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第91話 アゴール公爵の演説
駄目だ。目立ったら射撃の標的にされる。
恐怖に駆られたが動けなかった。
目の前のアゴール公爵には誰にも有無を言わさないだけの威圧感があったのだ。
譲はこんな人知らないと思った。
いつも穏やかで物静かなヴィクトルじゃない。譲には決して見せなかった顔姿だ。
「皆よく聞きなさい」
ヴィクトルは視線を集めると続けた。
「実は昨夜のうちに数名が殺されており、今この瞬間にも我々の死を望んでいる者が会場に潜んでいる」
当たり前だが皆の顔色が変わる。
「次は誰が狙われるのか」
と、恐れ慄く者もいれば
「無礼な真似をする奴は誰だ」
と、怒りを顕著にする者もいた。
にわかに乱れ始めた群衆を、ヴィクトルは表情のない顔で見つめる。
「静かに。静粛に」
会場内にヴィクトルの声が通った。
いっせいに振り返った顔顔顔、群れを成した鶏の如く滑稽な動き。
「この地を踏みしめる皆に問おう。今、何を思う? 何か思うことがあれば教えてくれないか。・・・・・・返答なしで宜しいかな。我々はこの地で起きた悲劇と苦しみを理解しなればならないらしい。そして我々は償わなければいけないようだ」
ようやく、踏みつけていた地面を見下ろした者がちらほらと見えた。
生まれてはじめてそれを見下ろしたかのような顔だった。
動けないまま引き攣った顔になる者もいる。
「し、しかし、薄汚い下民に殺されるのは御免だっ!」
「ならば私が殺してやろう」
ヴィクトルは一瞬のうちに拳銃を抜き、声を上げた貴族の男を撃った。
心臓を撃ち抜かれた男は倒れる前に絶命していた。横に立っていた婦人の悲鳴が会場に響く。
「いやぁああっ!」
「静粛に。三度目はないぞ」
拳銃を懐に戻しながら、視線が譲に向けられた。
「おいで譲。そばに来て皆に脚を見せるんだ」
「え、俺・・・?」
「皆さんにお見せしよう、彼はかつての戦争の犠牲者だ。この島で起こされた惨状の末に、彼は片脚を失った」
ヴィクトルは芝居がかった仕草で譲に歩み寄る。
「さあ、見せて」
譲は目配せをされて軍衣のズボンを捲り上げた。
銀色につやめく義足が大多数の目に晒される。
「美しい義足だが、皆はこうなりたいか。なりたくないだろう? 誰だって自分の脚で歩きたい。しかし彼は我々の始めた戦争により脚を奪われたのだ」
「・・・・・・っ!」
嘆くような口ぶり。譲は作為的に肩を抱かれて俯いた。
すると王侯貴族の群衆の中から反論が飛ぶ。
「我々は関わっておらんぞ! 戦争を決めたのは発言権のある連中だけだ」
「一票を投じたのならば同罪ではありませんか?」
ヴィクトルの冷え冷えとした声が反論を却下した。
「私がこの場にいる貴殿達を殺し、私は彼に殺される。そうして償おうじゃないか」
譲は息を呑んだ。
「駄目に決まって・・・っ」
だが途中でヴィクトルに言葉を遮られる。
「しー、そうするしかないのだよ」
賓客達は辛抱たまらず駆け出した。
殺されてたまるもんかと喚き散らす様は社交場で上品に言葉を交わしている時の厚顔無恥な上流階級層とは似ても似つかない。
しかしながらドレスやタキシードといった正装では転んでしまうのも仕方なし。走って逃げるには不便な服装だ。
押し合いへし合い泥玉のようになって、挙句にタラップの取り合いをしている。
なんて様だろうか。
譲は醜い人間の有り様を見たようで呆れてしまった。
悲しくもなる。
「無駄だ。あの船が出航したとしても貴殿らはレニーランドには帰れない。船はイェスプーンに着けられ、革命軍に殲滅される」
騒ぎの中に声が届いているのか疑問なところだが、ヴィクトルが高笑いする。
「しかしそのイェスプーンも今頃は火の海だろうけれど」
譲は脳内まで金縛りにあったかのようになる。
思考が止まり、背にじっとりと汗をかいた。
「・・・・・・公爵」
ヴィクトルは気づかない。
「公爵!」
「ん? どうしたの譲」
「どうしたのじゃないですよ・・・。今、貴方は何と言ったんですか?」
「まさか譲は国が革命の予兆を予期できず、何も対策を講じていないと思っていたのかい?」
ヴィクトルがふっと唇を歪める。凍ったように冷たい表情だ。
「身の程を知らぬとは本当に愚かだ。彼は」
「はい?」
譲が首を傾げると、どさりと地に重たいものが崩れ落ちる音がした。
振り返り、声も出なくなる。
担がれて連れてこられたのは瀕死のアレグサンダーだった。
「よく知ってる顔だろう? 革命軍の首謀者、アレグサンダー=ムーア氏だ」
軍艦テティスに乗り込むので精一杯だった賓客達が彼の変わり果てた姿を見てどよめいた。
悲鳴が上がり、腰を抜かし、動ける者は我先にタラップを駆け上る。
尻餅をついた紳士が叫んだ。
「ではもう良いじゃないか。革命軍の本拠地が制圧され、首謀者を仕留めたのなら、もう解決したのでは?」
「それでは駄目なんですよ」
ヴィクトルが被りを振った。
「・・・・・・何故だ」
可哀想なくらいに悲観を帯びた声。
情けをかけてあげたくなる。
譲は地獄を思う、ヴィクトルの答えがわかる気がした。
「貴殿らと、私の命を捧げなければ譲が助からないからだ」
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