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第59話 ロマンが見てきたこと【1】

「エルマー様、お願いでございます。譲様から離れ、今すぐに去りなさい」  ロマンははっきりとした口調で命じた。 「幸い僕以外の使用人はエルマー様の侵入に気づいていません。譲様に危害を加えた痕跡はないようですし、直ちに出て行くのなら目を瞑りましょう。もう一度申し上げます。去りなさい」 「そうもいかない。まだ終わっておりませんので、執事さんは眠ってて下さいねぇ」 「駄目だ!」  譲は動こうとしたイザークを止める。 「ごめんなさい、隊長、今日のところは帰って下さい」  ロマンに加勢する。公爵邸内でイザークと密会し話をしたことを大事(おおごと)にしたくなかった。 「・・・・・・わかった。また話そう」  譲の要求にはイザークは従う姿勢を見せる。  しかしロマンがイザークの言葉に反論した。 「いいえ、もう会うことはありません。僕の職と名にかけて、二度とあなたはここへは入れません」 「参ったな、今後の接触は難しくなりそうだ」 「諦めて下さい。もし次があったのならヴィクトル様に報告させて頂きます。その時は相応の処分をご覚悟下さい。もう宜しいですね? 帰りは正規の出入り口からお願いします」 「・・・・・・わかりましたよ」  小さな声で呟いたのを最後にイザークはロマンに急かされて部屋を出て行った。  譲は薬の抜け切っていないロマンを心配したが、イザークの動きを隙のない鋭い眼差しで射竦めている。ロマンの利かせている凄みに鳥肌が立った。  ベッドで待っていると、ロマンが戻ってくる。薬の副作用のためか、ロマンは平常よりもやつれた顔をしていた。  イザークに共感して勝手をやらかしてしまったことを、ロマンには謝っておきたいと思う。  けれど、ごめんなさいという簡単な一言が出てこない。それよりもイザークの話を聞いてしまったことで得た不信感が喉に引っかかっている。  ロマンは譲のその気持ちを感じ取っていた。 「譲様、どうか怒りをお鎮め下さい。ヴィクトル様は決して極悪人などではございません」  そうして沈痛な面持ちで頭を下げる。 「なら、ちゃんと教えてよ・・・、今の俺は公爵を信じられそうにない」  紛れもない本心だ。  イザークの言ったことが真実なら、譲の家族はヴィクトルに殺された。譲の脚はヴィクトルのせいで奪われたと言わざるを得ないのだ。  家族の仇を信じ抜ける程、譲は自分を失ってはいない。間抜けでお人好しでもない。 「ええ、話さなくてはなりませんね。僕が知るヴィクトル様は・・・何も持たない人と申しましょうか」 「大豪邸に住んでおいて? 公爵(プリンス)様だよ?」 「ヴィクトル様の立場は華やかに思えるかもしれませんが、あるべき姿に縛られて不自由なものなのです」 「あるべき姿ってなに」  ロマンは重い溜息を吐いた。  以下はロマンの口から明らかにされた話だ。  ロマンの母親はヴィクトルの乳母を務めていた。ロマンとヴィクトルは乳兄弟の関係である。近い生まれ日でもあったため、二人は一緒に育てられていたという。  だが物心がつくかつかないかのうちにヴィクトルと引き離された。アゴール公爵家の男子として英才教育を施されていると知ったのは、ロマンもまた公爵家に仕える使用人としての教育を受けるようになってからだった。  ロマンはヴィクトルに専属で付けられ、現在と変わらない主従関係を持ったのである。  幼いヴィクトルは毎日を卒なくこなしているように見えたが、しだいにロマンは表情のない彼の顔に違和感を覚え始めた。  そんな日々の中でもヴィクトルが笑う瞬間があった。  公爵邸でパーティが開かれ、子供達が集まった時だ。  お行儀良くするようにと厳しく言いつけれられていたため、ヴィクトルはアルセーニーと並んで座り、まるで椅子と同化してしまったかのようにじっとしていた。  けれど一瞬、菓子を手にして走り回っている貴族の子を見て、ふっと表情を和らげた。  見下したのではなく、楽しそうだなと思って笑ったのだとロマンにはわかった。  そしてパーティの夜にヴィクトルが鞭をふるわれていたのを見てしまった。  ヴィクトルが同世代の子の前で笑顔を見せたのは、その一度きりになった。  この話はイザークが目撃したという惨虐劇の一場面よりも何年も前のエピソードである。  ロマンは言う。ヴィクトルは人間らしい感情を捨て去ったことで、アルセーニーとの爵位をかけた競争に勝利した。  全権力を手に入れた時、ヴィクトルが最も最初に行ったのは周囲の人間の排除だった。前代と母親から財産を没収して別領地に移し、屋敷にいる大半の使用人をそちらについて行かせた。  残ったのはロマンが選んだ少数のみとなり、彼らもヴィクトルの前に姿を見せるのを禁じられている。  その後、決められていた婚約者の出身を操作して王家に献上した。  これは王太子殿下がシャルロッタに一目惚れしたという話を利用したのである。  ヴィクトルは皇太子殿下が気兼ねなく彼女を側妃に迎えられるよう手を加えた。妾同然の三番目の側妃となるには彼女の身分が高すぎた為だった。 「シャルロッタ妃様は今でも未練があるようでして、ヴィクトル様とエルマー様がお酒の席で話されていたのはこのことです。彼女が側近を引き連れて屋敷を訪れた日もありましたね。王太子殿下の寵愛を受けて贅沢三昧の暮らしをしているくせに傲慢な女ですよ」  ロマンがこうも他人を罵るのは珍しい。 「だとしたら、公爵が戦争を企てたって話は否定できないね」  イザークとロマンの話の中でヴィクトルの生い立ちはどちらも悲惨に語られたが、冷酷な人間であるとも言われていた。譲はそのように思うしかなかった。

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