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Stigmatic Kiss side A 2
「いただきます」
スープをそっと飲めば、優しい甘みが口の中に広がった。ややぬるい舌触りは、肌を寄せ合い眠るときに感じるユウの体温を彷彿とさせる。
穏やかで静かないつもの時間が、心地よく僕たちを包み込んでいた。そんな中で僕は、まだユウに今朝の言葉の意味を問いただすことができずにいる。
食事が進む度に、カトラリーが食器に触れる音が、やけに大きく響いている気がした。
すっかり食べ終えてから冷めてしまったカフェオレを飲み干そうとしたそのとき、おもむろにユウに名を呼ばれた。
「アスカ」
視線を上げればそこには真っ直ぐに僕を見つめる真摯な眼差しがあった。
「今朝の話だ」
「……うん」
こくりと頷いたまま、顔を上げずに俯く。僕はユウがこれから口にしようとする言葉に怯えていた。
ユウの本意を知るのが怖くて堪らない。
少しの沈黙の後、宥めるような優しい声が聞こえてきた。
「お前の仕事はそろそろ潮時だと、前にも言ったことがある。今すぐじゃなくてもかまわないが、心づもりをしておいた方がいい」
そっと視線を上げれば、ユウの真剣な表情が視界に入る。
僕が赦されるために繰り返してきた、四日間の契約。この生活が終わることを、うまく想像することができない。
まだ罪は償えていない。けれど、この四日間に纏わる噂は恐らく僕の思う以上に世間に広がっていて、ユウやユウのお店に迷惑をかけていることは容易に想像できた。
空になったカフェオレボウルをそっと置きながら、僕はユウの様子を窺う。
「だから、あんなことを言ったの?」
僕にはどこにも行くところがない。
それがわかっているから、ユウはおぼつかない僕の居場所をこれからも提供すると申し出てくれた。ただそれだけのことで、あの言葉には深い意味などなかったのかもしれない。
再び降りた沈黙の中、ユウは僕を射るように見つめて、やがて口を開く。
「お前は、俺が今までつまらない同情や責任感だけで接してきたと思ってるのか」
その言葉を聞いた途端、僕の心臓は危なっかしい速度で鼓動を刻み始めて、その激しさに思わず胸を手で押さえる。
弱々しくかぶりを振るものの、否定したつもりはなかった。
「……わからない」
ユウの意図がわからない。それが僕の本音だった。
曖昧な言葉を返した僕を見て、ユウは微笑みの形に口元を緩ませる。
「ちゃんと食べられるようになったな」
そう言って席を立ち、食器を下げにキッチンへと向かっていく。
そうだ。僕はここのところずっと、まともに食事をしていなかった。
まだ収まらない鼓動を落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐く。窓から見える昼の白い空を、僕はガラス越しにぼんやりと見つめ続けた。
これと言った会話もないまま徒らに時は過ぎていき、ユウが家を出る時間になった。
今日は金曜日だ。PLASTIC HEAVENには多くの人が訪れるのだろう。
「行ってらっしゃい」
玄関先で見送る僕を見下ろしながら、ユウは口を開く。
「アスカ。帰ったら、少し話せるか」
瞳を覗き込まれて、その真剣な面持ちに僕は戸惑いながら頷く。
「……約束を」
伸びてきた腕が僕の身体を引き寄せて、しっかりと抱きしめられる。こうして触れ合うことには慣れているはずなのに、体温を感じた途端心臓がドクリと大きな音を立てて跳ね上がった。
そうして与えられるのは、触れるだけのささやかなキス。
そっと押しつけられた唇から流れ込む熱い吐息に、僕はユウがどうしてこんなことをするのかを悟ってしまう。
「ここで、待ってる」
僕が告げる短い誓いの言葉に、ユウは満足げに頷いて身体を離した。そのまま踵を返して、外の世界へと出て行ってしまう。
扉の向こうに消えた残像の輪郭を視線でなぞりながら、僕はその場に立ち尽くしていた。
ユウは自分がいない間に僕がここから出て行くことを恐れている。
それに気づいた途端、僕はひどく狼狽えていた。それは本当に不思議な感覚だった。
今までここにいられなくなることを恐れていたのは、僕の方なのに。
リビングに戻った僕は、ガラスの向こうに広がるビルの群れを眺めながら、縺れた思考を少しずつ解していこうとしていた。
天上に少しだけ近いこの場所で過ごす時間は、いつも優しく流れる。
犯した罪の重さに苛まれて淋しさや悲しみに襲われる僕を、献身的に支えてくれたのはユウだった。ユウがいなければ、僕は確かにこの世界に存在しなかった。
サキを失ってからここへ逃げ込んだ僕は、ユウの掌に包まれながら護られてきた。
四日間の契約を終えては、この場所に還る。その繰り返しは、確かに僕の生きる理由となっていた。
けれど、ずっとこうしているわけにいかない。それは最初からわかっていたことだ。
ユウから与えられてきたこの仕事も、終わらせなければいけないのだとすれば──僕はもういい加減、我が身の振り方を考えなければならない。
何ひとつ、赦されないままに。
暗闇の中、玄関からシリンダーの回転する音が響いてくる。
僕のいる寝室の前を、聞き慣れた足音が通り過ぎていく。きっとそのままバスルームへ向かうのだろう。
一人で待つ時間も、あとわずかだ。
窓の外を見れば夜の海に光の宝石が沈み、色とりどりの輝きがキラキラと瞬いている。
真夜中のしんとした静けさが好きだ。このまま闇に呑まれて僕という輪郭がなくなってしまえばいい。この場所で幾度そう願ったかわからない。
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