はアスカに興味があった。なぜこんな奇妙な仕事をしているのか。なぜそんなに淋しげなのか。 「僕、ハルキさんの声が好きなんだ」 唐突にアスカがそんなことを言う。 「声だけかよ。俺、他にも結構いいとこあるよ。顔とか」 「そうだね」 アスカが笑う。その笑顔が眩しくて、俺は前を向く。その時。 ――ハルくん。 小さな呟きが、微かに耳に届く。夜の闇が訪れる方から歩いてくるのは。 「美希」 懐かしい姿に立ち止まる。二週間程前まで俺の隣にいた女は、真っ直ぐとこちらへ歩み寄って俺の影を踏んだ。 目の前に立つ美希は、よそよそしい雰囲気を出していた。 「ハルくん……元気?」 俺は曖昧に頷く。 どうして急に出て行ったんだ。理由ぐらい聞かせてくれ。 言いたいことは沢山あったはずだった。なのに、言葉が出てこない。 美希は、俺の隣にいるアスカに視線を移す。 「どなた?」 友達と言うには不自然だった。俺には弟もいない。なんと説明すればいいのか、俺は逡巡する。 そのとき、アスカが俺の手を握って引き寄せた。唇が触れ合う。 「……ハルキさんの、恋人です」 心臓が、止まりそうだった。 アスカは静かに、けれど挑むような目つきで美希を見ていた。美希はびっくりしたように目を見開く。 「……そう」 伏せられた美希の瞳が悲しそうに見えるのは、俺の気のせいなのだろうか。 「お邪魔してごめんなさい」 美希は踵を返して足早に神殿の方へ歩いていく。引き止めようと伸ばした俺の手を、アスカが掴んだ。 「ハルキさん。追いかけちゃ駄目だ」 真剣な眼差しが、俺の心を打つ。 そうだ。これは、美希から旅立つための儀式なんだった。

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