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第76話 来たる日の再会・作戦決行間近の朝
ひと月後。ダビィ海峡大橋施工開始一周年記念セレモニーに向けた軍艦テティスの出港日。
時刻は早朝、日の出前だ。
譲は目覚めると義足を装着し、ベッドを出る。
窓辺に寄ると、水平線に陽の光が覗き始めた頃だった。
窓を開けて朝の空気を吸い、バルコニーからイェスプーンの街を見渡す。
後方からアレグサンダーが歩いてくる。
「おはよう、譲。早いじゃないか」
「一応、大事な日だから。・・・昨日、夜、いつ寝たか覚えてないんだけど」
「はてどうだったかな」
のらりくらりと適当に受け応える男を、譲はじろりと睨め付ける。
「しかし気絶するまで欲しがるのは譲だろう」
アレグサンダーが譲の肩を抱いた。
譲は無表情で頷き、否定しない。
だが一言だけ言い返した。
「好きで抱かれてやってると思わないで下さいね」
「はっは、それでこそだ。媚を売ってくるような奴なら入れ込んでおらんよ」
「そう、わかってんならいい。約束も忘れないで」
「勿論さ」
「じゃ、俺は宿舎に戻ります」
街並みに背を向けた譲は手を取られる。
「待ちなさい。まだ時間はあるだろう」
「ナガトが待っています」
「あいつはまだ寝てる時間だ。今日で最後になるのなら、もう少し付き合ってくれても良かろう」
「・・・・・・ボスの少しは信用なりません」
「いいぞ。もっと嫌がれ」
アレグサンダーの息が首筋にかかり、譲は溜息が出る。
これはもう抵抗しても逆効果だ。
「本当に譲は殺れるのか」
問われながら耳朶を噛まれる。耳孔を舌が行き交うので、雑音が邪魔で鬱陶しい。
「・・・殺しますよ。どうせしくじっても保険がいっぱいいるんでしょ。ていうか、ボスは殺らないの」
「私にはやることがある」
「ふぅん、教えてくれないんだ。詳細だって未だに秘密にしてますよね」
「それは役者が揃った後に。舞台が整ってからね」
「あっそ」
やはり一筋縄ではいかない。
身体を与えてやったのに、アレグサンダーはなかなか口を割ってくれなかった。
約束を維持する為に猥雑な関係を続けてきたが、譲はアレグサンダーの言いなりになる気なんてさらさら無いのだ。
ヴィクトルが譲以外にとっては殺されて当然の悪党でも、殺すもんか。今でも助けたいと思っている。
「ん、ぁっ、も・・・さっさと終わらせてよ」
譲はぴくんと腰を逸らした。
アレグサンダーが譲の弱点に触れた。
「ぁ・・・ぁあ、腹に触るな」
「だって反応が顕著だからね」
「そこやだ・・・ン、ああっ」
「ほら、従順になる」
臍の周りを撫で摩られ、まるで借りてきた猫のようになる。しおしおと脱力し、脚腰が立たなくなるのだ。
「はっはっは、愉快だな」
「・・・・・・くっそ」
お気に入りの嫌がらせをして気が済んだのか、アレグサンダーは譲を解放した。
腹を刺激されると奥が疼く。何も挿入されていないのに、空っぽの隘路が絡みつこうとするかのように熱くうねり、窄まりがひくついてしょうがない。
夢の中でヴィクトルに貫かれたあれの感覚が蘇る。
譲は次の嫌がらせの一手が来る前に、バルコニーから立ち去った。
宿舎に戻る為には一度外へ出なければならない。
街は薄明かりに包まれている。近い日に、大変なことが起こるとは思えない異様な静けさが感じられた。
アレグサンダーはああ言っていたが、需要任務を任されているリーダー達には作戦の詳細が伝えられているのだろう。
この沈黙の裏で、着々と準備が整えられているに違いない。
譲は焦燥を感じ始め、大きく深呼吸をした。
だが額に汗が伝う。鼓動が激しい。
(・・・落ち着かないな。まだ時間に余裕があるから寄って行こ)
宿舎に向けていたつま先を方向転換させた。
走って向かった先はベイエリアの軍艦テティスの船繋り場。すると埠頭には既に先客がいる。
(あれは)
ナガトだ。
「いると思った」
譲はフッと笑みを溢し、軍艦を見上げている人影に駆け寄る。
ナガトが譲の走る靴音に振り向いた。
「譲じゃん。ボスんとこ行ってたのか?」
「そうだ」
「毎夜の如くご苦労さんだねぇ」
「まぁな、気に入られてっから。お前も一緒に来るか?」
「いや、遠慮しとくわ。俺には気が重いぜ」
「ははっ」
譲が吹き出すと、ナガトも笑い声を上げる。
具体的には言わないが、ナガトはボスが譲に強いていることに気づいている。訊いてくることもしないのは、優しさであるのか保身であるのか・・・わからない。
けれども、譲はナガトを友だと思っている。
任務中は彼に頼り、頼られるなら喜んで助け、彼を信じて動くつもりだ。
作戦の暁には、譲がヴィクトルを暗殺したという見せかけの目撃者になって貰う。
「なぁ、譲」
ナガトが海の女神テティスを再び見上げて言う。
「これが終わったら絶対に行こうな」
「・・・・・・?」
「忘れんなよ、美味いもん食いに行こうぜって言っただろ。べコックは広いから、バーガーショップの他にも店はいっぱいあるぜ? 好きなところに行こう。案内してやるから」
この瞬間だけは譲の胸に空っ風が吹く。
「そうだな」
無理をして笑って返事をする。
「ナガト」
「ん?」
「えっと、頑張ろうな」
ナガトは「うん」と目を細め、首にかけているコインを握って目を閉じた。
こうして祈っている姿を、ひと月の間に何度も見た。
重荷を抱えているのは譲だけじゃない。
そのことが救いでもあり、そして、不安の種でもあった。
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