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act.5 Caged Kiss 〜 the 3rd day 3
綾乃に背中を押される形で、俺は雄理に会いにいった、卒業式以来に会ったけど、ここ数日でまた少し大人っぽくなってる気がした。
『どうした。何かあったか』
気のせいかもしれないけど、雄理の声音は少し優しかった。
『何かってわけじゃ、ないんだけど』
我ながら歯切れが悪い。何の約束もなしに久しぶりに雄理の家に行って、押しかけ状態で上がり込んだのに、おばさんには前と変わらず好意的に迎えてもらえた。そういう感じがすごく懐かしかった。
雄理の部屋に二人きり。それだけで俺は十八年間の人生で一番緊張してた。
心臓の音がうるさい。今すぐにでも逃げ出したい。
結局、俺は決死の覚悟で自分の気持ちを伝えようと思った。
駄目なのはわかってる。でも一晩考えて、やり場のないこの気持ちにちゃんと区切りを付けて新しい生活に踏み出すためには、こうするのがいい気がした。
雄理の視線が痛かった。会わなければこの想いは忘れられると思ってた。好きだなんて、ただの気の迷いだ。
でも、顔を見るとやっぱり自覚してしまう。
こんなにドキドキして、恥ずかしくて、それなのにもっと近くにいたいと思う。それは、好きだからだ。
向かい合ってるけど、恥ずかしくてまともに目が合わせられない。
おもむろに、雄理が口を開いた。
『向こうにはいつ行くんだ』
『……明日』
短く答えながら、俺は目のやり場に困って目線を下に向ける。
同じ大学に行くこと。少しは、気にしてくれてるんだろうか。
『陽向』
名前を呼ばれて恐る恐る視線を上げた。思い切って目を合わせると、心臓を射抜くような、真っ直ぐな眼差しが俺を捕らえてた。
『あのさ』
言葉に詰まって、飲み込んで、また決意して。でも、素直には言えそうもなくて。何度も何度も、迷って。俺はようやく言葉を絞り出す。
『……もし男から好きだって言われたら、どう思う?』
遠回しな言い方。その言葉に、雄理は最初、まじまじと俺を見つめる。やがて、スッと目を細めて、みるみる険しい表情になっていった。
その時の心臓が凍るような感覚を、俺は今でもよく憶えてる。
『そんなことを言うために、わざわざ来たのか』
背筋がゾクゾクするような、冷ややかな声。
『雄理?』
『帰ってくれ』
どうして、踏み込もうとしてしまったんだろう。
これ以上悪くなることはないなんて、そんなことはなかった。
あのとき何も言わなければ、俺にはお前を忘れないことぐらいは許されたんだ。
結局、雄理とはそれっきりだ。
学部は違っても、同じ大学だから時々顔を合わせることもあった。
でも俺たちは、いつも互いを知らないかのように視線を逸らしてすれ違うだけだった。
客とのプレイを終えてラブホテルの外に出れば、もう夕闇が訪れてきてた。
俺はアスカと『CAGE』に戻った。建物は同じだけど、ドライバーとボーイの事務室は別になってる。ボーイは基本的に待機時間は自由にしてるけど、手の空いたドライバーは事務処理や電話番をするからだ。
アスカと別れた俺は、事務室の扉を開ける。その瞬間、心臓が跳ね上がった。
目に飛び込んできたのは、キスシーンだった。互いを深く求め合うような、甘く濃厚なキス。それも──澤井さんとユイだ。
壁に寄り掛かる澤井さんの首に、ユイが腕を回して絡みつくように抱き合う。なぜか俺は、そんな二人の姿に違和感を覚えて戸惑う。
澤井さんがこっちに視線を移した。全然動じてる様子はない。
「あ、あの」
目が合った途端、何も悪いことはしてないのに謝りそうになる。
ユイがようやく俺に気づいて、こちらを振り返った。慌てて澤井さんから身体を離しながら、居た堪れない顔をする。
「ヒナ……」
「ごめん」
慌てて事務室を出て、廊下の角を曲がったところで座り込んだ。ドキドキと鼓動が跳ね上がる。
俺はちょっと混乱してた。ユイが澤井さんを好きなのは前から気付いてたし、二人がそんな仲だったとしても全然おかしくない。でも、なぜだか見てはいけないものを見てしまったという気がした。
しゃがみこんだまま深呼吸してると、俺を呼ぶ声がした。
「ヒナ、どうしたの」
廊下の向こうから足早にやって来たのはアスカだった。跪いて俺の顔を覗き込むその顔はすごくきれいで、本当に心配そうだった。
「ううん、何でもない」
睫毛が長くて、精巧な人形みたいに整った顔だ。年は俺とそう変わらないんだろうけど、すごく落ち着いた雰囲気で、その眼差しには翳りがある。
アスカはいつも見るからに淋しそうだ。だから俺は放っとけなくて、会ったばかりなのに二晩も一緒に過ごしてしまったんだろう。
「指名が入ったんだけど、大丈夫?」
食い入るようにアスカを見つめてたことに気付いて、俺は慌てて立ち上がった。
「大丈夫。行こう」
きっと今日最後の仕事だ。もうひと踏ん張りで一日が終わる。自分を無理矢理奮い立たせて、重い腰を上げた。
「指名、神崎さんだよ」
「え……本当に?」
嬉しい反面、変だなと思った。一昨日会ったばかりなのに、いつもよりペースが速い。胸騒ぎがする。
モヤモヤしたものを抱えながら、俺はアスカと車に乗り込んだ。
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