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第62話 相容れないこと
目を覚ますとヴィクトルが背中に覆い被さり、倒れ込むようにして眠っていた。譲は尻に違和感を持つ。あそこが繋がったままだ。彼も行為の途中で気を失ったのだ。
譲は身体を動かしてみる。体位の関係で外したのだろう、鎖で拘束されていたのは片方の手首だけだった。
お陰で寝返りを打つことができるが、結合部が抜けてしまうのは寂しい。腰を捻って、ヴィクトルの寝顔を初めて拝んだ。
(可愛い)
ヴィクトルの寝顔は思っていたよりもずっとあどけなかった。
譲は幼かった頃の弟妹達を思い出し、抱き締めてあげたい衝動に駆られた。
こんな愛らしい顔したヴィクトルにムチが振るわれていたのかと思うと、手がつけられなかった程の嘆きや怒りが塗り替えられていくような気がした。
彼の傷に触れられたらきっと許せる。
そう思い、譲はヴィクトルの背中に腕を回した。
意識して触れるのは初めてだった。行為中は気にできる余裕がない。
指に触れたのは、ざらっとした古傷の痕跡。複雑に絡み合ったいばらの蔓のように、深く重なり合っている。
しかしその中でムチの痕ではない傷があった。
腰骨のでっぱりのすぐ上あたりに、まるで後ろから誰かに刺されたみたいな。
———家族に? 母親に? でも比較的新しい。
譲が考え込みながらサワサワと何度も傷に触れていたので、ヴィクトルが「ぅーん」とくすぐったそうな声を上げて身じろぎをする。
譲はパッと手を離した。その手をヴィクトルのうなじに持っていき、起きぬけざまに唇に熱いキスをした。
「ぁあ、譲か、驚いた。私も寝てしまったんだね」
そしてヴィクトルも二人が繋がったままでいることに気がついたようだ。
「どうやら私達のここは一晩中キスしていたらしいね」
だが今は、ふざけたジョークは頭に入ってこない。
「ねぇ、公爵ごめんなさい。俺が知らない方が良いことなのかもしれないけど、背中の傷に触っちゃった」
「傷? そういえばあったね。忘れていたよ」
ヴィクトルが自分の背中に触れている。
「もう痛くない? 刺されたようなところとか」
必要がなければ答えなくていいですと付け足して訊ねると、ヴィクトルは思いがけず微笑んだ。
「痛くないよ、心配してくれてありがとう。それは愚かな人間に刺された痕さ。けれど式典の日だったんだ。警備がいつも以上に厳しくなっていると誰でも予想できるだろうに、犯人は護衛に捕えられてその場で処刑されたよ」
声に感情が読めないが、密着した肌に伝わってくる動きから肩をすくめたらしいとわかった。
「何がしたかったのか理解できないよ」
ヴィクトルは続けて言う。
「式典だなんて凄いね」
「そうかい? 日常のことさ。けれど譲のお褒めにあずかれるなら光栄だ」
気を良くしたのか、いつになくヴィクトルが饒舌だった。
「あの時はそうだな」
「教えてくれるの?」
「ああいいよ、大した話じゃない。確か戦争の功績を称える恩賞授与式だった。譲も聞いたことあるんじゃないかな」
「うん」
恩賞授与式は宮殿で行われる。授与される対象は軍人。
一定の階級からのみ出席が許されている為、譲が出向く機会はなかったが、出席した上官づてで報奨金や徽章バッジが与えられた。
「その時は式典の最中に妻と子を失くしたという男が乱入してきた。だが私を狙った襲撃ではなくて、国王陛下に向かって突進してきた。陛下の隣に私がいたので私に被害が生じたのだよ」
「そっか・・・公爵の怪我が大事に至らなくて良かった」
そう返した気持ちに嘘はなかった。
それなのに他人事のようなヴィクトルの口ぶりが、傾いていた譲の心に待ったをかける。
(言うな、言っちゃいけない)
譲は思い留めようと努力したができなかった。
「その式典はいつのこと?」
「戦争が終わった後すぐだよ」
ヴィクトルの返答を聞き、無意識に身体を丸める。
下半身の繋がりが抜けた。
腹の中に溜まっていた白濁が閉じ切らない孔から溢れ出してくる。どろりとした粘液が股を濡らし、気持ち悪さに太腿を擦り合わせた。
「でも俺はその人の気持ちがちょっとだけわかるな」
戦争で大切なものを多く失くした被害者同士。
その人が自分であったかもしれないし、自分の父や母、弟妹の姿だったかもしれない。
譲にとっては決して他人事なんかじゃなかった。
「可哀想だと思う。天国で救われて欲しい。なんてね。天国なんて似合わないこと言っちゃった」
譲は背中にいるヴィクトルを振り返り、「ね?」と同意を求める。
しかし譲の願いは届かなかった。
「うん、だからどうしたんだい?」
ヴィクトルが微笑している。
ハッとした。いや、頬を強くぶたれたような感覚がする。
———譲・・・現実を見てくれ。目を覚ますんだ・・・。
イザークの声がこんな時に頭に響く。
「そうじゃないだろ・・・公爵。言うべきことはそれじゃない」
譲は聞こえるか聞こえないかの声を噛み締めた。
「譲?」
「何でもない、話してるうちに眠くなっちゃった」
「ああ、話し過ぎてしまったね。では私は出て行くよ。ゆっくりお休み」
ヴィクトルがベッドを降り、部屋を出る。
譲は一人になってから我慢していた涙を流した。
わかっていたのだ。あの男がこういう人間性を持っていることは、最初からわかっていた。
けれど譲はぼろぼろと涙が止まらなかった。
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