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第60話 ロマンが見てきたこと【2】
「否定しません。それがヴィクトル様の職務でした」
ロマンは重苦しい声で答える。
「わかんないよ、やってることがめちゃくちゃだ。公爵はアゴール公爵でいることに疲れてしまったから、徹底的に周りの人間を排除したんでしょ? なのにどうして、そいつらの為になるようなことをするの?」
「そうすることが、ヴィクトル様の存在意義だからです。生まれながらの宿命だと表現しても大袈裟ではないかもしれません。国王のために、ひいてはロイシア国の利益のため非道になることだけがヴィクトル様が生きていても良い理由なのです」
言葉一つひとつがとても大仰だ。
言い返したいことがないわけではなかったが。しかし感情に任せた口ぶりではなかっただけに説得力がある。
ロマンが先回りするように譲の懐疑心に触れた。
「疲れてしまったから、要らないからといって、ヴィクトル様の立場は簡単に捨て置けるものではないのですよ。エルマー様の言葉を間に受けてはいけない。彼は少々誤解をしていらっしゃる。王族と貴族の御方々が本当に自らの私腹を肥やしているばかりであれば、とっくに国は滅んでいます」
譲は何も言えなくなり口を閉ざす。
「どうかわかって下さい。どうかヴィクトル様を信じて差し上げて下さい。譲様はもうお気づきですよね。ヴィクトル様が国民を不幸にして愉しむような人間ではないこと、そんな器用さを持ち合わせていないことを」
「・・・うん・・・わかってるけど。悪気はなかったから許してくれって?」
納得できない。したくない。
ロマンが顔に落胆を滲ませる。
「はい、そうお願いするしかありません」
無慈悲に頷いた執事の、綺麗に結ばれたアスコットタイをぐちゃぐちゃに掴み上げてやりたくて、横っ面を張り倒してやりたくて、譲は握り締めた拳を震わせた。
だが結局できないまま、ロマンが部屋を出て行った後に己れの拳に噛みついて、嗚咽してしまうのを堪えたのだった。
◇◆
それから丸一日、譲はベッドでうずくまっていた。
明かりもつけず、夕食も断り、水分さえも口にしていない。
考えなきゃいけないことがあって、考える時間が腐る程あるのに、そういう時に限って時間が溶けるように消えていった。
頭を抱えると、吐き気が込み上げてくる。
夜の分の薬を飲まなかったからだ、暗い部屋の中で地獄のループに引きずり込まれそうになる。
そろそろ明かりをつけないとまずいのだが、譲の身体は動かなかった。
(どうしたらいい、公爵とエルマー隊長のどちらを信じたらいいのかわからない)
そもそも自分は何を悩んでいるのだろう。
ロマンの話に同情し理解を示すことはできても、譲はあちら側の人間じゃない。イザーク側の人間だろう。
問われなくても答えは決まっているはずなのに。
(わかっている。自分は矛盾している)
譲にとって問題はそこじゃないのだ。
アゴール公爵がヴィクトルじゃなければ良かった。
せめてヴィクトルが、もっと素直に憎める奴だったら良かった・・・。
果てはヴィクトルに何を与えて貰えれば、この行き場のない怒りが落ち着くのだろうか。
堂々巡りに悩み疲れた譲は怒りを消す為の方法を考え始めていた。どちらが正しいかではなかった。譲はヴィクトルと一緒に居続ける為に自分の中だけで怒りを収束させたいと願っていた。
夕食を断ってからどれくらい経ったか。ドアが開いた。
入浴の催促かと思ったが、顔を見せたのはロマンではなく、帰宅したヴィクトルだった。
「譲、ただいま」
「・・・おかえりなさい」
考えるのをやめていたが、その言葉だけは絞り出せた。
譲はヴィクトルの顔色を窺う。帰宅してからロマンにどこまで報告を受けたのか気になった。
機嫌に変わりはなく、顔を見に来てくれた時の、「ただいま」という第一声もいつも通りだった。
「公爵は、俺のこと大切ですか?」
突拍子もないことを訊ねてしまう。
譲は異変を気づかれないようにと祈る。
「なんだい急に、当たり前だよ」
ヴィクトルの表情がにこやかに変化した。
帰宅一番に譲の顔が見れて嬉しいという顔だ。
知っている。
自分はヴィクトルのくれる優しさを知っている。
自分は大切にされている。
「夕食を食べなかったみたいだけど具合が悪いのかな?」
心配する声。譲は泣きたくなった。
「う、いや、好きなものじゃなかっただけ。今はいらないんだ。それよりお風呂に入れて欲しい」
イザークに触られた髪をグシャリと掴む。
聞いてしまった話を全て、湯で洗って流してしまいたかった。
「お願い」
譲は抱っこをせがむみたいにして両手を突き出した。自分を暗い場所から連れ出してくれるのは、ヴィクトルの手じゃないと駄目なのだ。
譲は現実に掴めるヴィクトルの腕にしがみついていた。
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