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第82話 心の準備
「身体調査さ」
アレグサンダーは譲の胸と尻をまさぐる。
「やめっ、んな時に・・・・・・っ」
「君がスパイ行為をしている可能性を考慮してだ。外の人間と接触して何かを仕込まれたかもしれないだろう。れっきとした確認行為にあたる」
「何かってなんですか!」
信じられないような言いがかりだ。
触りたいだけのくせにと、顔まで這い上ってきたアレグサンダーの指を噛む。
指は意に介さず口腔内を弄り始めた。
「ん、ぁ、・・・ひどい」
「くくく否定しないね。ただ、だけじゃないよ、知らせておくことがある」
「はぁ?」
「先刻、アゴール公爵がカトホナ港に姿を見せたと内線連絡を受けた」
そう耳元で報告される。
つくづく嫌な性格をしている男である。
今、それを言うかと憎らしく思う。深く懊悩している譲で遊んでいるのだ。
アレグサンダーの前で暗い顔をしたのは失敗だった。
「いよいよもって心の準備が必要だろう?」
親切に教えてやったのだとでも言いたげである。
「・・・っ、それは御親切にありがとうございます」
「いいや。計画を取り仕切るキャプテンとして当たり前のことをしたまで」
「ひあっ」
耳朶にぬるりと舌が這う。鼓膜に直接息を吹きかけるかのように、耳孔に唇が押し当てられ、囁き声が送り込まれる。
「失敗は赦さないよ」
譲は本能で危険を察知した。一瞬でゾワゾワと背中が総毛立つ感覚を感じていた。
「赦さないって、キャプテンがですか」
恐る恐る、訊く。
「おや、言葉のあやだね、間違えた間違えた。正しくは失敗は赦されない。革命軍の皆にだよ」
「そう・・・ですか」
言い直されても溜飲が下がらない。
そら恐ろしい感覚が抜けず、アレグサンダーの腕の中でもがいた。
「用が済んたなら離して下さい。まさか続きをしますか? キャプテンのを挿入する時間はないと思いますが。あと軍服が汚れます。予備もですが着替える時間にも余裕は無いです」
「やれやれ、矢継ぎ早に言うじゃないか。譲が見た目にそぐわずお喋りだったとは新しい発見だ。ふむ仕方ない。もういいよ」
アレグサンダーが譲を捕まえていた腕を解く。
「では失礼します」
譲は自由になったと同時に唇を引き結び、俊敏な猫の如くキャプテン室を飛び出した。
朝食時間を迎えた艦内は昨晩の賑わいを取り戻しており、ややうんざりする。
ナガトが嫌な顔をしていた気持ちが理解できる。
初見はもの珍しさから見入ってしまったが、連日続くと思うと静けさが恋しくなった。
ここにいる金持ち達は何が良くて、この不必要なやかましさを好むのか。
ヴィクトルは気品があり穏やかだった。
公爵邸も美しく清潔で、いつだって落ち着いていた。
忌々しさに煌びやかな集団へ唾を吐きかけたくなったが、すぐにその気が失せた。
「公爵が乗って来るんだ」
譲は通路の真ん中でへたり込んだ。
手が震えてくる。先程の会話の意味を実感させられる。
「くそ、どうしよう、あれは間違いなく疑われていた・・・・・・」
誰に対しても慎重な姿勢なら、ただの心配性でしたで済むが。
「ナガトに探りを入れておくか」
この質問ならセーフだろう。
譲が下を向きながらぶつぶつと唱えていると、ナガトが探しに来てくれたようだ。
落ちた視界にブーツの先端がにゅっと現れる。
「今日は独り言が多いな。おつかれさん。キャプテンの話はもう終わったのか?」
「・・・・・・おう、まぁな」
このやろう、俺を置いて行きやがって・・・と気軽に肩でも組めたら良かった。
しかし現実はそうもいかないので、譲は立ち上がり、何でもない顔で彼の横に並ぶ。
「朝飯は食った?」
「まだ。譲を待ってた」
「そっか、ありがと」
普段どおりの会話の合間に「そういえば」と合いの手を挟んだ。
ナガトが耳をこちらに傾ける。
「キャプテンって豪快そうな性格して意外と細かいよな。小言みたいにせっつかれて困っちゃうよ」
この投げかけにナガトはどう答えるか。譲は冗談を言うように笑った。
「えっ、そう?」
ナガトは不意を突かれた顔をする。
これは、本音だ。
譲は声の震えを極力抑えて、会話を続けた。
「俺だけかよ。やっぱお気に入りだからか。放っておけないんだろうな」
「だろうな。少し羨ましいよ。以前も話したことがあったが、キャプテンは大勢の中にいても殆ど素性を明かさない人だから、譲には特別な思い入れがあると見える」
「へぇ、そう? じゃあ代わってやるよ」
「だから、それはいいって。遠慮しとく」
ナガトがニィと八重歯を見せて笑い、話の終着点はいつもと同じになった。
「お前、機嫌いいな?」
譲は、ナガトの表情を見つめる。
寝不足の顔をしているものの昨日の張り詰めた空気が嘘のようだ。夜中のうちに、良い出来事があったのだろうか。
「まぁな」
ナガトはそれだけ答えると、口を閉じた。
(ひと足早くにナガトは独自にターゲットに近づいているのか)
胸が動悸する。
譲のその時が迫っていた。
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