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第19話 手のひらで踊る

 ヴィクトルは出掛けて二日目の夜中に帰宅した。  翌朝目覚めると、譲のベッドの脇にはヴィクトルがいた。ロマンはいない。 「いやぁ、会いたかったよ譲、ひとりにしてすまなかったね」  俺は会いたくありませんでした、とは思っていても言えない。  ロマンの話を聞いてから譲は気が気ではなかった。昨晩はベッドに潜った後も眠れず、生意気な喋り方は改めなきゃいけないと心に誓って目を閉じた。 「はい・・・、お帰りなさい」 「私の可愛い、譲。二、三日は屋敷にいられるはずだから私も譲の部屋で過ごさせて貰うとするよ」  ヴィクトルは目を細めて譲の髪を梳く。 「素直で良い子だったと報告があったよ。お散歩は楽しかったかい? 本は気に入らなかったみたいだから、また別のものを読んであげよう」 「ええ、はい。ありがとうございます。今日も散歩に出られたら嬉しいんですけど」 「ぜひそうしよう。朝食をしっかり取ったらね」 「はい」  会話に気を使う。疲れる。  とりあえずニコニコして、返事は「はい」。ヴィクトルのやることに抗わず従うしかない。 「すぐに朝食を運ばせる」  ヴィクトルは席を立った。  譲は詰めていた息を吐いて身体を起こす。  だがその時に鎖が擦れた音がした。散歩時に頻回に聞いた音なので聞き間違えじゃない。  まさかとは思ったが両手首と片脚がベッドに繋がれている。 (・・・・・・なんでだ?)  ベッドへの拘束は反抗した場合の罰ではなかったのか。  ただ寝ている人間を拘束することは譲が見てきたヴィクトルの行動原理に反する。訳がわからなかった。 「おまたせ」  運ばれてくる朝食ワゴンの車輪の音。ヴィクトルの弾んだ声。  手のひらに汗が滲んだ。  心臓が跳ねる。  譲は激しく鼓膜を震わせる胸の音に、我慢できず耳を塞いだ。 「耳がどうかしたのかな? 顔色が悪いね」 「いえ・・・、平気です」 「そうかな。今朝は、特別に取り寄せた南国の果物を持ってきたんだ。瑞々(みずみず)しくて甘くて美味しいよ。きっと元気が出る」  ヴィクトルの手のひらにはラグビーボールのような果物が乗っていた。色は赤っぽいオレンジ。中を切ると、果肉はとても綺麗な黄色だった。  譲を拘束したことについてはスルーされる。  ヴィクトルの関心は南国フルーツばかりに向けられ、嬉しそうに口に運び、感想を言わせたがった。  何気なく話題に出してみるか。どうするか。  譲は咀嚼しながら考えた。  理由を教えられてしまうのも怖い気がする。拘束について触れてしまうことがタブーなのかもしれない。  わからない。  わからない。  得体の知れないこの男の行動が怖い。 「譲? 顔が真っ青だ。果物が口に合わなかったかな?」  譲は力無く首を横に振る。 「違う・・・・・・」  違う、違う。まるで違う。 (眩暈がする。思考が纏まらなくなってきた。今日は、横になっていたい気分だ)  今思い出したかのように全身が重たくなった。上半身を起こしているのでさえ、しんどいくらいだった。  ヴィクトルは俯いた譲の頬を撫でると、額に手のひらを当てる。 「熱があるかもしれないね」 「はい、すみません。今日は寝ていてもいいですか?」 「うん。寝ているといい」  要求が聞き入れられたことにホッとする。  瞼を閉じると、途端に眠気に誘われた。頭を撫でているヴィクトルの手のひらは冷たくて気持ちいい。  心が弱った身体に引き摺られる。  ヴィクトルによって与えられた恐怖心が、ヴィクトルによって鎮められている。  譲がぼんやりと理解できたのはそこまでだった。  おかしな構図に笑ってしまいたくなったが、口の端を緩く引き上げたところで眠りに落ちた。

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