53 / 102
第53話 耳にしたこと、目にしたこと【1】
この日も譲はイザークの失礼極まりない視線に晒され続けた。酒の席ではもはや定番となる流れだった。
譲は置き人形の如く素知らぬ顔をし、ロマンが作ってくれる機会を待つ。
「そろそろ、嵐が大きくなってくる前に帰りましょうかねぇ」
イザークがグラスの底に溜まった蜂蜜色の蒸留酒をクイっと飲み干した。
往来を重ねるたびに、口ぶりは随分気安くなったものだ。
軽い咳払いを交え、ヴィクトルが一番に立ち上がる。
「ではもう譲を退出させても構わないな」
「ええ。またお会いしましょうね、執事さん」
イザークは混沌とした場の空気を愉しんでいた。
「譲は部屋に戻りなさい」
そうヴィクトルに耳打ちをされ、譲はロマンに視線を送った。ロマンは気づいているはずだが、表情を変えず反応も示さない。譲はその真意を、ここではヴィクトルに従えという意味だと受け取った。
「失礼させて頂きます」
断りを入れ、席を立つ。
イザークの手前では譲はただの使用人なので、松葉杖を用いて一人で部屋に戻った。
後のことは、ロマンを信じるしかない。
譲は気疲れと肉体的な疲労を感じ、眠気覚ましの為に頬をつねる。ベッドに腰を下ろして待っていると、ノックなしにドアが開いた。
顔を上げると、イザークが微かに動揺した目つきで立っていた。
ロマンが背後にいるのが見える。
「時間を作ります。外で車のクラクションが鳴ったら、直ちに追い出して下さい」
この言葉は譲に向けられたものだ。
頷いて返すと、ロマンは足早に姿を消した。
「いやはや悪天候で車の手配に手間取っていると言われて通された場所が、あろうことか執事さんのお部屋であったとは思いませんでしたな」
「うるさい、黙れ」
譲はイザークを睨みつける。
連れられてきた一瞬は不遜な態度を崩したイザークだったが、今や気持ち悪い笑みを浮かべている。
「おや、アゴール公爵家の執事さんは、お口が達者なようだ。擬態はもう宜しいのかな?」
「俺が質問するまで口を閉じてろって言ってんだよ」
「ふふ、いいでしょう」
剥き出しにして向けられる敵意に、イザークは舌なめずりし、譲の横に腰を下ろして足を組んだ。
「追い出される時間までお付き合いして差し上げますよ。そのために俺と二人きりになったんだろ?」
譲は凍りついた。
「・・・・・・あんた」
蝙蝠男がほくそ笑む。
譲の視界でイザークの首元のループタイが揺れた。
そうだった・・・。陰気なマントの下で、鰐の獰猛な目玉がぎらぎらと光っている。
「そっちが本性かよ」
「そちらこそ。これ。バレバレなんだがな」
言葉づかいが変化する。加えて手首を強い力で掴まれ、シャツの袖を捲られる。
譲は手首の擦り傷と赤く変色した圧痕を見られてしまった。
手を引こうとするが、イザークは譲の手首を離さない。
「公爵閣下は良いご趣味をしていらっしゃる」
「これは違うっ!」
「何が違う? 拘束ごっこは君の趣味なのか? それとも執事でも裏方の使用人でもない、本当は愛玩用のペットなんだって自白してる?」
「・・・・・・っ」
「どうした? 黙ってるってことは認めてるのかな」
イザークの指が譲の顎にかかり、顔が近くなる。
譲は言うべきことも言えぬまま負かされたくなかった。目を逸らすのも癪に感じ、真っ向から睨み返す。
陰湿なくせに、イザークの顔つきには妙な精悍さを感じる。
何処か懐かしくなるような。
なんだったか。
顔の半分を隠してしまう邪魔な前髪がなければ、そう思ってよく見ると、片眼鏡をしてる側の瞼から額にかけて薄い火傷痕がある。レンズの奥の目は・・・義眼だった。
「・・・・・・んなことより」
譲は見つけてしまったものを振り払う。
「公爵につけ込もうとするのはやめろ」
「ほう、意外だ。てっきり恨んでいるだろうと思っていたのにな。外部の人間である俺に助けを求めずに、そうか、あれに絆されたか。まさか大好きなご主人様を守ろうとするとは泣かせるじゃないか」
「変な言い方はしないでくれないか」
「そうじゃないなら、なんだって公爵を庇う」
唇が釣り上がっているが、馬鹿にされているのではなく単純な疑問を突きつけられたのだろう。
だから譲は応えてやった。
「公爵が心配なんだ。あんたが来るようになってからだ、ボロボロになってるの見てらんない」
「心配だって? 冗談か・・・・・・?」
イザークが不愉快そうな声を出した。
ともだちにシェアしよう!