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act.5 Caged Kiss 〜 the 4th day 13

「ヒナ」 向かい合わせに立つと、頬に神崎さんの手が触れた。ビクリと身じろいでしまう。まともに目を合わせられなくて、俺は視線を落とした。 「あの、俺……」 「いいよ、ヒナ」 優しく宥めるような声に顔を上げる。淋しげな微笑みを浮かべた神崎さんの顔が目に入った。 「残念だけど、ヒナが決めたことだから仕方ない」 わかってたんだ。 戸惑いながら見つめてると、神崎さんは俺の頭を優しく撫でてくれる。 「そんな顔をされたら、嫌でもわかるよ。ヒナ」 「ごめんなさい……」 こんなにいい人を傷つけてしまった。胸が痛くて涙が出そうになる。 神崎さんは、俺とすごく真摯に向き合ってくれてる。だからこそ、ごまかさずにちゃんと本当のことを伝えないと駄目だ。 勇気を振り絞って、正直な気持ちを口にしていく。 「俺、神崎さんのところに行こうと思ってた。でも、ずっと好きだった人がいなくなった俺のことを捜してくれて、やっと会うことができたんだ。そしたら、もう離れることなんて考えられなくて、どんなことがあってもその人と一緒にいたいと思った。だから、神崎さんのところへは行けない。本当にごめんなさい」 神崎さんに身を委ねれば、きっとお金のことは何とかなるんだろう。馬鹿で勝手だと我ながら思う。でも俺はやっぱり雄理と一緒にいたいし、もう離れたくなかった。 神崎さんは俺のことをじっと見つめて、優しく笑いかけてくれた。 「ヒナ、いつでもいい。その人とうまくいかなくなったら、今度こそ俺のところにおいで。待ってるから」 思いがけない言葉に、心底びっくりする。 「そんな……」 そんな都合のいいこと、できるわけがない。 「ヒナが勇気を出せるおまじないだよ」 星が瞬く空の下で、神崎さんは俺の瞳をそっと覗き込む。 ああ、その優しい表情がすごく好きだったなと思った。 「ヒナはすごく魅力的で素敵な子だ。でも、少し臆病なところがある。俺が控えで待ってると思えば、きっとヒナはもっと自信を持てるし、その人に素直な自分を出せるんじゃないかな。だけど、そういうことは抜きにして、本当に困ったときには俺を頼ってくれればいい。お金のことでもね。ヒナは遠慮するかもしれないけど」 そう言って、神崎さんはすごくきれいに微笑んだ。 「でもそれは建前。本当は、かわいいヒナともう会えなくなるのが惜しいだけなんだ」 この人は、本当に優しくて素敵な人だ。 神崎さんと初めて会ったときのこと。一緒に過ごした夢みたいな時間。ひとつひとつの思い出が鮮明に蘇ってくる。涙が溢れて止まらない。 「俺、いつも神崎さんと会うのが、本当に楽しみだった。神崎さんのお陰で、あの店で、俺……」 泣いて言葉に詰まる俺を見て、神崎さんが苦笑する。 「駄目だよ、ヒナ。そんな風に泣かれると、帰したくなくなる」 慌てて涙を拭う俺の頭を、またそっと撫でてくれる。 「いいかい、ヒナ。幸せになるんだ。ヒナを無理矢理連れ去ってしまえばよかったと、俺が後悔しなくていいように」 頷くとまた涙がこぼれた。大丈夫。これでもう、お別れだ。 「神崎さん、ありがとう」 「こちらこそ、ありがとう。ヒナと過ごした時間は、本当に楽しかった」 神崎さんはちょっとだけためらう素振りを見せてから、俺の額にそっと唇を押しあてた。 山道を降りて、来たときに待ち合わせた駅のロータリーまで送ってもらった。車から降りるときは、やっぱり胸がいっぱいで泣きそうになったけど、精一杯無理をして笑顔で別れることができた。 近くのコインパーキングまで歩くと、ひときわ目立つ平べったい外車が見えた。 運転席のアスカは遠くを見ていて、ぼんやりと考えごとをしてるようだった。俺が近づいても全然気づく様子がない。運転席の窓を叩くと、やっとこっちを向いてドアロックを解除してくれた。 「ごめん、待たせた。ありがとう」 俺を見てアスカが笑う。きれいで淋しそうな微笑みだ。 「いいよ、待つのも料金に含まれてるから」 何の料金か、この時はピンと来なかったんだ。 アスカの四日間がたったの五万円だということを俺が知るのは、もう少しあとの話。

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