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第99話 帰宅
譲は瞼越しに明かりを感じた。夢の波間をゆらゆらと漂い、明るい方に向かって浮上する。
「———上手くいったと豪語するには無理があるかと思います」
「いいじゃないか、助かったんだから」
「もし助かっていなかったら地獄の果てまで追いかけてエルマー様のことを八つ裂きにしていましたよ」
「うわ、アゴール公爵家の執事さんは怖いねぇ」
目を開けるより先に、覚醒した耳に懐かしい人達の声がする。
「俺死んだ・・・・・・?」
譲は呟いた。
暗い海に沈んだ後、どうなったんだっけ。夢の続きを楽しめたのは実のところほんの一瞬だった。
トーマスの手榴弾によって甲板が大破した数秒後、テティス全体に引火した炎により第二の爆発が起きたのだ。
巨大な戦艦が火を上げながら沈没して行った。渦のような海流に揉みくちゃにされている途中で意識に限界がきてしまった。
がっちりと抱きしめてくれていたヴィクトルのお陰で二人が離れ離れになることはなかったと思っていたのだが・・・。
今は、独りだ。
柔らかいベッドの上に寝かされている。
譲は無意識に義足を着けていた側の膝下を触り、義足がないとわかるとサイドテーブルを手で探った。
「譲様、お目覚めですね。ご気分はいかがですか。義足はありませんよ。壊れていたので外してあります」
この声はロマン。ヴィクトルはいないが、譲が寝かされている部屋にイザークもいる。
ふかふかのシーツの触り心地と部屋の間取りに懐かしさを感じる。壁際の窓。衣装部屋のドア。子ども向けの絵本が並んだ本棚。ヴィクトルに強請って買ってもらった数々の贈り物が並んだ棚。いらなかったはずのものが、ガラクタが・・・宝物のように思えた。
「あーそっか、戻ってきたのか」
「まだ、ぼんやりしているようですね」
水差しを手に心配するロマンに、イザークが当たり前だろうと肩をすくめた。
「おーい、覚えているか? 俺のこともわかるか? お前は熱を出して五日間眠ってたんだぞ」
「強い鎮静剤を使った副作用のせいもあります」
譲は口々に喋る二人の方に顔を向けた。
「公爵は?」
ごく当然にした疑問だったが、返ってきた表情は芳しいものではない。
「いないの? 嘘だよな・・・やめてよ・・・・・・」
「いえいえ、ヴィクトル様は生きておりますよ!」
ロマンが訂正する。
「それなら普通に答えてよ。紛らわしいな」
「ええ、すみません。生きてはおります」
ロマンは泣き出しそうな顔で答える。
イザークが溜息を吐き、代わりに返事をくれた。
「寝たきりになって目覚めないとか変な想像するなよ? 別に元気だ。今日も忙しくしてる」
譲はすかさずロマンにイザークが睨みつけられるのを見て唖然とする。
「なんて非情なっ、ヴィクトル様をよくご存知ない貴方だからそう言えるのです!」
「ピンピンしてるじゃないか。たまげた精神力だよ。譲を泳いで陸まで運んだのもアゴール公爵閣下様だ」
二度目の爆発の衝撃でヴィクトルは譲と入れ替わるようにして目覚めていたらしい。自身も軽くない怪我を負っていたはずなのに、譲の命を助ける為にまた己れを犠牲にし無理をしてくれたのだ。
「しかし譲が乱入してこなければ万事上手くいっていたんだがなっ」
イザークは紙煙草を咥え、ワッハッハと大声で笑った。
ことの流れを何となくだが察してしまい、譲は不甲斐なさに唇を噛む。
「詳しく教えて下さい。どうしてエルマーさんがここにいるのかも・・・あんた、何処で何してたんですか。ナガトがめちゃめちゃ心配して・・・ぁ、ナガトは、ナガトはどうなりましたか?」
頭がはっきりしてくると色々と思い出してくる。
「あー、はいはい、わかってるよ。落ち着け病み上がり君」
「落ち着いていられませんよっ」
「まあまあそう吠えるな。順番にな?」
イザークは口から煙を吐き出した。
この平然とした態度。すとんと腑に落ちた。これまでのピースが繋がって嵌まる。イザークのこれは革命軍と国の争いに巻き込まれて死にかけた人間にできる振る舞いじゃない。
「エルマーさんが、公爵の取引相手だったんですね」
煙草を持ち直して、イザークがふっと笑う。
「その通りさ。ここにいるロマンも取引の内容を共有してる仲間だ。だがアレグサンダーに譲の居場所を教えられて公爵の屋敷に潜入を始めた時はまだ自身の身の振り方を決めかねていたよ。正直、何処に味方してやるべきか悩んだ。なぁ執事さん?」
「ご心配なく、僕は今でも貴方が好きじゃありません」
イザークに肩を組まれ、ロマンは心底嫌そうに両腕で押しやっている。
譲はイザークがアレグサンダーの表の活動に賛成しながらも、密かに悪癖の被害を受けていた兵士達の声に気を揉んでいたのだとわかった。
「譲には嫌な思いをさせたな。頭を下げることしかできないが謝る。でも俺の目標を達成するには立ち止まるわけにいかなかったんだ、許して欲しい」
「・・・ここで、エルマー隊長が俺に話してくれた熱意は本物でした。そう思っていていいんですよね?」
あれは恐怖を覚える程の時間だったが、決して憎悪すべきものじゃないと感じたのだ。
イザークは「勿論だ」と答え、遠い空を見る。
「俺は革命自体には賛同している。身分が低いというだけで、生まれながらに人々が踏み潰されている、この国の在り方を変えたいんだ。その為に国民の死になんの疑問も持たない奴らを罰したんだ」
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