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第88話 決戦地の無人島

 しかし、眠らないように気を張っていても、淫油を用いられて休みなく穿たれる目下で気を失わないようにというのは難しかった。  譲の目覚めはそれでも早かったが、ベッドの上にヴィクトルの姿はなかった。  連れ込まれた客室内の何処にも姿は見えず、譲は己れを叱咤し悔やみ、シーツに拳を振り下ろす。  ヴィクトルからの置き手紙が置かれており、拘束していた近衛兵は解放したと書かれていた。  見たところ譲が拝借した簡易鎧と剣も持ち去られ、純白の海兵隊の軍服に取り変えられている。 (やられた。引き留められなかった)  もう同じ手は使えない。  セボンアイランドで行われるセレモニーは今日だ。朝のうちに到着してしまうだろう。  このまま操られるが如く整えられた舞台でヴィクトルを殺すしかないのか。  絶好の機会を用意すると話していたが・・・そんなものクソ喰らえだ。大人しく言いなりになって待っていられるか。  だが、まずは早朝のうちに出ていかなくては。いつまでもここにいられない。最下デッキの自室に戻りナガトと合流する準備をしなければと思った時、客室のドアが開けられる。  譲は反射的に身を屈め、ベッドの後ろに隠れた。 (見回りか?)  ロイシア王室の近衛兵だとしたら、見つかれば何をしていたのかと問いただされて、場合によっては連行される。  ヴィクトルの前かキリルの前に連れて行かれたら、何を言われるか。庇ってくれるだろうことは絶対だが、キリルに顔を見られて昨日の近衛兵だと気づかれると計画に支障が出る。  譲は死ぬ気で息を殺した。  しかし、客室に入って来た人物がナガトだとわかり、胸を撫で下ろす。 「ナガト・・・!」  まだ早朝である為、声量を抑えて居場所を明かした。 「おう、そこにいたか」 「お前はなんで? お前も最上デッキに用があったのか?」 「まあな、実は昨晩から。んでお前とアゴール公爵がここに入ってくのを見かけてこっそり様子を伺ってた」 「もしかして助けに来てくれたのか?」 「そんなところだ。それより」  片目をすがめたナガトが譲に背を向ける。 「譲、お前さあ、服を着ろ」  変態な奴めと言われて、譲は卒倒しそうになる。  素っ裸を見られて恥ずかしいのはこちらの方だ。しかも散々ヴィクトルになぶられた後で、くっきりと痛々しい歯形や小さく赤い充血痕が点々と散らばっている。俗に云うキスマーク、肌に直に口吸いされた痕だ。穴があったら入りたい。 「ごめん・・・あっち向いてて」 「向いてるっつーの」 「変なもん見せて本当にごめん」 「別にいいけどさ」  ナガトが腕を組んで、溜息を吐いた。 「何してたんだ」 「え・・・何って」 「どう見ても拷問を受けてたって感じじゃないな?」  さてどうする。ナガトにはターゲットを仄めかしてしまっている。二人きりの絶好の機会に殺さなかったことを怪しまれているのだろうか。 「や、あー、色仕掛け・・・って言うのかなぁ? なんか公爵は俺のことまだ大好きみたいだし・・・いざって時に使えるかもって思ったりなんかして? セレモニー前に公爵がいなくなったらまずいからとりあえず逃してやった・・・ははは」  自分で話していても苦しい言い訳である。虚しくもなる。 「ふぅん」  ナガトは怪しんでいるが、信じた。 「わかった。着替えたなら行くぞ」 「おう」  譲は余計なことは何も言うまいと口を引き締め、ナガトについて客室を出る。  甲板に上がると、セボンアイランドが肉眼で確認できる距離にあった。  野生の生き物はいるが人の住めない無人島。岩肌が剥き出しになった土地と、鬱蒼と生い茂ったジャングルがある。  見た途端にきりきりと胃が痛くなった。できれば上陸したくないとすら感じる。  良い思い出などないのだから、次から次に湧いてくる黒い感情は抗いようがなく逃げ出したくなる。 「大丈夫。怖いと思ってるのはお前だけじゃないよ」  ナガトに励まされて気づく、拳が小刻みに震えていた。 「俺は離小島の戦場には行ってないが、今回の計画には譲と同じ地に立っていた兵士がたくさんいる。今テティスに乗ってる隊のメンバーにも」 「ああ・・・うん」  この話で勇気を貰えたら良かったけれど、気鬱は晴れない。  彼等の多くが復讐心に燃えているのだろう。彼等を動かす原動力たる怒りが、譲からはもう消えているのだ。  あの島には譲を迷わせる動機しかない。  ヴィクトルが何を企んでいるのかという悩みの種も増えてしまったし、ここで目を閉じて全部悪い夢でしたとなればいいのにと思う。  ヴィクトルがいる公爵邸のベッドで目覚める朝、ロマンが朝食を運んでくる朝が恋しい。一日中退屈な絵本を読まされ、中庭で絵を描いて、おやつを食べ、ドムと遊びたい。  無駄だと思いながらも譲は試しに目を閉じずにはいられず、でもそうしたことで昨晩の営みが生々しく脳裏に浮かんだ。  皮肉にもヴィクトルにたっぷり抱かれた譲は久しぶりに熟睡できて、頭がスッキリしていた。 

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