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第15話 話し相手

「おはよう、譲。起きて」 「・・・・・・デジャブ。頭が痛い」  最悪の二日目。昨日のあれは夢じゃなかった。  譲は天井を見つめたまま頭を押さえる。 「顔色は悪くなさそうだが?」 「まぁ、はい」  ベッド脇で待機され、目覚めは良くない。だが安眠とまではいかないものの、緊張感から解放されて眠ることができた。  譲の世話に異常に固執していたわりに、昨夜の寝室は別だった。同じベッドで眠ると言い出さなかったのは嬉しい限りで、譲は束の間の安息を得た。  しかし手首は、譲がまた窓を飛び越えて犬に襲われないようにと、両手首とも鎖で繋がれている。  犬が外を自由に闊歩し、人間の譲が繋がれているなんて変な話である。寝起きから反論したいところだけれど、この男——ヴィクトルに言わせれば、屈辱的な行い全てが『譲が抵抗するから仕方がないんだよ』で済まされるのだ。 「譲」  名を呼ばれて顔を上げると、ヴィクトルは部屋の外に視線を投げた。 「譲に紹介したい人を廊下で待たせている」 「紹介・・・誰でしょうか」 「そうだね、私が不在中の世話係と話し相手ってところかな。退屈だろうからね」  譲は頬を引き攣らせた。  ヴィクトルは何かにつけて子どものように扱ってくるので、もしや幼稚園児くらいの子を連れてくるんじゃないのかと疑ってしまう。 「入りなさい」  ヴィクトルがドアの外に声を掛けた。 「失礼致します」 「あぁ、何だ。普通の人だ」  入ってきた人物を見て、譲はホッとした。 「ふふ、譲はどんな想像をしていたんだい?」  くすくすと笑うヴィクトルは、その人物の肩に手を乗せた。 「紹介するね、彼はロマン=バラノフ。私が一番信頼を置いている執事長だよ」  ロマンは慇懃に腰を折って会釈をする。  黒いスーツにスカーフ風のアスコットタイをしているロマンはハンサムな男だった。レンガ色の瞳は聡明さを秘め、背筋が伸びた完璧な姿勢は職業柄が成せる技だろう。くすんだ緩いカールヘアはオールバックに整えられている。 「よろしくお願いします、譲様」  ロマンはお辞儀から直った。微笑まれたが、譲は笑い返さなかった。  彼の顔はヴィクトルとはまた異なった魅力があって目を惹く。危害を加えてくる気配は感じられないが、一先ずは様子見をしたい。  公爵家の執事長であるようなので、仕事ぶりは一流に間違いないと思う。しかしヴィクトル側の人間を簡単に信用できなかった。 「さっそくなんだけれど、今日は終日かけて仕事で出なければならない。譲の世話全般をロマンに頼んであるから、朝食は彼と取っておくれ。トイレに行きたくなったら我慢せずに言うんだよ。昨日みたいなことを繰り返していたら身体に悪いからね。わかったね?」  ヴィクトルは絨毯に置いていた鞄とステッキを手に持ち、中折れ帽を被ると譲の頭を撫でた。  譲は瞬時に「やめろ」と手を払う。  何度も思うが身を案じてくれるなら、ヴィクトルの接し方を見直して欲しい。 「譲」  譲は酷く無機質な声に血の気が失せた。  今のは、まずかった。機嫌を損ねたら、次にどんな制約を課せられるかわからない。ヴィクトルの反応を確認すると、譲が弾いてしまった手を見下ろしたまま動かない。  怒らせてしまったのか判断がつかず、譲は謝罪をした。 「あの・・・ごめんなさい」  ヴィクトルは我に返ったように、譲に視線をやり目を細める。 「いいや、一日良い子に過ごしていておくれ。ロマン、では頼んだよ」 「かしこまりました」  譲はベッドの上で仕事に行くヴィクトルを見送った。 「譲様」  初対面のロマンと二人きりになった直後だ、譲は警戒した顔を向ける。 「そう警戒なさらなくて結構ですよ」  ロマンはビジネスライクな表情だ。目が笑っていない。 「僕はヴィクトル様のご指示通り譲様のお話相手と身の回りの世話をするだけですので、罰の権限は許されておりません」 「素直に信じろと?」 「信じられませんか? でもすぐにわかります。朝食の準備をして参りますので失礼」  とても事務的な話し方をする。あれが話し相手なのだとしたら、十割がた確実にクソつまらない・・・。  譲は出て行った背中に「もう来なくていいぞ」と呪うように呟いた。

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